10・間隙
その日の夜から、次の戦いの準備が始まった。変わったことといえば、並ぶ面々の傷がいくらか増えたことと、ライスンが軍議に加わったことぐらいだが。幕舎の中でライスンは「降将だから」と円卓につかず、その外側で座っている。
「ハビ=リョウの守りはそれほど堅固ではない」
地図を前に切りだしたのはツォグタイだ。ここに集った王も将も、一度はハビ=リョウに足を踏み入れたことのある者ばかりであるが、その目からしても精緻な地図だった。
「今日の会戦にハビ=リョウ周辺にいた軍を引きずりだせたおかげで、残るはもともとの防衛と近衛がいくらか。今の我々の軍勢なら一気にいけるだろう」
ツォグタイのむかいでメイアがうなずく。
「同感だ。こちらの損害が予測より少なかったことをふまえれば、士気の高いうちにしかけたほうがいい」
その通りとうなずく者が三分の一、残りは。
「〈盟主〉はどうお考えか」
ハッスーフが顎髭を撫でつつ問うてきた。その目線が卓上、マーシスの前に丸くなっている青い竜にむく。
「わたしは、あの都を無傷で手に入れたいのです」
マーシスの答えにハッスーフの眉が跳ねあがる。
「それは、ハビ=リョウを攻めないということか」
「最低限にしたい、ということです」
答えるマーシスの肩にサーフィルがのってくる。どういうわけか、夕方から竜の姿のままでずっと離れようとしない。
「わたしが討ち取りたいのは〈盟王〉と宰相だけ。できれば他の民には被害が及ばぬようにしたい」
マーシスはノウランに目配せする。
ノウランが携えていた紙を円卓の面々に配っていく。その外にいるライスンにも。
「〈盟王〉を討ち、カナレイアという国を分割する。それがわたしの目的です。今お渡ししたものは現在のカナレイア直轄領の分配図ですが――細部はまだつめきれておりませんので、異論があればわたしに」
「――待て」
真顔のジャライルが書面をにらんでからマーシスのほうをむいた。
「ここにはナクルの取り分がないではないか」
その言葉に何人かがあわてて紙上に目を戻す。まず自国の取り分をと読み始めていた者たちだろう。
「……確かにない」
バルトがつぶやき、首を横に振る。
「確かにこれはどの国にもおおむね公平な案だと私はみる。だからこそわからない。このナクルを除いた各国に公平な案は、どなたの考えか」
一瞬だけバルトの目がジャライルにむいたが、ジャライルはそれをそつなく無視した。
この案がクレイグからで、それをごまかすために最初に言ったのだとバルトは考えたらしい。
「わたしです、バルト王」
「……〈盟主〉」
「カナレイア直轄領のうち、隣接するか近いものをそれぞれの国にふりました。残念ながら我が国のそばには適当な直轄領がなかった」
肩の竜が伏せるように体を低くしてから翼をのばした。
「かといって遠方の飛び地を得たところで今の我が国が支えきれるとはかぎらない」
ジャライルが怪訝な顔をする。
「それでよいのか」
彼の取り分は隣接するサジュル州だ。街道沿いで鉱山にも近い、クレイグがずっと欲しがっていた土地。
「身の丈を超えた買い物は懐だけでなく家を損なう。商売と同じようなものでは?」
「確かにそうだが。土地はこれでいいとして、人はどうなさるおつもりか。〈盟王〉以外の王族は」
「……そこは少し迷っていましたが」
率直にマーシスは答えた。
後のことを考えれば、皆殺しにしてしまうのが一番手っ取り早い。母たちが受けた仕打ちをそのまま返すこともできる。
――だが。
サーフィルの翼がぺしりと肩をはたく。
「妃のそれぞれの出身国に戻す形にしようかと」
「殺さないのか」
メイアが驚きとも呆れともとれる声をあげた。
「今のところは、そのつもりです」
どこまでを報復の対象にするか。最初は皆殺しのつもりだった。後に育つような禍根はすべて断つべきとヨウグとノンディからも言われている。
だが今日の戦場を見て心が揺らいだ。
――これだけの地獄を作ったら、もう充分ではないか?
この件についてはセイレーネ王妃に助言を求めた。先達に助言を求めることは恥ではない。
――殿下は、〈盟王〉の一族に報いを望まれますか。
茶色の竜に花の形をした菓子をさしだしながら、王妃は首を横に振った。
――これ以上、〝同胞〟が増えるのを見たくはありません。
くわえた菓子を嬉しそうに噛み砕く竜を見守る横顔は穏やかで、慈愛に満ちていた。きっと〝同胞〟にもそう接してきたのだろうとうなずけるほどに。
その慈愛は慟哭の裏返しだ。自分や仲間たちが受けた痛みを飲みこんで生きることを選んだ――選ばざるを得なかったがゆえの、どこまでも深い慈愛。
「それらを記載した降伏勧告をハビ=リョウの市長と〈盟王〉宛てに出すつもりです。包囲から十日、返事を待とうかと」
「攻めるならその後にということか」
ツォグタイの言葉にうなずいてから、マーシスは円卓の外を見やる。
「ライスン卿におうかがいしたい。――ハビ=リョウが籠城するとして何月もつか」
「一月もてばいいほうだろう」
ライスンの言葉に他の面々がざわつく。彼が断言した期間はあまりに短かった。
「見込みが甘くないか」
ジャライルが顔をしかめる。
「そう言うのなら相応の根拠があるとみたが」
無論、とライスンが応じる。
「本来なら半年はもつはずだった。そのあいだにデグフォイアとリヨンを招集する。私はそう進言したが、パルフェンに無視された」
淡々とライスンは言いながら、自身を見る円卓の面々を見回していた。
「籠城用の備蓄も兵も、前線で決着をつけるためとパルフェンが持ち出した。兵もろくにいなければ、都の民すべてを食わせるだけの食料も残っていないはず」
ツォグタイとメイアがジャライルのほうを見る。パルフェンの後方をついたのはジャライルだ。
「やけに鹵獲した食料が多いと思ったら、そういうことだったか……」
「もし持久戦、にらみあいになっても勝てるようにと。そもそもあやつはナクルにクレイグがついたことさえ知らなかったぐらいだ。見込みも甘ければ読みも甘い」
ため息すら出ない。そんなありさまだった。円卓の面々は十五様の顔で捕らえた敵のことを考え、呆れている。
「四つの街道を封鎖されればせいぜい一月。中に残る兵も民も飢えて死ぬ」
ジャライルがなにかを計算しているような顔になる。
「ハビ=リョウの城壁は高く硬い。門は街道に面した四カ所と南北の二カ所だが、それらをすべてこじ開けるならライスン卿なら何人連れていく」
「装備による。攻城兵器は」
「ある」
「なら門一つあたり五百あればいい」
全員が無言で降将を見つめていた。
――少なすぎる、と。
「三千で、ハビ=リョウを落とせると……?」
面白くないものを聞いてしまったというようにツォグタイが首を振る。それを見たライスンがもっともだという顔をした。
「ツォグタイ公ならもう少し減らしてもよいくらいだ。私は慎重に五百と言ったが、やりようによってはこれより少なくとも問題ない。ハビ=リョウの兵の九割方はパルフェンが連れだしたからな、残りは近衛を足しても一万もいない」
その一万の兵も都市内では展開できない。街路での戦闘、それも守る側ができることはたかがしれている。
全員がマーシスを見た。
「明日まではここに留まり、明後日からハビ=リョウへ移動します。勧告後後十日は待機。その後の攻城戦については勧告の返答次第で」
王と民がどう動くか。まずはそれをみてからだ。それともう一つ。
「アスリングリッドの王妃から、ハビ=リョウの親しい者宛てに書簡を送ってもらっています。そちらは明日中に届くでしょう。そこから各国へ状況が届くのを考えれば、包囲後十日の猶予は悪くないかと」
まずは自軍の回復を。マーシスがそう言うと、諸将はうなずき、おのおのの陣に戻った。
※
一番動きが早かったのは〝同胞〟だった。
翌朝にはハビ=リョウへ書簡が届けられ、その翌日には王妃のもとへ返信が届いていた。早駆けでも常なら二日はかかる距離を、潤沢な替え馬を使い最速で往復した結果である。
各国の王妃・王女たちの返信はおおむね同じ。セイレーネの言葉を信じること、現況を自国に知らせる手紙を送ったこと、自分たちは〈新盟〉に敵対することはないと誓うこと。
驚いたのは、返ってきた書簡の数が王妃の出した手紙の四倍はあったことだ。さすがはノンディが絶賛した相手ともいえたが、セイレーネの人脈の広さは〝同胞〟の数の多さではないかと少し気分が重くなったのも事実だ。
こちらとしては、ハビ=リョウの王妃たちから返事が届いた時点でセイレーネをアスリングリッドに帰すつもりだったが、彼女は「できうるならば」と前置きしてから、ここに残れないかと意外な提案をしてきた。
「他にもハビ=リョウには知った顔がおります。彼らを引きこむとまではいかずとも、敵にせぬようとどめておくことはできるかと」
ためしにその名を訊いてみると、ハビ=リョウ各街区の区長や、様々な職業ギルドの幹部、学者といった、顔が広く地位のある者ばかり。
「……よくそこまでつながれましたね」
マーシスの声にセイレーネはころころと笑う。
「いろんな人とお話をするのが大好きで」
アスリングリッドの王妃に招かれた、とあれば市井の女性は驚きつつも光栄に思い、断るなど考えもしないだろう。男性も同じだ。
「まずは同じ女性から。次にその夫や御家族を。――どれだけ偉い人でも妻には頭が上がらなかったりするのが面白くて」
「当然ただで帰したわけではなく」
「もちろん」
人によって持ち帰るものは様々だったろう。知恵か商機か人脈か。それぞれに有益なものを得るサロンとして、あるいはよそでは渡せぬものを取引する場として、王妃の茶会は機能していた。高貴なる女主人という担保をもとに。
「ならば、おまかせしてもかまいませんか」
民衆が下手に動くことがなければ、こちらも通り抜けるだけですむ。
「誰がどのような返事をしたか、細かく連絡してもらえると助かるのですが――」
二人の目が同時に同じところにむいた。
何故かすっかり王妃のもとが気に入った竜が、テーブルの上でくつろいでいる。
「……不敬でしょうか……」
「報酬が見合えば怒りはしないのではないかと」
この日以来、軍の中を妙にうきうきしたような竜の伝令が飛ぶようになる。
イドラ=ル平原を発ってコード街道を行くこと四日。ハビ=リョウの城壁が見え、〈盟王〉と市長への勧告文を持った使者が発った。
まだ包囲はせず、街道に〈新盟〉軍はあえて包囲を敷くことなく駐留している。
ハビ=リョウ前について二日目。各所からの情報を聞いていたマーシスのもとに客人がやってきた。
儀礼用にこしらえた幕舎にマーシスが入ると、中でこちらを待っている男が手前の椅子に座って頭を下げていた。武装はしておらず、平民の礼服姿だ。
奥の椅子に腰かけ、マーシスは声をかける。
「ナクル国王、マーシス十一世です。直答を認めるので、面を上げてもらえますか」
「お初にお目にかかる、ナクルの王」
こちらを見た男は、相手の若さに驚いているのをなんとか隠していた。二十といえばまだ学内をうろうろしている年だ。下手をすると彼の教え子よりマーシスのほうが若い。
年のころは白髪が目立ち始めた五十代。軍人ではないが威容には臆さぬという意志を全身にみなぎらせているような、気の強そうな男だ。逆にいえばそうして気を張らなければならないような性格なのだろう。
連合軍の中枢部としては質素な幕舎で、一対一。文人相手といえ無防備ではないかと言いたげな顔だ。
「王立大学学長、ドネイト・ロン。このたびは陛下に一言申し上げたく」
「御用件をおうかがいしましょう」
ハビ=リョウにあるカナレイア王立大学は大陸屈指の学問の場だ。
ドネイトがじっくりこちらを観察してから口を開いた。
「市長への勧告文を読んだ。――君は本当にハビ=リョウを攻める気なのか」
君、ときた。思いがけない言葉にいくらか驚きはしたが、些細な動揺を表に出していては王などできるものではない。それに、どういうわけかそれほど不快なものではなかった。
「……懐かしい呼ばれ方だ。昔、父とはぐれて迷子になったとき以来かな」
ドネイトはハビ=リョウ市長への勧告文を読んだという。あれはいわば〝表〟の書簡だ。王立大学の学長なら、別の方向から――大学関係者に届いたセイレーネの手紙を目にしている可能性は高い。
それを口にしないのはわざとか、あるいは見ていないのか。
――あとで学内の派閥を聞いておこう。
「学長。わたしは、なにか一つの分野を研究したということはない」
語学や各国の歴史、数学や地学など一通りさらったが、あくまでさらったていどだ。それでも学習できる環境にあっただけ恵まれているといえるのだが。
「だがどんな論文・研究であれ、嘘を書くものではないというのは、わかる」
「あれは、嘘ではないと」
「すべてはあの書簡通りです。〈盟王〉が降伏するか否か。下るのなら我々はここを去るだろうし、降らないというなら攻める。攻めるとしても、できるだけ他の者に被害が及ばないようにしたいとは考えています」
「……」
まるでなにかの試験のようだ。こういう一対一の面談というと、自分はどうしてもヨウグやノンディを思いだしてしまう。
「そもそも何故王都を攻める」
「〈盟王〉を討つためには王都を落とす必要がある。だからそうするというだけです」
「そこまでして〈盟王〉を倒し、カナレイアを潰したいか」
「ええ」
こちらの即答にドネイトが黙る。
「学長。大学内にナクル人は何人いますか」
「学生としてなら二人はいたが」
すぐに出てくるあたり、千人近い学生のことをきちんと把握しているらしい。
「大陸一といわれる大学に入学できたのが二人。――それが我が国の現状です。今のままではそれすらできなくなる」
名前からしてドネイトは直轄領の出身だ。属国の話を耳にしたことはあっても、現状を体感したことはあるまい。
「そのために〈盟王〉を」
「はい」
〈盟王〉がいるかぎり、ナクルという国に先はない。じりじりと沈み、いずれは貧しい直轄領となるだろう。それだけは我慢ならないというのは、王の矜持ゆえであり、同時に私怨だ。
他の国ならまだいい。だがあの〈盟王〉の下というのは。
「本当に市民には手を出さないと確約できるのか」
「確約はいたしかねます。なにが起こるかわからないのが戦争なので」
「……陛下の言には一理あるが」
しばらくドネイトは考えこんだ。
「では言質を一つ。我等の軍は大学内には入らない。これでいかがです」
「そちらは確かか」
「先ほどのものよりは守らせやすいといえます。その代わり一つ条件が」
ここまで気にせずともよいのかもしれない。だが自分が訪れたハビ=リョウという都とその人々は、どれだけ警戒してもしすぎるということはないものだった。
「――ナクルの学生を安全なところに移すことはできますか。できれば他の〈新盟〉加盟国出身の者たちも」
開戦と同時に、国外にいるナクルの民には安全な場所に移るよう通達は出している。だがすべての人間が容易に移動できるはずもなく、自らの意思で留まる者もなくはない。
「それくらいならなんとかなるだろう。――しかし王よ」
「はい」
「君は、新たな〈盟王〉になるつもりか」
人は皆、似たようなことを考える生き物らしいと、頬がゆるんだ。
「あんなのになるくらいなら自分の首を切ります」
なにを読み取ったのか、すっとドネイトの表情が消えた。
「――ナクルの王」
「はい」
「その功罪はどうあれ、〈盟王〉は偉大な、歴史に名を刻むべき者だ」
「はい」
それは認める。代々続いたカナレイアという国を大きくし、他の国を属国となさしめた――英雄ともいえる人物だと。
二十代後半で王位を継いで以来、ただのカナレイアの王ではなく〈盟王〉とまで呼ばれるほどの王になったのは、まぎれもない当人の才覚ゆえだ。
「それを君は討つという。試験直前の学生ほども動揺せずに、かつての〈盟王〉よりも若い年でだ」
この人には、自分は静かに見えるらしい。サーフィルがここにいれば眉をひそめただろう。「こいつはなにもわかっちゃいねえな」と。
「この会談を記録しておくべきだったな。この先がどうあれ」
「先ほどの件なら貴方がこの陣を出るまでには書面でお渡ししますが」
「いや、その件は信用している。こちらは一人の研究者としての感想だ」
そう言った学長がようやく肩の力を抜き、ふっと息を吐いてから続けた。
「君との対話はそれ自体が貴重な〝歴史〟になる。いや、必ずそうなるはずだ」
真摯な目を前に、マーシスは従者を呼び、筆記具と紙をもってこさせた。先ほどの約定を愚直なほどの飾り気のない文でつづり、署名する。
「できればこれ以上の被害は出したくない。これはわたしの偽りない本心です」
インクが乾くのを待ってから、マーシスは書状をゆっくりと丸めてドネイトに手渡す。
「学長からもお伝えください。我々は無駄に命を奪うつもりはないと」
「……承知した」
ドネイトはしっかりとうなずき、大事そうに書状を懐中に入れて立ち去った。
感触としては悪くない。学長の言葉が周囲にどのくらい響くかというところだろう。
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