6・参陣(2)

 次の戦いについての算段と諸々の報告からの宴はおおいに盛りあがり、ツォグタイが上機嫌で寝息をたてはじめたのを機にお開きとなった。

 宴の最中、マーシスたちの横には入れ替わり立ち代わり誰かがやってはてはさまざまな話をしにきていて、こちらが杯を干す間もないほど。

 オーシャの迎えを受けてマーシスたちが自軍に戻ったのは月が傾いたころだったが、こちらでも合流を祝うささやかな宴が続いている。マーシスは彼らと話し、互いに再会を祝した。

 従者を連れず、肩に竜をのせたマーシスは自分の幕舎へと入る。簡素な作りはゴーチェが寝泊まりする山小屋を思わせた。中には組み立て式のベッドとテーブルと椅子、それに身の回りの品が入った木箱がいくつか。戦場といえ、君主の居室と考えれば質素がすぎるといってもいい。

 サーフィルがベッドへ飛び、横たわる。人のベッドの上で背伸びし、左右に大きく翼を広げるのを見て、思わずマーシスは噴きだした。

「……苛烈とか、いったいどれだけ暴れたんだお前は」

 後ろ足で翼の先をかき、翼と首をのばしてくつろいでいる竜の姿からは、とても出てきそうにない言葉だ。

「そりゃあお前が来たときに恥ずかしくないようにだな。突撃したり突っ込んだりぶっこんだり」

「全部同じだろそれ」

 どの兵もぼろぼろになるはずだ。一番堅牢な作りのはずのサーフィルの鎧さえ傷だらけなのはそういうことで。

「あと、朝ごと昼ごととかな」

「あー、あれな。見られているとは思わなかった」

 おそらく他人からは、主君と故郷を思うさまに見えたのだろう。当の竜は陣に戻ってすぐ「早く夜にならないかな」とふりかえり、昼になれば「あと半分で夜だ」とうきうきしていただけに違いないのだが。

 ベッドでうつぶせになり、サーフィルはくつろいでいる。

「竜人兵たちも喜んでたな。お前が率いてきたの、ほとんどがあいつらの知り合いなんだろ?」

「志願者を募ったらそういう人物が多かったんだ。自分が面倒をみていた竜人たちが前線にいるのなら、なんとか手伝いをしたいと」

 その中でも長い移動に耐えられそうな者を選び、輸送や後方支援につけた。懐かしい顔に会った竜人たちの喜びようといったら、オーシャも驚くほどだったらしい。彼らには一番の褒美になったとオーシャも笑顔だった。

「陛下」

 幕舎の外からノウランの声がした。

「御客人が二人」

 予定はなかったし時間が時間である。だがノウランが断らなかったということは、相当の人物のはず。

「通してくれ」

 しばらく鎧を脱げなさそうだとサーフィルを見れば、ベッドの上で平たさ薄さを追求している。

「深夜にすまない、マーシス王」

 入ってきたのは銀に近い金髪の男と、黒髪に象牙色の肌をした男だった。ともに武装を解いた平服だ。さきほどの円卓ではマーシスの斜め向かいにいた壮年の二王。

 金髪の男はキルシュの王、バルト・ニングル。もう一人はチルギスの王、ハッスーフ・リンだ。

「こちらこそ、椅子の一つもなくて申し訳ない。適当に座ってもらえると」

 ――こういうときのために余裕はもっておくべきだ。二人からすればこういった幕舎は好ましい部類だろうが、君主としてだけでなく、客を迎えるにはいくらかのゆとりが要る。

 特に気にすることもないように、ごく自然に客人二人は近くの木箱に腰かけた。マーシスが椅子を彼らのほうにむけて座れば、ベッドにいたサーフィルがひらりと肩にのってくる。

「まずは無事の御到着、お祝い申し上げる」

 バルトが肩に拳をあて、軽く頭を下げた。彼の国での感謝を伝える際の作法だ。

「またサーフィル卿を通じての御厚情にも」

「こちらも同様だ、マーシス王」

 ハッスーフが頭を下げる。

「我が軍が不意を突かれたとき、サーフィル卿が駆けつけてくれていなければ、総崩れになるところであった」

「御礼を申し上げるのはこちらのほうです」

 マーシスは二人の王を見て返す。

「この若輩の挙げた兵に御二方が真っ先に駆けつけてくださらなければ、今の〈盟〉はなかった」

 二人が顔を上げる。

「そうおっしゃっていただければ幸いだ。――今日のことも、依頼を受けていたのにたいして動きもできず」

 ハッスーフが目を伏せた。

 会合の場でナクルを中心とする流れを作る。必要であればキルシュとチルギスの王二人がそれとなく動く――という内々での合意はできていたのだが、その必要はないまま今日の会合は終わった。

「ティヌーブが動いてくれたのは好都合でした。後でかの御老にも御礼を申し上げねばなりますまい」

 ここであえてマーシスは言葉を区切り、二人の王を見た。

「とはいえ――御二人とも、ただの挨拶に揃ってみえられたわけではないでしょう」

 マーシスの正面で二人の王がうなずく。

 切りだしたのはハッスーフだ。

「――率直に申し上げる。〈盟王〉と宰相を捕らえたあかつきには、一度我等に委ねてはくれないか」

 予想外の申し出に、自分でも目元が強張ったのがわかった。背中にサーフィルの尾が当たる。素が出ているぞと言いたいのだろう。

 捕らえた敵をどうするかは、勝者の、その中でも最も権威ある者が決めるもの。そんな戦のならいを、この二人なら十二分に理解しているはずだった。

「理由をお聞きしても?」

 今までの書面を通じたやりとりから、二人の気性や思考、知恵はおおむねわかっている。この二人が意味なくこのようなことを言いだすとは考えられない。

「我が家族の行方を知りたい」

「御家族の」

 またサーフィルがぺしりと背をたたいてくる。

「叔母と妹だ。――キルシュの王は」

「弟と甥が二人。ともにハビ=リョウに留学して、戻ってこなかった」

 この二人が真っ先にナクルに呼応した理由がわかった気がした。もちろんそれだけで兵を挙げたわけではなかっただろうけれども。

「病死だとは聞いたが、遺体も戻ってこなかった。誰もなにも語ろうとしなかった。もう二十年以上前のこと、二人が生きて戻ってくるとは思わんが、せめてなにがあったのかぐらいは知りたいのだ」

 推測はできた。〈盟王〉の都で自分が見聞きしたことを思い出せば、自分のような目にあった者が一人や二人、十や二十でないことは。

 マーシス王、とバルトが呼びかけてくる。

「あの王の首を、とまでは言わない。ただ仔細を聞くだけの時間をいただけないか」

 こちらにむけられた真摯な、必死ささえあるまなざし。それからマーシスの脳裏によぎったのは、かの都で目にした諦観の微笑だった。次いで、それらを嘲笑うような憐れみをとりつくろうような親しげな微笑。

 前にいる二人も同じような微笑をむけられただろうことは想像に難くない。

「……わたしの後でもかまいませんか」

 後、という言葉に二人は感ずるものがあったようだった。

「父の気持ちが、今になってよくわかるのです。十才の末子に王位を譲ってでも次へとつなごうとした気持ちが。妻と留学した三人の子が『病死した』とだけ言われ、それでも黙っていなければならなかった気持ちが」

「……王もか」

 ハッスーフの声にマーシスはうなずいてみせる。

「九年前、あの都の誰に訊いてもわたしの問いに答える者はいなかった。今度はそうはさせません」 

 三者の目が合う。それでもう意は通じていた。

 ハッスーフとバルトが肩の力を抜く。それからハッスーフがマーシスでなく、その肩の竜に目をやった。

「それと王よ。――これは戦とは関わりないことなのだが」

「なにか」

「サーフィル卿は〈盟王〉の眼前で生まれた竜では?」

 ハッスーフの言葉にどう答えたものか、マーシスは少し考える。別に隠すようなことではないが、肩の竜にとってはあまりつつかれたくない話題のはずだ。

 ハッスーフが続ける。

「八年前のあの〈御召し〉の場に私もいた。私の国にいる〈竜の友〉というのが、腹違いの弟でな」

「……それで」

 サーフィルのほうを見てみれば、特に怒りはしていないようだった。

「弟があの場で『こんな場で生まれるなんてよほどのことだ』『あれほどの竜を苦痛の中で晒すなど』とうろたえていたのと――生まれた竜があまりに弱々しく、素人目にも死にそうだったのはわかったから、よく覚えている。青は、それも混じり気のないものは希少だと弟は言っていたが」

「……その竜は確かに俺だ」

 サーフィルが首を前にのばす。

「〈竜の友〉が身内にいるのなら察しがつくだろう。あれは俺にとって屈辱の極み。人の姿をとってでもあの王の首をとれる者の下につくだけのことがあるのだと」

「今日、得心がいきました」

 ハッスーフがゆっくりと深くうなずいた。

「サーフィル卿のことを弟に伝えてもかまいませぬか。あれはずっとあのときの青い竜のことを気にしていたので」

「ああ。見たままを伝えてくれるぶんには好きにしてくれ」

 それからなにをひらめいたのか、サーフィルはベッドへと飛んでいく。そのまま毛布に首をつっこみもぐりつつ言うには。

「マーシス、戻るぞ」

「待て!」

 あわててマーシスは立ちあがった。やりとりの意味がわからずにいる王たちをよそに、ベッド脇の木箱の蓋を開けて中身を探り声をかける。

「なんで今なんだ、お前は!」

 適当に目についたものをベッドに投げてから、マーシスは王たちにむきなおる。

「……なにぶんああいう気まぐれな竜で、今までにも御見苦しいところがあったかと思うが、それもこの場でお詫びしたく」

 戸惑う王たちから返ってきたのは、こちらの想像とは正反対の言葉だった。

「いや、サーフィル卿ほど気品と礼節を備えた御仁はおらぬというほどだが……」

「卿の高潔なることは〈盟〉の誰もが知るかと――そうだな、クレイグのほうがよほど一線ぎりぎりをついてくる」

 意外すぎる二人の言葉に、マーシスが返答の言葉を見つけられずにいると、サーフィルがベッドからおりてきた。

 王の夜着を着た青年はハッスーフたちの前に進み、「手を」と声をかける。

 二人がそれぞれさしだした手に、青い欠片がばらばらと落とされた。

 なにも知らなければ荒く削っただけの宝石に見えただろう。だがここにいる三人とも、その色を知っている。

「サーフィル卿、これは」

「俺からの礼だ」

 青い竜の鱗がそれぞれの手に二十ほど。

「硬めの鉄なら加工できるように少し柔らかくしておいた。戦争は物入りだろう?」

「……これほどのものを贈られるいわれがありませぬ」

「二人は俺の王に賛同し駆けつけ、ずっと戦ってくれた」

 ハッスーフたちの手の中にあるものを金に変えれば、小国の予算数年分ぐらいの額にはなるはずだ。サーフィルもそれくらいのことはわかっている。

「二人の気持ちはわかる。だから俺からも約束しよう。二人の知りたいことがわかるまで、俺は〈盟王〉の首を刎ねない」

 偉大な竜よ、とバルトがサーフィルを仰ぐ。

「私は貴方と同じ戦場に立てることを、なにより誇りに思う」

 そう言って頭を下げてから、彼は手の中のものを腰にさげていた革袋にしまった。

 「これを替えるのならクレイグは通さぬほうがよさそうですな」と、ハッスーフが鱗を懐中におさめる。

「それでは、今夜はこれで」

「王と王の竜に感謝を」

 立ちあがり、一礼する二人に礼を返し、マーシスは幕舎の入口へと歩き、垂れた幕を開けた。

「到着早々で酒の一つも出せずでした。次は我が国の酒をふるまわせてもらえますか」

 マーシスの顔を見たバルトが不敵な顔になる。

「ならばそれは、ハビ=リョウを陥とした折に」

「承知」

 外に控えさせていた護衛たちと共に二人の王が帰る。

 彼らを見送ってから、マーシスは幕をおろす。それから、暇そうにベッドに腰かけているサーフィルをきっとにらんだ。

「高潔とか、どういう冗談だ」

 人のベッドで人の服を着て素足をぶらぶらさせているようなのが「高潔」とは。

「俺もどうしたらいいかわからなかったから、最初にここに来たときにオーシャに訊いたんだよ。マーシスの名代ってどうすればいいんだって」

 マーシスは変わらず足をぶらつかせているサーフィルの横に腰かけ、後ろに手をついて首をのばす。

「それで、どうした」

「オーシャが言うには『自分の考えだけで動くな』『陛下だと思え』って」

 オーシャらしい、単純明快な答えだった。だがいちいち毎度礼儀作法を叩きこむよりも、ずっと効率がよくわかりやすい。

「『陛下ならどう考えてどう動くか。それならお前にもわかるだろう』って言うから、その通りにした」

「……竜の姿にならなかったのはそのためか」

「お前は竜にならないだろ?」

 半日だからなんとかなったけれど、やっぱりずっとは無理だな、とサーフィルはのんきに言う。

「どうした?」

「……つくづくとんでもない竜が来たものだなと」

 〈竜の友〉でなくとも、この竜が稀有かつ風変りすぎる竜なのはわかる。

 この竜はずっと自分と同じ場にいた。ほとんど同じものを見聞きしていた。人の王としての教育を受け続けた竜などこの世に一頭だけだろう。

 横の竜を見れば、いかにも上機嫌という顔だ。よその王がいなくなりマーシスがいてとりつくろう必要もないから、王宮にいるときとなんら変わりがない。

「……ついでにあと二つ頼まれてくれるか、サーフィル」

「なんだ?」

「鎧を脱ぐのを手伝ってくれ。それと、ここで寝るなら小さいほうで頼む」

 どんな服より鎧は脱ぎ着が面倒だよなぁ、と、サーフィルが手をのばしてきた。

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