11・ハビ=リョウ包囲戦(1)~序
翌日、学長から生徒を副都に移すという連絡があった。
それ以外は三日目、四日目も大きな変化はなく、ハビ=リョウの門は閉ざされ、こちらも兵を動かしてはいない。
「……都の民も動きを決めかねているようです」
四日目の夕方、アスリングリッド王からの親書を持ってきたセイレーネがぽつりとこぼす。
ナクルの幕舎の中、セイレーネの前でマーシスはクリュセル王からの親書に目を通していた。〈新盟〉に加われなかった詫びと、家族を助けてくれた礼、遅参を許されるのであれば、王妃セイレーネを自身の名代として〈新盟〉に加わりたいということが直筆で率直につづられていた。
王妃の肩には茶色い竜がいる。テーブルにあった菓子はもうとうにない。
「〈新盟〉に怯えて動けない者、まだ〈盟王〉を尊敬している者。理由はいろいろあるようですが」
「百万近い人々がいる街です。すぐに意が揃うということはないでしょう。――それより」
マーシスは読み終えたばかりの親書をテーブルの上に広げ、セイレーネへ見せる。
「アスリングリッドの王は貴方を名代にとおおせですが」
てっきりライスンを名代にするものと見込んでいた身からすると、予想外のことではあった。夫の文を一読した妻は丁寧に手紙を戻してマーシスに返してくる。
「ただ陛下に従うだけでよいならば、夫はライスンを推したでしょう。ですが、陛下のもとで他の国の方々と話しあうというのなら、その、ライスンは血の気が多いので」
「なるほど」
戦場ではライスンを、それ以外では王妃をというわけか。どの将どの王でも、この王妃相手に無礼な真似はできるものではない。鍛え上げられた品位というのは強いものだ。
「殿下が受けられるというのでしたら、こちらに異論はありません。クリュセル陛下の見込みは正しい」
「ライスンがいるといえ、女が名代とはといぶかしむ者はいないでしょうか」
「〈新盟〉の中には女王もいます。まして殿下の名を知らぬ者はここにはおりません。今更誰も奇妙には思わないでしょう」
なにか言うような者がいれば黙らせる、と続けようとして、マーシスはこちらを見るまなざしに首を傾ける。
「殿下?」
いつもの穏やかな目の中に、少し珍しい――初咲きの花を見つけたような小さなゆらぎが見てとれる。
「陛下は不思議な方ですね」
「そうでしょうか」
「男だとか女だとか、そういったことにあまりこだわりがないようで」
「それはわたしが鈍いだけかもしれません」
困惑を苦笑にすりかえ、マーシスは答える。
自分の回りにいる人間はごく限られていて――それはナクルという国の人の少なさからでもあったのだが――〝男だから〟〝女だから〟といっていられる余裕がなかった。
もちろん女が得意な分野や男が長じている分野というのはある。そのうえで女の近衛兵や男の織師がいるのだ。
ずっとそんな環境を見てきたこと、さらに自分に家族らしい家族がいなかったのが原因だろう。母や姉が存命ならば、もう少し「女性は奥に」という性格、考え方になっていたかもしれない。
「どうもそういったことはうとくて」
「そんなところも〈竜王子〉そっくりですね」
「……よく言われます」
参陣後、多くの口から言われたことだった。「初めて見る気がしない」とは。
それを口にするのはマーシスより先にサーフィルを見ていた者たちだ。彼らは異口同音に二人の相似を口にする。似ているもなにも、サーフィルはずっとマーシスの真似をしているのだから、言動が似て見えるのも当然なのだが。
「……コグとともにサーフィルも殿下のところに押しかけているようで」
「あの〈竜王子〉も人を男女や見かけで判断せぬ方。お二人のそういったところが、妾にはとても落ちつくのです」
「そうおっしゃっていただくと、こちらも助かります」
王妃が目を伏せた。
これは誘導だ。今から伝えたいこと話したいことがあるという予告でもある。
「……なので、少し気になることが」
「気になること?」
さっと王妃は周囲に目をむけた。この中には自分たちしかいない。盗み聞きもコグの術が防いでいる。
「幕舎の外にはわたしの近衛か竜人兵以外近づけないようにしています。――なにか」
「ジャライル王が探りを入れています」
「クレイグが?」
背中が強張りかけた。表情までは変わっていないはずだが。
「はい。――陛下の妃候補はいないかと」
思わず目を丸くしてしまった。まさかここにきて大国の背反かと心の中で身がまえたが――妃とは。
「わたしの妃、ですか」
それは時期尚早では、と続けたマーシスの前で、セイレーネは首を横に振る。
「陛下の御年齢からして、早いということはありません」
「年はともかく状況が状況です。万が一、ということもありえるわけですし」
「だからこそ、ですよ」
コグがセイレーネの肩からおり、テーブルの上で翼と足をのばす。くつろいでいる。
「陛下。念のためお聞きしますが、国内でそのようなお話は」
「いえ。――母からお聞きしていたかもしれませんが、我が国は王家の生き残りがおらず、主だった貴族も」
母が――王妃が自分たちのことをどれだけ話していたのかはわからないが、セイレーネの為人からすると、母は話しているような気がした。ナクル王家の、傍流も傍流の父が即位したいきさつについて。
「先代の即位まで長く内乱があった、とは聞いています。それでは一度も家臣からそのような話はなかったと?」
「いずれは、という話はされましたが……候補をしぼるというところまでもいっていなかったと思います」
ナクル王室の系図を書けば、父十世は端も端にくるはずだ。その分岐はマーシス六世までさかのぼる。
六世の子は五人おり、末子以外が互いに王位を争い、次男が王位についた。これがマーシス七世だ。
七世没後、五才の王太子の戴冠を待たず、七世の弟や甥にあたる者たちが自らこそ次の王だと名乗りをあげた。
彼らの十年近い争いの末に七世の三男が八世として即位したものの、彼は五年も生きることなく謎の死を遂げる。そこからがさらに長かった。
九世を名乗る十人は八世の孫世代まで巻き込み、それぞれの妻や母の家とともに、互いに兵や刺客を送りあう。
結局この〈九世の内乱〉は泥沼のまま、国を衰えさせての共倒れとなる。この時点で七世の直系と婚家は絶えた。
長い実質の空位の果て、王宮の臣たちはなんとか王位を継げる者を探し、六世の末子の血が残っていることに気がつく。兄と争うことを厭い、自ら西の山岳に隠棲した王子の末は、初代の王よろしく羊の面倒をみて暮らしていた。
ハーディ・ナクルという若者が妻とともに王宮に入ったのは二十二歳。諸臣に乞われ、彼はマーシス十世を名乗る……。
「内乱で王家の流れが一度絶えたこともありますが、多くの貴族も没落して今はほぼ形もないありさまです。そこから王妃をといっても難しいでしょう」
あらためてマーシスは考える。
まず現王に〝ほどよい〟近さの親族がいない。母も逝去しており、母系のアルド家も適齢の女性はおらず、国内の貴族の生き残りも熱心に動いてはいない。
――ということをふまえれば、これを機に自分の〝娘〟を送りこむことで国同士のつながりを強くできる。競争相手がいない、確実に王妃の座をとれる今が好機、なのだろう。
「一番熱心なのはジャライル王ですけれど、同じようなことを考えている者は少なくないはずです。妾も夫から相談されたくらいですし」
「殿下はなんと」
「『十歳の姪を送るというなら妾は離婚いたしますよ』と」
十歳差など、王侯貴族の婚約年齢としてはそう珍しいものではない。そう頭ではわかっているが、これには苦笑がもれた。
「十歳は、さすがに」
「そう言われる方ですよ、とお返ししておきました。今はきっとそれどころではないはずだと」
「……助かります。ついでにジャライル王にもそれとなく話していただけると」
「承りました。そのついでに好みなどもお伝えしておきましょうか?」
「殿下」
セイレーネの顔には微笑。穏やかだが、流しようのない親しげな圧がある。
「先に伝えておけば変な相手を押しつけられることもないでしょうし、損ではないと思いますよ」
「と、おっしゃられても」
マーシスはため息になりかけたものを飲みこむ。こういった分野で彼女とわたりあえる気がまったくしない。
「いいなと思われた方などいらっしゃいませんか」
セイレーネに言われるとおりに、マーシスは記憶をたどってみる。
それどころではない、というのが今までの自分だった。
――人が恋に落ちる瞬間なら横で何度も見ていたが。
オーシャや近衛兵たちの際どい話を聞くのは嫌いではなかったし、楽しそうだとも思ったが、それはどこか物語を楽しむのと同じ他人事で、心から望むような、自身を動かすようなものとはまた違う。
コグが自分の尾で遊んでいる。
その姿を見て、遠い昔の些細なやりとりを思い出した。
――王が、人と竜を思うことができるお人だったので。
うなだれるようにセイレーネの前で考えて考えて、ようやく一つの解が出た。
「……格好いい人、でしょうか」
「それは、男性のような方ということでしょうか」
「自分で生きていける強さと意志のある人、というのが近いですね」
自分のことには無頓着な人嫌い。だがそれでいて他者を慈しみ育てる優しさと厳しさをもった人。
彼女はマーシスにとってだけでなく、ナクルという国にとっての恩人でもある。
「その方を王妃に、とは望まれませんの?」
「――まさか」
こちらの表情から、セイレーネにはこの条件が架空のものではなく、実在の人物をさしているのだとわかったのだろう。
「今になって思えば、あれが初恋だった。そうわかっただけです。あの人を王妃になどできません。間違いなく振られます」
人嫌いで人づきあいの苦手な〈竜の友〉を王妃になど、船を山に持っていくようなものだ。――それに彼女は。
――その前にオーシャの妨害が絶対入る。
彼が幼馴染のことを好いているのは確かだ。彼は偽りなく忠誠篤き騎士だが、幼馴染がからめば「それはそれです」と全力でぶつかってくる男である。その妨害をのりこえたとしても、彼女がマーシスの求めに応じることなどありえない。
「陛下を振るなんて、もったいない女性もいらっしゃるものですね」
「わたしのほうが彼女につりあわないのです。この世で一番強くて美しいものとともにいる人ですし」
そう、とても、とても強い人だ。
きっと今も、彼女は変わらずナクルの山の中で竜を育てている。彼女がなにより愛するものを。
「それこそ、単身で〈盟王〉を挑発するような人ですからね」
賛同か肯定か。テーブルの上でコグがめいっぱいに翼を広げてみせた。
※
五日目もハビ=リョウからの返答はなかった。
すでに猶予期間の半分をすぎている。この日の昼に〈新盟〉軍は動き、ハビ=リョウを包囲した。
「いいかげん、吠え面かいて泣きついてこいってところだが」
六日目の朝、そう毒づいたのは横にきたサーフィルだ。
「むこうにはむこうの事情と意地があるだろう」
兵士と同じ糧食を食べ――サーフィルについていた従者はこれにえらく驚いていた――着なれた服の上に甲冑を着てからそう返すと、人の姿のサーフィルがこちらをじっと見てきた。こちらは剣を携えただけの軽装だ。
「なんだ」
「……誰よりもいらいらして怒っているのに、表には出ないものだなと」
「――そんなにわかりやすいか」
待つと言った以上、己の言葉を裏切るわけにはいかない。自分の言葉は権力と紐づいている。その紐を脆い糸にするも強固な縄にするのも己のふるまい次第。師たちから、それをくどいくらいに叩きこまれてきた。とはいえ、戦場に出て以来それが少しずつゆるみつつある自覚はあって、日々自分の心をひきしめなおしているようなものなのだが。
「どうだろうな。俺以外ならものすごく勘のいい奴ならわかるかもしれない」
「……お前でわかるくらいなら、まあいい」
油断は禁物だが、ずっと自分のそばにいるサーフィルでかろうじて、というなら、まあまあうまく隠蔽できているのではないだろうか。あとは気づくとしたらオーシャぐらいだろう。
二人揃って幕舎を出る。少し風が冷たいものの、天気は清々しいくらいによかった。
「お前が一言言ったらあそこ一帯全部焼くぞ」
むしろそうしたいという本音を隠さず、サーフィルが言う。その気持ちはわかるが。
「駄目だ。せめて五日は待て」
「はいはい」
いかにも気分がのらぬというぞんざいな返答だった。
「……言いたいことがあるならさっさと言え」
「あっち側にとっちゃ、俺の王様がいきなり焼き払ったりしない、律儀な奴でよかったなと」
あっち側、とはハビ=リョウの民だ。サーフィルの言葉は皮肉でもなんでもない。
「他の街へ逃げる奴も見逃してるんだろ?」
「いちいち追うこともないからな」
〈盟王〉と宰相以外は殺す必要のない人々だ。逃げる者は追うなと全軍に厳命している。
「ここから二つの副都までなら徒歩でも二日あれば着く。荷馬でも同じくらいか。いっそ全員逃げてほしいくらいだが」
言いながら、今日も動きのないハビ=リョウの南正門に目をやる。昨日同様堅く閉ざされた門は動く気配もない。
――その前に、なにかが落下した。
誰かがなにかを、外壁の上から門の外へ投げたのだ。
「サーフィル!」
マーシスが声をあげたときにはすでにサーフィルはかけだしており、ついで服と剣が音を立てて地に落ちた。それらにかまうことなくサーフィルはハビ=リョウ南正門へと飛んでいく。
「いったいどうしたんです。あれはサーフィルだが」
夜番明けの遅い朝食をとっていたはずのオーシャがやってくる。南の門のほうをちらちらと見ながら。
「わたしにも門の上からなにかが落ちたのは見えたが、詳しくは」
「……じゃあ、あれにはその『なにか』が見えたと」
「おそらく」
城壁の上に何人かが立っているのが見える。その数が徐々に増えていく。その下には青い竜がいる。いつもの数倍は大きな体躯が、日の光を受けてきらめいていた。
竜が顔を城壁へとむける。
突如、獣の声がした。誰もが足を止め、動きを止めるほどの大きな声。
「陛下、あれは」
「ああ。こいつは――だめなやつだな」
深い悲しみと、それを覆い尽くしてなお余る怒りの声。牙を剥き今すぐにでも食らってやるとばかりの、獣ならぬ人間にも伝わるほどの激しく長い竜の咆哮が響き渡る。
竜がいる。それだけでなく怒っている。
人よりも強い生き物が、ただ怒りのままに吼えている。
城壁にいた者たちも硬直しているらしい。それだけではなくかの声を聞いたほとんどの者が固まっていた。それはもはや本能といっていいだろう。これは生物としての、屍となることを覚悟する――死の宣告に近い声だ。
竜が翼を広げる。音もなく大地を蹴り宙に浮いた竜は、飛び去ったときよりもずっとゆるやかにこちらに戻ってきた。竜人兵たちも異常を察してサーフィルを遠巻きに見ている。
先に竜に近づいたオーシャが足を止め、顔を曇らせた。
「……陛下。よろしければ手伝っていただけませんか」
「わかった」
オーシャは気さくだが、物事をわきまえている男だ。そんな男が「手伝って」と言うのは彼なりの考えがあってのことのはず。――なによりこちらをふりかえったときの彼の顔だ。
三歩進み、マーシスにも竜が背負ってきたものが見えた。
マーシスは唇を噛みしめながら、自分のマントを取って地面に敷き、オーシャに手を貸す。ゆっくり、丁寧に地面へとおろしたのは二つの遺体だった。
紺色の同じ服を着た二人の男性。年はマーシスより少し上か似たようなものだろうが、顔はわからない。元の顔が判別できないほどひどい暴行を受けていた。
目はもう開かず色はさだかではないが、きっと髪と同じ灰褐色だろう。ナクル人に一番多い色だ。
「……王立大学の制服ですね」
「……ソーレ・ミュダとモンディ・カーキルだな」
オーシャがつぶやき、二つの遺体の手首と足首にかけられていた紐を切る。だらりと地に落ちた二人の腕の内側に、公用語の文字が刻まれているのが見えた。人名だ。もう顔ではわかるまいと御丁寧に刻んでくれたらしい。
いちいち書かれずとも彼らの名は知っていた。二人の制服はところどころといわず血で染まり、色を濃くしている。その血がとうに乾いていることからして、落下時の衝撃によるものではない。拘束され、暴行を受けて死んだ後に落とされたのだ。
ノウランがそっと二つの遺体の上に替えのマントをかけた。物言わぬ――二重にそうだ――彼らの口には木の枝。適当に折られた木の枝を結いつけて横にくわえさせられている。それもオーシャがはずした。
――間に合わなかった。
ナクルから王立大学に留学していた前途ある二人。
二人の前に膝をつき、マーシスは目を閉じる。
血の乾きからして、暴行を受けたのは遅くても昨日。誰かが無抵抗の人間を縛りあげ、複数で暴行を加えたのだ。
――そして口には枝。ナクルの国章である、杖をくわえた羊をもじったものであるのはあきらかだ。
「……この戦争が始まってから、彼らは大学に進みました。一応こちらからも帰国の勧告は出しています。彼らも覚悟はしていたでしょう」
ノウランの声を聞き、マーシスは目を開ける。
「だからといって、これほどの仕打ちをうけねばならない理由はない」
横にサーフィルがやってきた。そっと尾をこちらの背に寄せてくる。
二人にむけられたのはただの暴行ではない。これは報復であり侮辱だった。それもかなり低位な。
お前たちが都を囲んだからこいつらはこうなった。暴行者はそう言いたいのだろう。自分たちは正しいことをしたと満足しているかもしれない。――身動きできない者を数人がかりで暴行しておいて。
自分が戦うことを続けていなければ、彼らはまだ学問を続けていられたかもしれない。二人の死の一因は、確かに自分にあるといえた。
いつのまにか周囲に人が集まっている。二人の遺体を囲み、悼むように。
「誰か、二人を知る者はいるか」
マーシスが問うと、輪の右側の男がおずおずと手をあげた。竜人兵ではない。マーシスとともに参陣したナクル兵だ。
小柄な男がよろよろとやってくる。顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。
「ソーレは同郷で、陛下とともにと手をあげたのも、こいつをなんとか連れて帰るつもりで」
小柄な男が二人の横にへたりこむ。
「帰ってこいって言ったのに、なんで――」
二人がなにかを語ることはもうない。知性も知識も死の前には無力だ。
「この二人を弔ったら、形見を持って帰ってもらえるか」
小柄な男が「はい、はい」と何度もうなずく。
弔うにもここには神官はいない。そういう信仰が薄い竜人兵ばかりだからと自分も連れてこなかった。
ならば慣習として集落・集団の中で高位の者が代理を務めるものだが。
――わたし、か。
死の一因でもある自分が執り行うことに引け目はあるが、王に代わって葬儀を行うという者もまずおるまい。
「陛下!」
陣中では珍しい、女性の声にマーシスは立ちあがる。もう耳に馴染んだセイレーネの声だ。息せききって走ってきた彼女は見知らぬ男を連れている。
王妃の横にいた男が、二つの遺体を見てくずおれた。
「妃殿下、あの方は」
「……王立大学で医学を教えているアイディ教授です。妾の主治医で――ナクルの学生の師と」
セイレーネが面を伏せた。
ナクルをはじめ、〈新盟〉に与した学生たちは副都に移ったはずだった。それはマーシスも学長から報告を受けている。
だが昨日の朝からあの二人の行方がわからず、一日探しまわり、「まさか」と思いつつも国王のもとに行っている可能性に賭け、教授がセイレーネ王妃を頼ってきたところで――彼らは竜の咆哮を聞いた。
姿の見えないナクル人と、ナクルについたという竜の咆哮。それで王妃はすべてを察して教授とともにかけつけたらしい。
目を赤くした教授が首を横に振り、マーシスの前でひざまずいた。
「なんてことだ――国王陛下」
マーシスはうなずく。直答を許す、という意は伝わったようだった。
「陛下より学長に依頼されていたにも関わらずのこの事態。……なんとお詫びすれば」
「……状況を教えてもらえますか」
教授は拳を握りしめ、こちらを見上げる。
「陛下の依頼を受け、学長はすぐに〈新盟〉の加盟国出身の生徒たちを副都に移しました。特にあの二人はとある信頼できる者に託し他とは違う場所に。当然場所はよそには伝えておりません。二人の姿がないとわかったのは昨日の朝ですが――おそらく前日の夜には連れ去られていたものと考えられます」
「信頼できる者、ということですが」
「その者の名をあげられぬこと、お許しください。自筆の書き置きには『患者の様子をみてくる』と」
マーシスがセイレーネを見れば、彼女は黙って小さくうなずいてみせた。――この者は信用できる、と。
「書き置きが確かなら、騙されて外に出たところを、というところですね。二人を拉致した者に心当たりは」
「いくつかは」
言ってから教授は目をそらし、無惨な遺体を見た。
「二人は優秀な生徒で、じき卒業し優れた医師となるはずでした。なによりそれが惜しまれてなりません」
教授はうなだれる。
「アイディ教授。もしよければ、二人の葬儀に加わってもらえませんか。あの二人も、見知った顔に送られるほうがきっと喜ぶはず」
はい、とうなずく教授の頬を涙がつたっていく。
「それと、さっきの〝心当たり〟を教えてもらえるか?」
顔を上げた教授が目を見開いた。
自分は微笑していたつもりだったが、それゆえに一目瞭然だったのだろう。
さきほどの竜の咆哮に等しい怒りは。
※
葬儀はこの場でできるかぎり厳かに、尽きぬ哀悼の意をもって行われた。二人の遺体は同郷の男の手によって故郷に帰ることになっている。彼らの遺品は明日にも大学から届けてくれるという。
夕食をすませ、各軍との連絡も終わり、マーシスは自分の幕舎で横になっていた。その枕元には人の姿をとったサーフィルが腰かけている。
「なぁ」
「だめだ」
今日何度目かという短い言葉の応酬。サーフィルが口をとがらせた。
「あれだけされて誰より怒ってるくせに、なんで焼かせてくらないかな」
「言っただろう、十日は待つと約束した」
「待ちたくないくらいここで一番怒っているくせに」
サーフィルが手をのばし、こちらの前髪をつまんで遊びだした。自分の髪と触感が違うのが面白いらしい。
「……お前があれだけ吼えたのは初めて見た」
寝そべったまま、傍らのサーフィルを見上げれば、彼は今更なにをという顔でこちらを見下ろしてくる。
「怒るだろ。あれは」
と、サーフィルは言うが、この竜が他人のために怒ることはほとんどない。マーシスにとってもあの咆哮は意外であった。
「ああいうやり方で人間を痛めつけるのもどうかというのはあるが、なによりそんなもので俺の王を侮辱したのが許せない」
髪から手を離し、「やっぱり焼いていいか」と青い目がのぞくこんでくる。「駄目だ」とマーシスは同じことをくり返してから息を吐く。
落ちたものが見えた瞬間に、この龍は計算したに違いなかった。この侮辱をどう返せば一番効果的で、もっとも早くことをおさめられるかを。
サーフィルなら人の姿のままでも二人を連れて帰るくらいはできる。わざわざ竜の姿をとったのは侮辱への返礼、もしくはその予告だ。これだけのことをお前たちはした、覚悟しろ、とわかりやすく見せつけるために。
「犯人が見つかったらどうするつもりだ?」
「さてどうしようか」
「……考えてないのか?」
「候補がいくつかというところだ」
あの後、市長と学長宛てにマーシスは書簡を送った。事務文書のように用件のみを簡潔に。不慮の死を遂げた二人についての〝公正な〟調査を希望しているとだけ、淡々と。
怒りの言葉は記す必要もなかった。都の中にいてあの咆哮が聞こえていないはずがない。
二度ほど砂をするような音がした。サーフィルが足をばたつかせて地面をすった音だ。
教授がめぼしい人物としてあげたのは、ハビ=リョウ内の貴族の子弟たち、〈自警団〉と名乗るカナレイア人集団、野盗に近くなっている逃亡兵の集まりだった。どの集まりも怪しいものがあり、複数が手を組んでいたというのもありえる。
「まっとうにカナレイアの法によって裁くというならそれでいい。ハビ=リョウの人間がどうするかだ」
「……お前がそう言うということは、犯人は出てこないな」
「たぶん。――今のわたしにさしだしたところで時間稼ぎにもならないと考えているんじゃないか」
納得がいかない、そう言いたくて仕方なさそうなサーフィルの顔も体も、こう見ると出会ったときよりずいぶん大きくなった。竜と人の成長が同じとは思えないから、サーフィルが自分で調整しているのだろう。
「どうした?」
「お前も竜人も成長が早いなと」
それを聞いたサーフィルが首をかしげた。
「俺は竜としては成長が早いように見えるが、見かけだけみたいなものだぞ、これ」
「普通の生き物は見かけの調整なんてできないんだが」
「仕方ないだろ、中身が同じでも見た目が子供だと舐められるんだから」
「それはわかるが」
「だからマーシスを参考にして、ちょっとずつ成長させてる。背格好とかは割とよく揃えられたと思ってるけどな」
人の姿で並べば背丈も身幅も同じくらい。さらに長いあいだ〝王の真似〟を続けてきたサーフィルだ。揃った二人を目にした人々が「似ている」というのも当然だった。
――だが、少しこだわりすぎじゃないか。
たまにその執着を理解して、強さに引く。
「……寝るか」
マーシスがつぶやくと、ベッドの上にサーフィルの服が広がり落ちる。
その下から竜の姿になったサーフィルがのそのそと這い出してきて、頭から毛布の中にもぐりこんできた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます