2・手をのばし、背をのばし


 王都に帰還した王はいつものように執務をとる。若年ゆえ政務の半分以上を宰相たちにまかせてはいるが、仕事がないわけではない。

 朝の執務を終えて昼食をとった後のこと。肩にサーフィルをのせてマーシスがむかったのは、王宮の南東側にある近衛兵の訓練所だ。

 もう何度となく来た木造の兵舎を訪ねると、体格のいい若者たちが二百人ほどめいめいにくつろいでいる。

 居並ぶ面々は、顔立ちはそれぞれ違うものの、皆同じ髪と目の色をしていた。マーシスと同じ灰褐色。この国で一番多いありふれた色だ。

「陛下!」

 入口の一番近くにいた男が、マーシスに気づき片膝をつく。

 その声で一斉に皆がマーシスのほうをむき、姿勢を正すとほぼ同時に片膝をついて頭を垂れた。

「ヤーシュ、久しぶりだ」

「――は」

「急におしかけてすまない。皆も楽にしてもらえるか」

 彼らはナクル生まれだが、人ではない。竜が持ってきた卵から生まれた竜人たちだ。彼らが孵るのをマーシスは見ている。つまり彼らは自分よりずっと年下で、本来はまだ幼いというべき年だ。サーフィル同様に強く賢くあっても。

 彼らはサーフィルの――貴重な竜が本気で暴れられる――遊び相手、マーシスにとってはオーシャとともに軍事を学ぶ兄弟弟子のようなもので、年も性格もちぐはぐだが、不思議な身内のようでもあった。だから今日のように遊びにきては他愛ない話をしていたものだ。

 楽に、とは言ったものの、彼らは膝をついたまま顔をあげただけだった。いつもなら最初だけでもっと気楽にふるまうものだが、きっともう伝わってしまっているのだろう。

 仕方ないとマーシスは口を開く。

「出征が決まった。ここにいる皆がこの国の先鋒であり、中心になる」

 歓声の類もざわめきも一切ない。来るべきものが来たと淡々と受けとめているようである。最初からわかっているという顔つきだ。

 それも当然で、この一年、折につけて彼らはそれを教えられているはずだった。自分たちがどうやって生まれたか、この国がどういう状況にあるかを。

「いずれ正式な通達があるだろうが、どうしてもわたしの口から伝えたかった。皆とは知らない仲ではないからな」

 これは別に王としての仕事ではない。いずれ正式な手順を踏み伝達はするが、その前に自分で話したいというのは、王の仕事ではなく、マーシス個人の希望だった。

「皆にこの国を託すことを誇りと思うと同時に心苦しく思う。――本来なら、これは人の、我々だけで決着をつけなければいけないもののはずだから」

「――恐れながら、それは違います、陛下」

 実に心外だ、という顔で言ったのは少し先のテーブルにいる男だ。

「カーフィ」

「我々は確かに人ではありません。人ではない我等がここに来たのは、ひとえに陛下が紡がれた竜との縁があったからこそ」

 カーフィはにやりと笑って酒瓶をかかげてみせた。竜の卵から孵った者たちは酒になど酔わないはずなのに。

「それに、〝化物〟の我らに人としての営みや喜びを教え、導いてくださったのも陛下やこの国の人々でございます」

「カーフィの言う通り」 

 そのそばで隻眼の男がうなずく。キーズィだ。

「そう、陛下はお命じになればよい。ただ一言『勝て』と」

 すっと血の気が引いた。

 キーズィのむかいでそう言ったのは、竜人たちの中でもさらに大人しい性格と外見のスーフィだった。

 居並ぶ皆の顔を見れば、スーフィの言葉が偽りないすべてだとわかる。

 それでもマーシスは思う。

 竜が卵を、新たな兵を持ってきた理由は今でもわからない。ゴーチェから預かっていた竜、コグを通してマーシスの意が伝わったこと、なにより〈盟王〉の都で同胞が受けた仕打ちに対する報復だろうと人間たちは考えているけれど、ただそれだけで、これだけのものを動かしていいものだろうかと。

「……スーフィは絵を描くのが好きだったな」

「――は」

「キーズィは服屋の女将の子といい仲だと聞いた」

 思いもしない王の言葉に竜人たちが動揺している。

「いい仲というより遊び相手です。――むこうはまだ八才ですよ」

「だが帰ってくるころには似合いの年になっているかもしれないだろう」

 最初から一年や二年では片はつかないと予測されている。彼らが帰ってくるのがいったい何年後になるか、この場の誰にもわからない。

 マーシスは並ぶ者たちをゆっくりと見回す。

「カーフィは酒造りをこっそり学んでいるのを知っているし、ヤーシュは旅に出ていろんな人と話したい。ニーファはドーバルと一緒に商売をしたい、だったか」

 名を呼ばれた者たちが驚きの目でこちらを見ている。

 ここで竜人兵とはいろんな話をした。人の世に馴染むようにと近衛兵たちは彼らを街に連れだし、時には一緒に暮らし、いろんなものを見せた。今のこの国がどんな状況なのか、肌身をもって知ってほしいと。

 そんな彼らが見聞きしたものをマーシスは聞いた。聞いて覚えた。忘れられようはずがなかった。

「メーロゥは大学に入って勉強だ。ベーデイは法律の専門家に――これだけじゃない。ここにいる皆が、なにをやりたいか、どんな願いがあるか、わたしは知っている。その上で頼む」

 肩の竜が首を寄せてくる。

 王である以上、内心と真逆のことを口にしなければならないこともある。そのときは絶対に心を外に出すなと師から厳しく教えられてきた。

 マーシスは顎を引く。


「勝て。勝って帰ってこい」


 片膝をついた者全員がマーシスに向け頭を垂れる。

「ここで誓う。勝利の暁には必ず皆に報いると。我が名と天地と友たる竜にかけて」

「すべては、陛下とナクルのために」

 ヤーシュの声に他の者が続く。

「すべては陛下とナクルのために!」

 唱和する声を聞き、マーシスはうなずいてみせる。

「……邪魔をした。戻るか、サーフィル」

 サーフィルは無言で襟足のあたりを尻尾で軽く弾いてきた。肩をつかむ足先を撫で、マーシスはきびすを返す。

 足早に王宮へと戻り、王宮の南側、南宮の執務室の扉を開けて中に入ると、マーシスは後ろ手に扉を閉め鍵をかけた。

 そのまま扉にもたれてへたりこむ。

 息が乱れる。体に力が入らない。本当は北にある自分の部屋まで戻りたかったけれど――ここが限界だった。

 天井を見上げて、一度命じたのなら耐えきれと己に言い聞かせる。人の命を左右する立場なのは前からで、これからもそうではないかと。今更善人ぶって涙を流したところで、己を甘やかして憐れんでいい気になっているだけだと。

 顔を戻せばサーフィルが尾で肩を軽くはたいてくる。さながら子供をあやすようなゆったりした調子で。

「……なぁマーシス」

 肩の竜が小声で言う。

「泣きたいなら泣けばいいと思うぞ。なんなら俺がここに術かけとくし」

 マーシスは答えない。答えられない。

 サーフィルが翼で手の甲をつついてくる。マーシスが手をどけると、サーフィルが首をのばしてきた。ぺろりと右目を舐められる。

「泣かないのか?」

「――わたしに、そんな権利はない」

 自分で命じておいて泣くなど、傲慢がすぎるではないか。ここに、王の座についているのなら。

「でも嫌なんだろ」

「……」

 見れば今更手が震えている。

「わたしは、自分だけぬくぬくと国の中にいて、戦ってこいという」

「仕方ないだろ。王様なんだし」

「戦場でなにがおこるかもわからないのに」

「あいつらは強いぞ。たぶんそこらの兵士じゃまず相手にならない」

「……それでも」

 彼らが強いことはマーシスも知っている。だからこそ宰相たちは抗戦を決め、オーシャが保証した。そして自分も、王として承認した。

 それでも、自分に代わって生まれたばかりの年少者を戦地へ送るという、二重の罪悪感は消せるものではない。

 竜人兵を出すことで、こちらの死傷者は出ずとも〝敵〟の死者は増える。それが戦争だ。

 そして〝敵〟にも身内や友が、死を悲しむ者がいるはずで。

「わたしの言葉で、人が死ぬ」

 自分の声がかすれている。抑えていたものがゆるんで、内から溢れてくるのがわかる。

 頭ではわかっていたつもりだった。サーフィルの言うように「仕方ない」と何度も己に言い聞かせ、覚悟はできていたつもりだった。

 けれどもそれはまだまだ未熟ななり損ないだったと、皆の顔を見て思い知った。

「……俺もそうだけど、マーシスはまだ子供なんだろ」

 サーフィルの声は穏やかだ。

「こんな子供に王様をやらせてるほうが悪い、とか開き直るのはどうだ?」

 またぺろりと頬を舐められる。

「なによりマーシスが、人が死ぬつらさも悲しさも、他人にそうさせるずるさもわかってるような王様だから、あいつらも迷いなく従うんだ。だからまあ――」

 サーフィルがぴったりと身を寄せてきた。きっちりたたんだ翼は耳に、尾はそっと首に添って。

「今くらい、好きにしていいんじゃないか、王様でも」

 俺の王は優しいからな、とまたサーフィルが目元を舐めてきた。 

  


 その三日後。

 ナクル国王の名のもと、正式な宣戦布告の書状がカナレイア王国に送られ、二百人ほどの軍が王都を発った。


 〈竜人戦争〉の本格的な始まりである。

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