真相

 隆之は警察署の留置場にて、虚ろな目で窓を見ていた。既に空は暗くなり、星が光っている。




 今ごろ、晴美は死体にかえっているはずだ。

 幸せな日々は、終わってしまった。もう二度と、あの頃には帰れない。

 改めて、あの日のことを思い出していた。


 ・・・


 あの日、二人はハイチにいた。

 取材を兼ねた初めての旅行だったが、晴美はとても楽しそうだった。彼女の笑顔に、隆之も幸せを感じていた。

 晴美の笑顔を見るだけで、幸せな気分に浸れる。彼女と出会わなければ、生涯知ることのなかった感覚だろう。




 晴美は、スキューバダイビングをするため船に乗っていた。

 隆之も誘われたが断った。海に潜るなど無理だ。船の上から、彼女を見守ることにした。

 晴美は、楽しそうに笑いながら海へ入っていった。その時の光景は、今も心に焼き付いている。

 もし、あの時に戻れるのなら、どんな犠牲でも支払う。自分の全財産と、残りの寿命すべてを死神に支払っても構わない。

 せめて自分が一緒に潜れば、あれを防げたかもしれなかった──


 船の上で再会した時、晴美は死体となっていた。

 海底で、彼女に想定外の事故が起きる。岩の裂け目に足が引っかかり、抜けなくなってしまったのだ。さらに、タンクが故障し酸素が予定より早く尽きてしまう。

 船で控えている者たちが、異変に気づき救助に行った時には、既に手遅れであった。

 船の上で晴美の死体にすがり、狂ったように泣き叫ぶ隆之。その時、ガイドが耳元で囁く。

 彼女を生き返らせる方法がある、と。


「ブードゥー教の最高司祭の用いる秘術なら、死者を蘇らせることが出来る。お前には、司祭に会う資格もある。会って話を聞いてみるか?」


 その言葉に、隆之は迷わず即答した。


「本当に晴美を生き返らせてくれるなら、僕はなんでもする」




 二人は、晴美の死体を袋に入れた。大量のドライアイスも一緒に詰めると、ブードゥー教の最高司祭の住む家へと向かう。この場所は本来、信者でない者は入ることが出来ない。

 ところが隆之は、取材のため、これまでガイドを通してブードゥー教に寄付をしていた。数年に渡って僅かずつ寄付を続けているうち、彼は名誉信者のような立場を得ていたのである。

 死体を司祭の前に運び上げ、頼みこんだ。


「お願いです。彼女を生き返らせてください」


 司祭は、こう答えた。


「生き返らせるためには、死神と取り引きしなくてはならない。それには、お前の左腕が必要だ」


「どういう意味ですか?」


 唖然となって聞き返す隆之に、司祭は重々しい口調で語る。


「甦りの秘術には、供物くもつが必要だ。彼女を、心の底から愛している者の左腕を、供物として捧げなくてはならない」


 あまりにも異様な話である。だが、司祭の顔は真剣そのものだ。語る言葉の奥にも、尋常ではない迫力があった。隆之は、現地の言葉がまるでわからない。にもかかわらず、はっきり理解できたことがある。

 この男は、日本のインチキ占い師やイカサマ霊能者とはまるで違う存在だ。


 さらに司祭は、晴美を生かしておくのに必要な条件を語り出す。

 ひとつは、隆之がそばに居なくてはならない、ということだった。もし隆之が、彼女の傍を離れて丸一日が経過したなら、晴美は死体に戻ってしまう。

 さらに司祭は、もうひとつの条件を語る。復活した晴美を生かせているのは、隆之の生命力だ。家電が電気を供給され動くように、隆之が命を供給することで、晴美は生者として活動していられる。

 つまり、ひとり分の寿命で二人の人間を生かしていることになるのだ。隆之が死ねば、命の供給が途絶え晴美も死ぬ。

 しかも晴美が生き続ければ、隆之も二人分の生命力が削られていくことになる。普通の人間の倍のスピードで老化していくのだ。つまり、隆之は常人の半分の寿命で死ぬということになる。


 まともな人間ならば、こんな言葉には耳を貸さなかっただろう。怪しげな呪術のために左腕を切断し手渡すなど、正気の沙汰とは思えない。

 だが、当時の隆之はまともではなかった。彼は信者たちに頼み、麻酔をかけ左腕を切断してもらった。それを司祭に渡す。

 司祭は頷いた。


「承知した」


 隆之の左腕を携え、晴美の死体が置かれた祭壇へと入っていく。隆之は、別室でガイドとともに待つこととなった。


 驚くべきことが起きた。儀式が終わった時、止まっていたはずの晴美の心臓が動き出したのだ。さらに、全身を血液が循環していき、顔にも生気が戻る。

 晴美は蘇ったのだ。




 次の問題は、晴美をどうやって自分の目の届く場所に置いておくか、だ。

 司祭の話によれば、隆之の視界から消えると、晴美は命の供給が断たれた状態になる。その状態で丸一日が経過すると、彼女は死体に戻ってしまう。

 ならば、毎日一緒に暮らすだけだ。隆之は、かなり強引に結婚を申し込んだ。晴美は情の深い女である。その情に訴えれば、断れないはずだ。

 さらに、彼女を家に繋ぎ止めるため、隆之は暴君と化すことに決めた。不要不急の外出を禁止し、細かいルールを作る。作ったルールに従わせるため、己の失った左腕をちらつかせる。


「君のせいで、僕は左腕をなくしたんだよ」


 自分の課したルールにより、晴美が苦しんでいることはわかっていた。だが、隆之は心を鬼にして暴君に徹したのだ。

 もう二度と、彼女の死体を見たくないから── 


 ・・・


「僕は、バカだったよ」


 隆之は、ポツリと呟いた。

 最初から、晴美に全てを告げるべきだった。そうすれば、こんなことにならなかったのかもしれない。

 しかし、どうしても言い出せなかった。自分がゾンビのような存在だと知ったなら、どれだけショックを受けるだろう。

 晴美には、人として生きていて欲しい。その思いから、彼女をかごの中の鳥のように扱った。いつかは、窮屈な生活にも慣れてくれると信じていた。家の中にさえいれば、晴美は死ぬことはない。自分の寿命が続く限り、生きていられる。それが彼女の幸せだと信じていた。

 結果は、晴美を苦しめただけだった。人として生きていて欲しいという願いからの強い束縛は、晴美にとって死ぬよりも辛かったのかもしれない。

 自分は、なんと愚かだったのだろうか。悔やんでも、悔やみきれない思いが全身を駆け巡る。

 こんなことなら、きちんと真実を告げるべきだった。


「僕は、バカだったよ」 


 もう一度、同じ言葉を繰り返す。その目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。

 晴美と出会わなければ、自分は作家になどなっていなかったかもしれない。

 そう……思い返せば、自分は晴美の喜ぶ顔が見たかった。それこそが、創作意欲の原点だったのだ。

 だが、晴美は死んでしまった。

 今の自分には、もう何も創れない。何かを生み出すことも出来ない。


「晴美……ごめんよ」


 虚空に向かい囁いた。溢れる涙を拭う。

 今の自分には、もう何もない。後は、やり残した仕事を片付けて、借りを返すだけだ。




 翌日、刑事から晴美の死を聞かされた。だが、その事実を平静な顔で受け止める。

 隆之は、人が変わったような態度で、刑事からの取り調べに答えていく。マスコミが面会を申し出たが、全て断った。

 やがて取り調べは終わり、検事から起訴猶予の処分を受ける。隆之は、そのまま帰された。


 まずは、やり残した仕事を全て片付けなくてはならない。お世話になった人たちに、迷惑をかけたくはない。

 それが終わったら、死神に借りを返しに行く──


 僕も、すぐに君のそばに逝くよ。

 




 






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とある夫婦の始まりと終わり 板倉恭司 @bakabond

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