第8話 生着替え

 フェリエッタは、一人病室のベッドに寝て、天井を見上げていた。黒薙は、宇奈月を追いかけて、外に出て行ってしまった後であった。


 フェリエッタは、黒薙が置いていった“写真”というものを、頭の上にかかげてもう一度見る。その写真には、コカトリスと思われる一枚の羽が写っていた。


(これが、私のするべきことなんでしょうか? 女神トリア様。)


 コカトリスのような魔物は、熟練じゅくれんの冒険者か専門に学んできた人でないと、対処たいしょすることは難しい。フェリエッタにとって、1匹の魔物によって、村が壊滅してしまったという話も珍しい話ではなかった。


 魔物は、人々にとって、最もおそれなければならない恐怖の対象である。ピュタゴレア教でも、魔物はけがれた存在して扱われている。それほど、恐ろしいものなのだ。


 フェリエッタには、魔法学院まほうがくいんで学んだ知識も、魔法の腕もある。経験こそ少ないものの、一流の冒険者に勝るとも劣らないほどであると自負していた。


(あの領主にやとわれていたときは、使いたくてもその知識は使えなかった。でも、ここなら、私でも活躍できるはず。これが、私がしないといけないことに違いない。)


 フェリエッタはベッドから体を起こし、布団から出て立ち上がった。


 フェリエッタは、少しねたり、腕を曲げたり、伸ばしたり、屈伸くっしんをしたりする。体も、問題なく動かすことができた。打撲による体の痛みも、魔法による治癒能力ちゆのうりょくえているため、すでにほとんど残っていなかった。


 フェリエッタは、すぐそばの机にたたんで置いてある衣服を手に取る。それは、自分が着ていた服がどこにあるのかを今朝の女性にたずねると、彼女がわざわざ持ってきてくれたものであった。


 その人は、この世界で看護師かんごしという仕事をしているらしい。朝早くから来てくれて、フェリエッタに身の回りのことについて教えてくれたのも彼女であった。


 ローブや着ていたワンピースを広げてみると、どこにもシミや汚れが見当たらず、新品のようにきれいになっている。ありがたいことに、一晩のうちに洗濯せんたくもしてくれたようだった。


(すごい。こんなにきれいになるなんて、どんな魔法を使っているんだろ。)


 そんな風に感心しながら、フェリエッタは自分が着ていた患者服かんじゃふくの紐をほどき、自分の服に着替え始めた。




 黒薙は、宇奈月の背中を見つけて、呼び止める。


「宇奈月班長。先のことは、どういうおつもりですか!」


 その言葉を聞き、宇奈月は足を止め、後ろを振り返る。


「どうって、せっかく現地の人が協力してくれるって言うからには、利用する手の他にはないじゃない?」 


「かもしれませんが、正式な検査や審査もなく、現場の独断でエージェントに雇用こようして、しかもバディにするなど前代未聞です。私は反対します。」


「んー、しかしなぁ。あのフェティちゃんの助けがないと、たぶんこの件は難しいよ。」


 そう宇奈月からの言葉を聞き、黒薙は黙るしかできなかった。笹平も負傷ふしょうして倒れてしまった今、冷静に考えると黒薙一人では手に余る任務であるのも確かである。


「…でも、“アイテムを守ること”が“私の大事な人たちを守る”ことに繋がる唯一の方法だと、教えてくれたのはあなたのはずだ!」


 黒薙は、強く宇奈月の目を見て言った。二人の間に、しばし沈黙の時間が流れる。


「…僕も、いーちゃんが考えている、下手に巻き込んで危険にさらしたくない、という思いはよく分かる。」


「それなら。」


「この件を、お前が自分でやり遂げたいと思うのなら、俺の判断を信じるしかない。どうしても嫌なら、おとなしく別の人間に交代するのをおすすめするよ。」


 宇奈月はそう強く言うと、サンダルを鳴らしながら去っていった。


「心配しなくても、フェティちゃんの雇用に関する面倒くさい事務処理じむしょりは、僕が全部するから。後はまかせるよ。」


 宇奈月は、書類を持った手を振りながら、うし姿すがたで黒薙に言った。その言葉を聞いても、黒薙はいまだに覚悟を決めかねていた。




「あ!」


 黒薙が病室まで戻り、扉を開くと、着替えている最中フェリエッタと目が合う。彼女は、ショーツしか身に付けていない半裸はんらの状態で、白いワンピースに袖を通そうとしていた。


「ひゃ!?」


 フェリエッタは、黒薙が部屋の中に入ってきたことを理解すると、顔を真っ赤にさせる。彼女の胸は、一般的な日本人女性のものと比べると少し大きく、二つの乳房ちぶさが程よく膨らみ、均整美きんせいびを保って隆起りゅうきしていた。


 フェリエッタは、急いで両手で胸をおおい、黒薙に背を向けてしゃがみ込む。


「ク、クロナギさん! す、少し待ってくれませんか。」


「…すみません。次からは扉を叩いてから開けます。」


 黒薙はそう答えると、急いで扉を閉めた。

(…私より大きかった。着やせしてたのか。)

 黒薙は、先の光景を忘れようと、頭の中で別のことを必死に考えるように努めていた。




 しばらくして黒薙が部屋の中に入ると、着替え終わったフェリエッタがベッドに腰掛けていた。フェリエッタは、腰丈こしかけほどの淡いワンピースのような服の上に、青い装飾が施された白いローブを着こんでいる。


 黒薙は、フェリエッタのベッドの横の椅子に座る。


「すみませんでした。お体は、もうよろしいのですか?」


「あっはい! 大丈夫ですよ。体もしっかり治ったので、安心してください。」


「あまり無理はなさらないでください。」


 手を振りながら、元気な様子をアピールするフェリエッタを前にして、黒薙はそう小さく呟くしかなかった。


「それより、私、クロナギさんと一緒に働くんですよね。バディでしたっけ。どんなことをすればいいんですか?」


「今回であれば、情報提供じょうほうていきょうをしていただければ問題ありません。この町では、現在、様々な事件が発生しています。私は、それが、別の世界から来た存在の仕業ではないかと考えています。」


「別の世界から来た存在。つまりコカトリスですね。その事件ってどんな感じなんですか? もしよかったら、詳しく教えてくれません?」


 フェリエッタにそう問いかけられた黒薙は、今回起きている事件のあらましをフェリエッタに話し始めた。


「この町では、主に3つの事件が発生しています。

 1つ目が、人々の失踪事件しっそうじけんです。今までで、4人が犠牲になっていますが、その行方や手掛かりでさえも、いまだにつかめていません。

 2つ目は、毒が付いた鋭利えいりな刃物で、腹部を切り裂かれた死体が発見された事件です。こちらも手掛かりは一切発見されていません。

 3つめは、地域住人が、謎の症状に見舞われている事件です、その症状は、身体が石のように硬直こうちょくしてしまい、意識も不明となってしまうというものです。

 どの事件も、コカトリスがこちらに来たと思われる1週間前から、起き始めました。」


「もうそんなに犠牲者が。…早くなんとかしないといけませんね。」




 黒薙の話を聞いたフェリエッタは、しばらくの間、考え込んでいた。


「たぶん、最後の件は、聞く限りではコカトリスが関わっていると思います。けれど、他の件に関しては、まだ何とも言えないですね。」


「その、今更なのですがコカトリスとはどのような生物なのですか。」


「えーと、コカトリスは、雄鶏の胴体部どうたいぶに蛇の頭部がくっついたような姿をしている、大きな魔物です。その蛇の目を見たものは、身体が石のように硬くなります。多分、硬直してしまった人たちは、その目を見てしまったんだと思います。」


「なるほど。確かに厄介やっかいな能力です。」


「もしよかったら、その硬直した人たちに会えますか? 私が見れば、本当にコカトリスの仕業なのかはっきりするはずなんですけど。」


「分かりました。少し掛け合ってみます。」


 黒薙はそう答えると、椅子から立ち上がり、病室を出ようとする。




 扉を開けようとして黒薙は、立ち止まり、後ろを振り返る。


「…先はドアを叩かずに開けてしまい、申し訳ありませんでした。以後気を付けます。」


「い、いえ。何も言わずに着替えていた私も悪いので、そんなに気にしないでください。」


 頭を下げながらそう言うと、黒薙は病室から立ち去った。

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