8・イドラ=ル会戦(2)~前線にて
中央部に戻ると、陣の跡があるばかりで生きている兵はいなかった。左翼のツォグタイたちも北へ前進している。ライスンの離反に応じた進撃だ。
チェイルとネイリフの率いる兵は合計約二万。二万強のアスリングリット軍とそれぞれ三万弱の両翼で半包囲まで追いこめば、勝利は見える。
マーシスは空を見上げた。まだ鈍く垂れこめる雲の中にかすかに、黒い影が見える。
「――陛下?」
「少し、早いな」
これではおそらく包囲まで一刻みかかるかというところだ。兵数でいうと残る一軍、パルフェンの軍のほうが前の二軍より多い。兵だけなら前二軍の倍ある。そちらも仕留めるための策は今まさに動いているところだ。パルフェンの軍に一撃与えるならもう半刻みほしいところだった。
「サーフィルの位置はわかるか」
横の竜人兵――隻眼のキーズィがうなずく。竜は竜を感知する。竜人たちがいうにはその中でも特にサーフィルは「わかりやすい」という。
「一人、あれに伝えてくれるか。『予定より早まるだろうからそのままつっこめ』と。あれと同行している軍にもだ」
キーズィの横にいたヤーシュが復唱し走りだした。
「陛下、我々は」
「もう一度左翼に戻る。左翼の端だ」
ライスンの西側にメイアとバルトの軍がいる。
敵の、ネイリフとチェイルの軍が崩れるならば西からだとマーシスはみていた。先にしかけたライスンに続いて右翼のツォグタイとハッスーフが攻撃に入っている。この二軍をもちこたえたとしても、すぐにこちらが包囲しようとしているのを兵たちは理解するだろう。そこから逃げるとすればまだ「翼が広がりきっていない」西側しかない。
彼らの立場なら、まず後方にいるパルフェン軍と合流というのが本来の道だろうが――。
「そこまで士気は高くない、な」
その場にとどまって奮戦するだけの理由が二軍の兵にはないことは事前に調べてわかっていた。直轄領の男性と傭兵で構成された軍は、両者のあいだに溝があり、別部隊とせざるを得ないことも。
「……パルフェンの動きがありませんね」
逃げてはいないが、前の二軍を助ける様子もない。ライスン同様に使い捨ての壁とみなすから、今のうちに逃げるべきなのだが。
「じっとしていてくれるほうがこちらは助かるな。――すまないが、もう一働き頼む」
竜人兵たちを見回し、マーシスは言う。彼らの誰一人、血と泥で汚れていない者はいない。だが顔は活気に満ちている。
「陛下とナクルのために戦える。これほどの喜びはありませんとも」
キージィが満足げに答える。
「西に戻る。掃討戦のようなものだが――兵は積極的に追わずともよい」
「かしこまりました」
先に駆けだしたのはヤーシュたちだ。その後にマーシスが、五十人の後衛が続く。
――ネイリフは本来の力を出せれば手強いが。
ネイリフ・ホウリイはたたき上げの将だ。かつてはそれなりの将であったらしいが、近年は後輩の昇進をやっかみ酒に逃げることが増え、酒浸りで無気力になっているという。実際に、今日の布陣も精彩を欠いているとジャライルが笑っていた。
もう一人の将、チェイル・ビルンガンは、エルスト国出身の野心家だ。
チェイルはパルフェンの娘婿にあたるが、五百人以上の兵を率いたことはない。軍の評判はあまりよろしくなく、成果よりも縁故で出世してきた男だった。〈盟王〉の信を受けるパルフェンの娘を娶り出世を企んでいたようだが、そのパルフェンの力が宮廷内で低下していることにじりじりしている。
そこにつけこんだのがノンディだ。クレイグの使者を装い、あれこれとあることないことを吹きこみ、パルフェンとの仲を微妙に離している。
二軍ともにパルフェンのために全力を尽くすことはないだろう。この二つを崩せば残るはパルフェンの四万。これに逃げられハビ=リョウの防衛につかれると面倒だ。
中央の戦場あたりから歓声が聞こえてきた。
「……どちらかが落ちたな」
つぶやきつつマーシスは先を急ぐ。いずれ結果は知れるだろう。今はメイアたちに追いつき追い抜くことだ。
駆けに駆けて四分刻みほど。マーシスたちは主戦場の北西側にいた。キージィがこちらを見る。マーシスがうなずくと、竜人兵たちが鬨の声をあげた。
「リィラ・ルィラ・フィアマーシス!」
声とともに九十余人の竜人兵が突進する。彼らがメイアたちの援軍となったことは大きかった。一見してわかるほどに直轄軍の勢いがなくなっている。なんとか生きのびる道を探そうとめいめいに動きだし――それはもう軍としての統制がなくなったことを意味している――武器を捨てる者、背をむけて走りだす者、へたり込み動かない者。そんな者たちを叱る者が入り混じり、混乱しているのがわかる。ここまでくれば将がまとめるのも不可能だろう。
――それでも、パルフェンのもとには行かないのか。
降伏する者、逃げだす者はいるのに、戻って戦おうという者は見かけない。こちらには好都合であるが、よほどカナレイアの中は限界のようだ。
陣が薄い――わざと開けてあるのだが――西側に気づいた兵がなだれこんでくる。ひたすらに戦場から離れようとだけ考える――もうそれは軍でも兵でもない、ただの武装した群衆とでも呼ぶべき者たちが、波のようにマーシスの横、北側を駆けぬけていく。
もし彼らの中に戦意が残っており、周囲をよく見る者がいたら、一騎のみ明らかに装いが違う将がいたことに気づいたかもしれない。ここでマーシスの首をとればこの戦もひっくりかえろうというものだが、皆それどころではなかった。
誰もマーシスたちを顧みることなく、煙る雨の中、泥にまみれ転びながら立ちあがり、一心不乱に駆けぬけていくばかり。
――中衛二軍崩壊。
これで残りはパルフェンの本軍四万。こちらの損害すべてを把握できているわけではないが、ライスン軍と合わせて推測するこちらの残存兵力は八万前後。正面からぶつかっても余裕のある数だ。
兜の端から雨が落ちる。それもだんだんとゆっくりとなってきていた。雫が落ちるむこうから、突撃した竜人兵たちが戻ってくる。
「損害は」
と冗談めかして訊いてみれば、ヤーシュが「剣が十本というところですね」と、敵からかっぱらってきたとおぼしき剣をこづいてみせた。
「チェイルがライスン軍に捕らえられました。ネイリフのほうはハッサーフが捕らえたと」
「それはいい知らせだ」
ヤーシュがようやく薄くなった人の波――逃亡兵のほうを見やり、不思議そうな顔をした。
「……逃げた先に、なにかあるのでしょうか」
ヤーシュたち竜人兵にはわかりにくいものなのだろう。生まれてからずっと、ナクルで兵士として育ち、それからを戦場ですごした者たちには。
自分もまた、逃げるという考えなどなく生きてきたが。
「生きていれば、意外となんとかなるものらしい。わたしには遠い場だが」
竜人兵もナクルの民だ。この戦いが終わったら彼らの望むほうへ進ませるのが自分の務めであり、かけがえのない約束だった。サーフィルと同じで、彼らは外見よりずっと若い。
オーシャが言うには、皆ナクルに戻って暮らすことを楽しみにしているという。そのときには自分もできるかきりのことをするつもりだが。
ライスンの軍が前進している。それに合わせて両翼も。昨日の軍議で、パルフェンのみとなったら「止まれと言うまで進んでよい」と両翼の主力には伝えてある。
「……パルフェンの動きが悪すぎませんか」
「そうだな」
まるで前方が見えていないようでもある。
「少しずるい手を使った。ここの皆ならわかるだろうが」
マーシスは空を見上げる。雨は弱まりつつあるが、雲はまだ低く厚い。
「……陛下でしたか。てっきりサーフィル様かと」
「まあそうだろうな。普通の人間ならまずしない」
できうるなら、という今回の戦の中でも成功する可能性が一番低かったものが覿面に効いたらしい。それに気づく者がいるとすれば、竜人兵かサーフィルだが。
「――陛下!」
キージィが声をはりあげ北の空をさす。その指の先に、ぼんやり光る矢があった。最後の策の合図だ。
「兵は無視してかまわない。まず将を狙え」
皆がうなずく。
「陛下は」
「もちろん、わたしも行く」
弓を手にしたマーシスを、キージィが困ったように見上げてくる。
「どうした」
「サーフィル様が怒りそうだなと」
「……あれは最初から怒っている」
今回の作戦を聞いたとき、サーフィルはあからさまに不服な顔をした。
王がわざわざ出るなと。出るなら自分が横につくというのを説得して、百の遊撃隊になってもらったが。
「それでも、あれがわたしの意を叶えなかったことなんて、一度もないんだ」
※
雄叫びが、咆哮が戦場に広がる。戦場の最北から、無傷の軍が鬨の声に戦鼓を重ねた。
北にいるのは無傷のクレイグ軍三千と、サーフィル率いる竜人兵百だ。クレイグは南で派手な音を立てて目を引きつつ、一部を大回りさせてパルフェンの背後に進んでいた。その先導がサーフィル率いる百の竜人兵だ。三千百の兵がパルフェンの背後をついた形である。
後方に回れるほどの兵を割ける数を揃えているのはクレイグ軍ぐらいだが、そこにサーフィルをつけたのは、竜人兵の移動力突撃力を期待したのと――クレイグが〝なんらかの理由〟で動かなかった場合を警戒してのことだった。想定通りに二軍が協同できたならそれはそれでよし、いざとなってもサーフィルたちなら対処はできる。
東はツォグタイとハッスーフ。南にライスン。西にメイアとバルト、そして己がいる。先ほどの半包囲とは異なる完全包囲だ。それをパルフェンの全軍が理解したときにはもう遅い。気づいたときには手遅れだ。
「行こうか、最後の仕上げに」
マーシスが馬を進めるのに合わせ、竜人兵は進む。最初はゆるやかに並足で、だが戦場に近づくほど歩は早まり。
「リィラ・ルィラ・フィアマーシス!」
誰のものとも定かならぬ声に、他の者が唱和する。すでに戦場では名高い不屈の兵たちが吼える。
前方にいる衆がより大きく見えてきた。位置からして自軍ではない。そこにむけ、マーシスは弓を引く。退けとばかりに射た矢は恐慌のただ中、なにをすればと惑う兵長の肩を射抜く。
新しくやってきた軍勢がもっとも軽装であるのに気づいた敵兵が、腰をぬかしてへたりこむ。仰々しい防具を必要としない竜人兵の話を耳にしていたのだろう。来るなというように振られる剣を皆が無視した。抗う者は打ち倒し、人であふれた場に〝余白〟を作ってひた走る。なにに駆られたか、時折こちらに挑んでは負け悲鳴をあげる者がいたが、この蹂躙の場ではささやかにすぎた。
一方的すぎる〝移動〟に、血の臭いが濃くなっていく。これを招き、作ったのは己だという苦さを飲みこみ、マーシスは馬を駆る。
全方位からの一斉攻撃による恐慌はひどいものだった。
恐怖であれば、勇気をふりしぼれば立ちむかえる。混乱であれば、理性を蘇らせれば回復できる。だがその二つが同時に襲いかかってきたとき、恐怖は理性を覆い、混乱は勇気を蛮勇に変えてしまう。こうなってしまえば立て直すのは至難の技だ。
こだまするのは己を勇気づけるためでなく、ただ死から逃れたいという本能ゆえの発声。連携などももはやなく、個々が持てる武器を闇雲に振りまわし動いているにすぎない。そんな声が、剣で矢で、槍で馬蹄で、盾で拳で、無情に断ち切られる。
威嚇も悲鳴も憤怒も命乞いも、あらゆる声が断たれていくのをマーシスは聞き流して進む。そうして聞き流していくうちに耳は慣れ、細い雨の音同様に意識の外側へと移っていく。
白い、雨に濡れた幕が見えた。マーシスたちはその中へつっこむ。
陣の深くまで来ても、恐慌の中にあることに変わりはなかった。他よりも豪奢な様子と旗からして、ここが本営とみるのが妥当だが、人の、兵の質は外側と大差ないらしい。呆然と乱入者を見つめたままま槍を手に立ちつくし、はっと正気に返った男がしたのは、槍を捨て逃げることだった。
並足まで落とし、ぐるぐると円を描くように馬をめぐらせ、マーシスは様子をうかがう。竜人兵たちが旗を倒し、並ぶテーブルや椅子を次々とひっくり返す。
「陛下!」
本営の端、一番大きな木箱の前で叫んだのはドーバルだ。
マーシスは馬を近づける。ドーバルが砕いた箱の中、白髪の男が頭をかかえ震えていた。戦場だというのに兜も鎧もつけていない。
「顔を」
王の声を聞いたドーバルが男のあごをつかんで持ちあげる。白い眉の下の垂れた目には涙がにじんでいた。
――あのときは違う顔だった。
今回出陣した敵の中でただ一人、マーシスが知っていたのがカナレイア王国第一軍総司令、パルフェン・ノウだった。ナクルから出た男性は多くが彼の麾下に入れられていた。ゆえに話をしないわけにはいかなかったのだ。
――母君たちは残念なことでした。
――治療の甲斐なく亡くなられたと。
九年前、そう言って親しげに悲痛な顔を作ってみせた男が、泣いている。
「答えろ、パルフェン」
マーシスは馬からおりてパルフェンの前に立つ。
「わたしの家族がどうなったのか、お前は知っているはずだ」
かぞく、とつぶやいたパルフェンの目が丸くなる。ようやく目の前にいる相手が誰か理解できたらしい。
「ナクルの……マーシス十一世……」
パルフェンがさらに震えだす。逃げることはないと判断したか、ドーバルがパルフェンから手を離した。パルフェンは木材の上にくずおれ、こちらを見上げている。
「そうだ。――降伏勧告の前に、一つ訊きたい」
捕らえた後ではそれだけの余裕がないとみてのことだ。だからこれは、たとえこの戦争に関わりないことであっても、どうしても先に訊いておかねばならなかった。
他のどんなものよりも、己の根幹に深く根差した疑問だったから。
「わたしの家族は治療の効なく亡くなったと、九年前お前は確かにそう言った。――ならば、わたしの家族はどこに葬られたんだ?」
小刻みに震えるパルフェンの顔が真っ青になっていた。その顔を細い雨が打つ。
「し、知らない。私は本当に知らない」
「だったらそれほど脅えることもないはずだが」
人が怯えるには理由がある。そう師は言っていた。それは他が己より力を持っているときか――己の中に後ろ暗いものをかかえているときだと。
「本当に、本当に知らないんだ。あの後どうなったかなんて私は」
「あの後?」
己の失言を悟ったパルフェンが硬直する。これは完全に、やましいことが、怯えるだけのものが――それもかなりのものがある顔だ。
「――なにがあった」
宰相に招かれた、とパルフェンがしゃくりあげる。
「しかたなかったんだ、あれは。私でも断ればどうなるか。わかるだろう、陛下ににらまれれば我々も危ない。そうだ、私は宰相に呼ばれて王の相伴にあずかっただけだ」
言葉数が多い。内心の恐怖が言葉を無駄に速め、命乞い代わりの饒舌を呼んでいた。
「ああ、私だけではない。チェイルもだ。いやもっと、他に何人もいる。知らない顔もいた。皆愉しんだ。あのときは『大層具合がよいから特別だ』と陛下もおっしゃったから特に人が多くて、私だけが悪いのでは――」
ないはずだ、と言いたかったのだろう。
パルフェンが唾を飲む音が聞こえた。
彼の眼前に、マーシスの剣がある。その切先は眉間から指二本分しか離れていない。
「わかった。……よくわかった。礼を言おう」
声が出たことに驚くほどに、口も喉も乾ききっていた。
剣を握る手が熱い。思考は明晰なのに、別のなにかがひどく重かった。内側からどろりと昏い感情があふれてくるのがわかる。嘆きに似て熱に近い――憎悪が澱のように蓄積する。
抜いた剣をこれ以上動かさないのは、この男をただ殺すなど耐えられないからだ。
生きたまま、できるだけ長く苦痛を味わうような方法は、とマーシスは唇を噛みながら考える。――そうでもしないと今にも叫びだしてしまいそうだった。
どす黒い、吐き気のような怒りと、それと対極の冷たさが自分の中で蛇が這うように絡み、うごめいている。
この男の恐懼は、己の所業の裏返しだ。
そう、ただ酒席をともにしたというなら、ここまで怯えることはない。
「貴様は捕虜として扱う。吐かせたい情報などもうないから拷問もないだろうが」
両手両足を折り、生きたまま朽ちらせるか、それとも火で煮詰めていくか。それでもまだ、母が受けた仕打ちを思えば生ぬるい。
「ライスンあたりが良い案を出すだろう。それまでは」
マーシスは顔を上げる。
耳に届いたのは全力疾走といっていい、勢いのありすぎる足音。
一瞬のことだった。
足音が後方で止まったかと思うと、パルフェンがいきなり吹っ飛んだ。雑にどけられていたテーブルにぶつかって止まったパルフェンが、泡を吹いて気を失っている。
「よし、生きてるな」
パルフェンを蹴飛ばした騎士がふんぞりかえる。
「ならその泡吹いてるのは縛って連れていけ」
王と揃いの、色違いの鎧を着た騎士がふりかえり、マーシスの剣をとる。
「なにがあったか知らないが、落ち着けマーシス。お前がおれより怒ってどうする」
「――サーフィル」
視界の隅で、縛りあげられ、外へと連れ出されるパルフェンが見えた。
「頭は冷えたか? まだだって言うなら一番大きいほうの俺になって顔舐めるぞ」
「……それは遠慮したいな」
ほれ、と剣を返される。受け取った剣を鞘におさめ、息を吐く。まだ強張ったままの肩をサーフィルがこづいてきた。
「わかるだろ。お前の勝ちだ」
外から一際大きな歓声が聞こえてきた。ツォグタイかメイアあたりにパルフェンが引き渡されたのだろう。
「そうか、勝ったんだな」
口にはしたものの、まだ実感はない。サーフィルの言うとおり戦闘には勝ったのだろうが、この後始末と同時に、次の戦い――ハビ=リョウを落とす準備を始めなければならないことを考えれば、まだ先は長かった。
「戻ろう。他の奴らが待ってる」
「……ああ」
サーフィルが小走りで自分の馬のもとにかけていくのを見てから、マーシスも馬に乗る。
いつのまにか、ここにいるのは自分たちだけだった。他の者は逃げたか連行されたか、竜人兵がひっくり返した調度があるばかり。
マーシスが馬を進めるとサーフィルが横に並んできた。竜人兵たちがその後ろにつく。
「だいぶ落ち着いてきたみたいだから言うけどな」
サーフィルが馬を寄せつついくらか声を低くして言う。
「次に今回みたいな作戦を立てたら、お前かっさらって逃げるぞ」
「まあ綱渡りもいいところだったからな」
「ごまかすな。俺が言ってるのはお前のことだ」
パルフェンの陣を出ると多くの兵がいた。馬上の人物が誰かわかった兵が次々に声をあげ、その声が伝播していく。
それを聞き流すようにサーフィルは言った。
「お前、自分になにかあっても俺がいるから大丈夫だとか考えただろ」
マーシスは歓声に耳を傾けるふりをする。どこから広まったのか、ナクル人以外がナクル語で王を呼んでいた。〈竜を従えし王〉と。
「お前の代理はまだいい。俺を使い潰すのも。だが後継というのはお断りだ」
その通りだった。今回の作戦は自分とサーフィルが別行動をとることが大前提だった。ライスンの説得は自分のほうが成功する確率が上がるだろうし、なによりパルフェンを問いただしたかった。
前線に出れば危険は増す。もしその場で自分に〝なにか〟あろうとも、サーフィルは必ず〈盟王〉の首をとるだろう。彼には志半ばで斃れた〈盟主〉の代理としても充分な戦績と格がある。少なくとも〈新盟〉はこの戦争が終わるまではもつ。そしてナクルだが――なんだかんだいってこの竜がお気に入りの多い国を、自分とすごした国を見捨てるとは思えなかった。
ずっとこの竜はこのことに怒っていた。誰より王の命に従いながら。
この竜がいつマーシスの意図に気づいたかなど明白だ。作戦の概要を聞いたときからに決まっている。
「わかった。もうやらない」
王たちの両側で歓呼の声があがっている。
死んだ兵の前で。痛みにうめく兵の横で。生きて勝った者が好き好きに声をあげ、死んだ者負けた者が伏して黙っている。誰もかれもがぼろぼろで、泥だらけでひどいなりだった。違うのは生きて勝利を得られたかどうか。馬上から見えたのは歓喜ではなく無惨さだった。
自分が望んで作った地獄。その中央を王と竜の馬は行く。折れた矢を踏んだ音がした。マーシスは不快だと言いたげに頭を振る馬の首を撫でてやる。この馬も朝からよく走ってくれた。
「次は〈盟王〉の都だ。代理も後継もない」
そうつぶやいてから、視界が前より明るくなっていることに気づく。
雨があがっている。歓呼の声がよく響くのもこのおかげか。
南に進むごとに、味方の兵が増えていく。歓声もより大きくなった。
「笑えるか、マーシス」
まっすぐ前を見たまま、サーフィルが言う。
「勝ったほうの頭が辛気臭い面してたら、士気が下がる」
まだ内心の澱は消えていない。それも――理由こそわからないだろうが――この竜は見抜いているはずだった。
「落ちこんでいるように見えるか?」
「まだ戦場の中にいるように見える」
マーシスは左腕を手綱から離し、自分がさっきされたようにサーフィルの肩をこづく。
「なんだよ」
「ありがとう、サーフィル」
――やはりまだ冷静にはほど遠い。礼を言っていなかったことを今頃思い出した。そばにいるのは誰よりも一番先に礼を言わねばならない相手のはずなのに。
「お前がいたから、ここまでこられた」
歓声の中といえ、少しよろめけば互いの足があたりそうなこの距離た。聞こえていないはずはないのに、こちらを見る竜はなにも言わない。
「サーフィル?」
「……その顔ができるなら、もう大丈夫だな」
それだけ言って、ぷいっとサーフィルは顔を横にむけた。らしくもない、不思議な照れ隠しだった。
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