4・〝本陣〟にて

 サーフィルの戦支度は簡単だった。王の鎧と色違いのものを宰相は作らせており、細部を調整するだけだった。王と揃い、ということでサーフィルの機嫌はいくらかよくなった。

 追加の兵員を送らなかったことは他国に奇異の目で見られたらしい。確かに増援がただ一騎、というのは通常ありえないだろう。その一騎こそ、ナクル最大最強の戦力なのだが。


 そんな彼の出陣から三年。


 マーシスは南宮の外相執務室でノンディと会っていた。十八歳の自分の背はもうノンディより高いくらいになったが、まだまだこの師には頭が上がらない。

 二人のあいだの机の上には大きな地図が広がっており、その上に書面が散っている。

 その一枚を指し、師は言う。前線からの報告書だ。

「オーシャの報告によれば、〈竜王子〉は名代としてよくやっているようです」 

 ノンディが嬉しそうにうなずいている。

「戦果、交渉。他国からの評判も悪くないようで、ちょうどよい頃合いでございました」

「わたしも聞いている。そのぶんオーシャが自由に動けるようになって助かると」

 ――と、サーフィルから聞いた。

 サーフィルが毎晩戻ってきていることは、ヨウグとノンディにだけは伝えてあった。

 出陣と引換の条件がそれかと二人は呆れたが、それであの竜が納得したのならと二人は了承し、王の公務から夜の行事をはずしてくれた。夕方以降に王の予定がないことをいぶかしむ者もないではないが、それらはヨウグたちが黙らせている。

「これから気をつけることはあるか?」

 手元の書類から目を写し、ノンディは広げたままの地図の上にインク瓶をのせる。地図上での位置はオーシャたちの陣のそばだ。これを実際の距離にすれば、早駆けで一日半というところだろうか。

「クレイグ国が参陣するということですが」

「ああ。それはサーフィルからも聞いた。三万の兵を率いてきたと」

「いろんな意味で曲者です。お気をつけていただきたい」

 ノンディがこうして念を押してくるというあたり、よほどのものなのだろう。

 ナクルとクレイグは直接国境を接するような間柄ではない。むしろカナレイアを中心とした、大陸の反対側にある遠方の国である。

 その名がマーシスの記憶にあったのは、かの国が父の葬儀の際にわざわざ使いを出してきたこと、自分がカナレイアにいた折に即位の祝いを大使に持たせてきたためだ。詳しくはわからないが、どうも父がかの国の王と話したことがあったらしい。

「具体的には?」

「おそらく〈竜王子〉が荒れます」

 言ってから、ノンディは嫌なものでも思い浮かべてしまったような顔をした。

「何事にも華美であることをよしとするお国柄で、軍もなにかと派手なのはよいとして……王がまた生粋のクレイグという」

「派手な人物なのか」

「本人も派手ですし、美しく強い者を好みます。〈竜王子〉はまさに好みかと」

「ああ、そっちか……」

 マーシスは苦笑いする。

 サーフィルは自身の外見にはまったく頓着しないが、あれこれ世話をやかれるのも好きではない。自分が竜でいるときの懐きぶりかまいぶりはなんだと言いたくなるが、褒められれば褒められるほど機嫌が悪くなるのがサーフィルだ。

「確かにサーフィルとは相性がよくなさそうだ」

「オーシャがうまくあいだに入ってくれればよいのですが」

「だが、ただ軽佻浮薄な御仁というわけでもないのだろう?」

 クレイグは大陸の五つの主要街道のうち、三つを擁する商業国だ。カナレイアの属国の中でも位は高い。数十年にわたって高位を維持している国の王が、派手好きなだけの凡庸な王とは考えにくかった。

「ゆえに曲者なのです。クレイグからなにかあればこちらに回していただきますよう」

「わかった」

 つまりはこの国にとっても重要だとナクルの頭脳がみなしているということだ。王の独断は避けてくれと。

「今日はこのあたりにしておきましょうか。ヨウグに伝言があれば承りますが」

 ノンディが書状をさしだしてくる。見たところ公的な形式ではないが、目を通しておけというものだろう。

「では武器の調達を急がせるように言ってくれるか。連戦で消耗が激しいらしい。――それと、今度はいつ出る?」

 ノンディはこのところ国を離れることが多い。そのあいだは外遊として代理をたてているが、ノンディがどこで何をしているのか、マーシスはあえて深くは聞かずにいた。戦争中の国の外相がただぶらぶらと旅などしているはずがない。

「明後日には発つつもりですが。次は少し足をのばすので、戻りがいつになるかは」

「そうか。体には気をつけてな」

 さっとノンディが机を片付けていく。

 書状を手にマーシスは立ちあがり、部屋を出た。護衛の近衛兵と従者が後ろについてくる。

 外はすでに落日の色。廊下をはじめとした王宮のあちこちに明かりが灯りはじめている。

 回廊を経て北宮の自室に戻ると、マーシスは寡黙な近衛に礼を言い、従者を外に控えさせ、一人で部屋に入った。

 自室は三部屋が連なったつくりになっている。入口にあたる間があり、食事ができる部屋があり、さらにその奥に寝室。最初の部屋で炒った木の実がのった皿と冷やした水が入った硝子瓶を手に取り、マーシスは寝室に入った。

 ベッド脇のテーブルに瓶と皿を置き、ノンディから受け取った書状をベッドに広げる。こういったものを一番広げやすいのがベッドだから仕方ない。周囲も地図や書籍だらけだ。着替えもせずにベッドに入るなど、この三年でずいぶん行儀が悪くなったが、さすがに外ではここまで雑なことはしていない。

 書状はまだこちらの〈盟〉――反カナレイアの軍に加わっていない国の一覧、その情報だった。

 つつけば揺らぎそうな国、おそらく味方にはならなさそうな国。そんなあまたの国の現状を、ベッドに腰かけ水を飲みつつマーシスは読み進める。

 十三国めに入ったときだった。ぐ、と背中が重くなる。硬い金属が背や肩に当たって痛い。

「ノンディの字だな。聞いたことない国だ」

 サーフィルがこちらの肩に顔をのせ、書面をのぞきこんでいる。それは別にいいのだが。

「お前、甲冑でベッドにあがるなと言っただろ」

「脱ぐの面倒なんだよこれ」

 人の背におぶさりながら、サーフィルが「なにそれ」と訊いてくる。

 お互い頭一つぶんほどは背が伸びたが、サーフィルも大きくなっているので体格差らしいものはほとんどない。それなりにある体格に金属製の甲冑が加わるのだからかなり重いのだが、この竜はおかまいなしだ。

「まだ〈盟〉に加わっていない国の一覧。後で持っていくか」

「いく」

「見せるならオーシャまでな」

「わかった」

 うなずくサーフィルを押してどかし、書状をたたみ、ベッドのすみに置く。体のむきを変えれば、サーフィルは兜こそ脱いでいるが、他は完全武装とでもいうべきいでたちだった。

 黒金の鎧に血も泥もついていないのでまだいいが、最近は移動のためにわざわざ竜の姿になるのは面倒だと、なにやら術を使って戻ってきているらしい。竜がなにを言っているのかという話だ。

 離れた場所に移動できるような術があるなら、それを使って軍を移動できないかと訊いてみたら、「俺ぐらいでないと移動した途端に死ぬ」という物騒な答えが返ってきた。いい考えだと思ったのだが、できるなら他の国もやっているだろう。

「今日は早かったな」

「嫌なのが来たから早めに逃げてきた」

「クレイグの王か」

 サーフィルが目を丸くする。

「なんでわかった」

「ノンディから『〈竜王子〉が荒れるだろうから』と」

 あー、とこの上なく力の抜けた声を出し、サーフィルがしがみついてきた。肩にあたる甲冑が痛い。

「あいつやだ。すきあらば触ろうとしてくるし、舐めまわすように見てくるし。『是非友好の証に宴を』とか言ってくるし」

「どの国も、もてなしの宴は初回にかぎってやってただろう。今日はどうした」

「オーシャに代わってもらった」

「……そうか」

 オーシャの給料を割り増しにしたくなった。彼ならそつなく相手を立てつつサーフィルの不在をごまかしてくれるだろう。彼は給料のほとんどを故郷への仕送りにあてていると聞いているが。

「それで、クレイグの王は嫌なだけの王だったか?」

 これが一番気になるところだった。サーフィルを通して自分たちは各国の情報を得ている。前線の情報をもっとも早く入手している国がナクルだろう。

「……腐った実じゃないし、陸に上がった魚でもない」

 ――堕落しきってもおらず、戦場が似合わぬわけでもない。

「派手だが、あれは自分を知ったうえでやってる、人に見られることをわかってる、頭のいい奴の派手さだ。人を見る目もある。俺たちの次に声をかけたのがキルシュとチルギスだ」

「なるほど」

 サーフィルがあげた二つの国は、新たな〈盟〉の中でももっとも尊重している国だった。ともに属国としての格は高くはなく、ナクルと同じように長年の従属で疲弊した国である。王も武勇に優れ、為人も信頼できるとサーフィルが言い、幾度かの書面のやりとりでマーシスもヨウグもノンディも、「この人物ならば」と納得した。そんな王たちだ。

 この二人に接近したということは、事前にそれぞれの王と国について、また前線のありようについて詳細まで知っていたのだろう。商業の国らしく。

「その他にはなにかあったか?」

「あ、キルシュの王様から手紙預かってる」

「そういうのは早く出せ」

 サーフィルは体を離すと、胸部の鎧の隙間から書状を取りだした。蝋の封はしてあるが、それ以外は署名すらない。

 テーブルに置いてあるナイフで封を開ければ、王の直筆による公用語の文字が並んでいる。

「キルシュはなんて?」

「この前贈った花の標本の御礼だな」

「花?」

「夫婦で植物を調べるのがお好きだと言っていたから、うちの高山の花をいくつか贈ったんだ。すぐ本国に送ったら、王妃がとても喜んだと」

「……なにやってんだよ、戦争中に」

 まあサーフィルの言うとおりだ。けれどもそんなささやかな便宜をはかってもつながりを作っておきたい相手ではあった。

「あとは戦況と……こっちはサーフィルから聞いているのと変わらないな」

 違うのは資金面についてさりげなく「耳にした噂」を記していることだ。

 出兵してから時間が経ち、兵糧、予算の面からおのおのの考えが動きつつあることを、あくまで噂として雑談のように書いてある。その後に、クレイグの参陣が近いことを丁寧に記していた。〈盟王〉の都で会ったことがあり、国同士のやりとりがあることもふまえたうえで、「注意されたし」と。

「あいつ、他にはなに書いてる?」

 両足の鎧をはずしたサーフィルがこっちに寄ってくる。

「クレイグには注意しろと」

「あいつもか」

 書面をのぞきこむサーフィルの前、マーシスは考える。「耳にした噂」の後にクレイグへの注意をうながす文。文面でそうとわかるほど明晰な王が、ただの噂ただの雑談として書いたとは思えない。

「サーフィル。クレイグの軍は兵士だけだったか?」

「いいや」

 サーフィルの答えは予想通り。

「戦う人間の他に、料理人とか商人とか踊り子とかよくわからないのがぞろぞろいる。どうかしたか?」

「クレイグの王は、戦争だけをしにきたわけじゃないということだ」

 他国の軍に食料と娯楽を提供し、その見返りを得る。れっきとした商売だ。そこが戦場であろうと――あるいはだからこそか――商売は成り立つ。

 目の前に食料を積まれる安心感は大きい。〈盟王〉に、カナレイアに敵対する新しい〈盟〉の中で、クレイグの印象は強くなるだろう。この戦いを始めた者よりも。

 キルシュの王はそれを危惧している。核となっているナクルの王は不在。そのあいだにクレイグが乗っ取りはしないかと。

「戦場で戦争以外のことができるのか?」

「それ以外もできるのが人間だからな」

 キルシュとクレイグの交易は長いと聞くが、その利はクレイグ側に大きく偏っており、ついで国力と格もクレイグのほうが上だ。新しい〈盟〉の長としていただくなら、キルシュとしてはクレイグよりもナクルをということなのだろう。

「だが厳しいな。資金というとうちではとてもクレイグには対抗できない」

 思わず苦い笑いがもれた。クレイグに挑めるほどの財がこの国にあるなら、もっと違う形で戦争を始めているか、まだ様子をみていただろう。

「じゃあどうするんだ。このまま放っておくのか」

 問うてくるサーフィルの前で、マーシスは親書をたたむ。これは明日、宰相たちに見せるべきものだ。

「商売をしたいというならすればいいさ。要はこの〈盟〉の中核にはナクルがいる、これははずせないものだとだれもがわかっていればいい」

 クレイグとなにかあるなら話を通せ、と言われているが――師も同じ判断をするはずだ。

「つまり?」

「旗印にするならクレイグよりナクルだと誰もに思わせる。子供でもわかるくらいに。――やれるな?」

 サーフィルの顔が強張る。

「戦果をあげろと言われたらなんの問題もないが」

「それと〈盟〉の中での会談な。特にクレイグだ」

「そっちかよ……」

 サーフィルががくりと肩を落とす。

「お前ならやれる。たらしこめ」

「いや、あいつはたらしこむまでもないだろ。本当に抜かりなくあれこれ理由つけて会いにこようとするんだぞ」

「そういう〝抜かりない〟人間が、うわべだけの言葉だけで納得すると思うか?」

「……」

 サーフィルの嫌悪もわかる。相性はよくないのだろう。

 だが、〝絶対に許せない、相容れない〟というような拒絶ではない。

「クレイグのほうからナクルを、お前を立てるようになれば上等なんだが。……そうだな、武具の消耗が激しいので相談をしたいとでも言えば確実にくるだろう」

「こっちで調達できないのか?」

「急いで作らせたりしてはいるが、それでもまだもう少しかかるだろう。むこうにとってもいい機会だ」

「お前、だんだんノンディに似てきたぞ」

「親代わりの師匠みたいなものだからな。それこそノンディのやりかたを思いだして会ってみればいい。あれくらい堂々と、相手に〝頼りになる〟と思わせればたいていの人間は落ちる」

 それもサーフィルの見た目でだ。かつての美少年から甘さが抜け、精悍さが戦場で増した。当人がその気になれば世の九割は落とせるかもしれない。絶対に面倒くさがってやらないだろうが。

「……それがお前の望みなら」

 サーフィルが剣を置く。それから人の足を枕にごろりと横になった。

「やってはみるが、どうなるかはわからんぞ」

「大丈夫だ。できないことを頼みはしない」

「笑いながら難題かましてくるところはヨウグ似だな」

 言いながらサーフィルはこちらの服の裾を引っぱっている。

「娯楽か……うちの兵だとそちらもあまり縁がないが」

 竜人兵は強いが、その性質も独特だ。気性は朴訥で派手とはとてもいえない。なにを楽しみにしているのかといえば、花を見る、ひととき動物とすごす、人と話す、といった大人しいものばかりで、ほとんどは酒も飲まないというほどだ。

「たまには楽しみもあっていいと思うが、クレイグのは合わんだろうな……」

「それなら俺から頼みがある」

 サーフィルがこちらを見上げてくる。

「連中に聞いたら、どこの水でも飲めることは飲めるし問題ないが、やっぱり育ったナクルの水が飲みたくなるらしい。俺が持っていくから、適当な入れ物を用意できないか?」

 それはさほど難しいことではない。マーシスは黙って計算する。二百人分の水とはいえ、ねぎらいならそれなりの分量がいるだろう。

「ヌーフを作る樽くらいでいいか?」

 名産の酒を作るのに使う樽は、大人が二人すっぽりと入る大きさだ。中身を入れれば人が持ちあげられる重さではなくなるが、竜のサーフィルなら持てぬものではない。

「それでいい。できたら王宮のどこかに置いといてくれれば、朝汲んで戻るから」

「わかった」

 職人は驚くだろう。樽の納め先が王宮と知れば。

「皆無事だとは聞いているが」

 マーシスは長らく会っていない者たちの顔を、声を思い浮かべる。

 竜人たちの膂力は竜であるサーフィルと同等、さらにその肌は刃を通さない。人の武器で彼らを傷つけることはほぼ不可能だ。だからこそ、たった二百という人数で五年も戦争を続けられている。

「骨一本も折れてないし、跡になるような傷もないぞ。皆早く〈盟王〉の都まで行こうと、お前をあの都に立たそうと静かに沸きたっている」

 士気も充分。――これも驚異といえた。戦いが長引けば人は戦いに慣れるし倦む。五年を経てなお変わらないというのは、宰相たちでも驚くだろう。

「だがまだ道半ばだ」

 今は全行程のちょうど半分。これからはより大きな属国と、カナレイア本国の軍が来る。


「全部蹴散らして、進んで進んでその先に」


 マーシスは寝転がるサーフィルの、戦場でも変わらない髪を指にからめてもてあそぶ。柔らかい、特上の糸のような艶のある髪を。


「わたしたちの目指す、あの男がいる」


 なにが気に入ったのか、サーフィルが嬉しそうにくつくつと喉を鳴らした。

「……どうした?」

 こちらを見上げる顔がにやりと笑っている。

「お前の悪い顔は好きだなと」

 ――毎晩見ておいて今更なんだ、と言う代わりに、マーシスは地図をたぐりよせて広げる。

「では夕食が来るまでもう少し悪い顔をしようか、二人で」

 戦況のおさらいと次の見立てだ――そう言うとサーフィルは笑顔のまま起きあがり、マーシスに渡されたペンで地図にあれこれと書き込みはじめた。

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