第5話 白い髪の少女

 二人が到着した場所は、北部の町はずれにひっそりとたたずむ古びたテナント施設だった。


 長年の年月と雨風に耐えながら、かつては栄えていただろうこの場所で、2階建てのその建物は立ち続けていた。施設の外壁はところどころで剝がれてきており、引き取り手が長い間いなかったことが匂わされる。


 黒薙と笹平は車を降り、建物の入り口へと近づく。使い古されたガラス戸の取っ手部分は壊れて、開け放たれている。戸の周りには、大きく凹んでいた。


 笹平は、車を施設から少し離れた場所に停め、車内から持ち出した拳銃を手に、ガラス戸に近づいて、中の様子をうかがいみる。


「黒薙、今から突入する。お前は念のために“アイテム”を準備しておけ。」


「分かりました。」


 そう答えた黒薙は、自身のコートの内ポケットから、細長い革製のポーチを取り出す。ポーチの中には、一本の“羽ペン”が入っていた。黒薙は、羽ペンを右手に取り、笹平の後ろにつく。




 出入り口付近に人の気配がないことを確認すると、ガラス戸をゆっくり開き、二人はビルの内部に侵入した。


 建物の中は、ほこりが積もり、物が辺りに散乱していた。人の手が加えられることなく、長らく放置され続けていたことが、一目ひとめで分かる。


 黒薙と笹平は、慎重にあたりを警戒しながら歩を進める。内部はそれほど広くなく、何もないロビーに奥に、階段があるのみであった。内部は薄暗いが、階段部分だけが、かろうじて生きている蛍光灯によって照らされている。


 電灯がついていることから、誰かはここにいたのであろう。


 1階に何もないことを確認した二人は、別の階層に進もうと、足を階段の方に向けた。その時であった。


「キャアアアッ!!」


 女性のものと思われる鋭い悲鳴が階段の方から響く。




「黒薙!待て!」


 悲鳴を聞いた黒薙は、笹平が制止する声を無視して、階段へと走っていった。


 階段は、上層階へと続くものの他に、下層へと続くもう一本の階段がある。下には、地下室への扉が見える。


 迷わずに下に続く階段へとけ下りた黒薙は、地下室のドアの前までたどり着いた。取っ手をひねるが、内側から鍵がかかっているのか、ドアは開かない。


 早急に開けるために、“アイテム”を使うしかない。そう瞬時に判断した黒薙は、羽ペンを持った右腕をまっすぐと伸ばし、左手を右手に沿えるように一緒に握りこみ、構える。


 すると、羽ペンからは、黒いインクがしたたり始める。そして、インクは次第にペン先へと集まっていく。


穿うがて!“理性の介入なく筆を綴るシュルレアリスム”」


 インクの塊は、その形状を変え、地下室のドアに向かって、一直線に放射された。黒薙の身体が、反動で少し後ろに反れる。


 黒薙が持つ羽ペンから放たれた一撃は、鉄製のドアを吹き飛ばし、周囲にコンクリートの破片をまき散らして、壁に巨大な穴を空けた。




 部屋の中は、電灯を消しているのか非常に暗い。黒薙がドアをぶち破って空けた穴から入り込む、階段の蛍光灯の淡い灯りすら、強く感じるほどであった。


 部屋の中には、一人の“白い髪の少女”がいた。彼女は、青に金の装飾が施されたローブを着ており、その白い髪は漏れこむ蛍光灯の灯りに反射し、時折青く輝いていた。

  

 その顔立ちからは、西洋の血が入っていることが分かる。


 その少女は、ひどく怯えたような表情で、こちらを見つめ、目には涙をためていた。そして、少女を囲むようにして、数人の黒いフードを被った男たちが立っていた。


 黒いフードの男たちは、白い髪の少女とは違い、突然空けられた穴に対して、敵意を帯びた目でこちらを見ていた。その中に、一人だけ一冊の“本”を持っている男がいた。


 おそらくそれが奴の“アイテム”なのであろう。


「お前が、森石数馬だな。ここで何している。」


 怒りを込めながら黒薙が放った問いかけに対する返答は、本をもつ男が放つ紅い火球であった。


「それが、お前たちの答えか。」


 そう呟くように言った黒薙は、自分の羽ペンを強く握るのであった。




数時間後。


 黒薙は、組織と協力関係にある病院のベッドで寝ている笹平を、ぼんやり見つめていた。


 先のテナントの地下室での戦闘で、笹平が逃亡する森石数馬に背後から刃物で刺されて、負傷してしまったのである。幸いにも傷は浅く、命に別状はないとのことであった。


「すまん、ドジっちまった。」


 笹平は、そう言っていた。だが、多人数との戦闘が予想できたにも関わらず、バックアップ部隊の応援を待たずに突入してしまった自分に非があることを、黒薙は分かっていた。


 笹平を、この病院にすぐに搬送することができたのも、黒薙が考えなしに突入していった後に、彼が事前に応援要請を出していたおかげである。


 残念ながら、バックアップ部隊が駆け付けた頃には、森石数馬はすでに行方をくらましてしまった後であった。しかし、奴が持っていた“アイテム”と、儀式に参加していた他のニメルス教団の信徒は、何とか確保することができた。


 信徒たちの取り調べの結果は、明日の朝届くだろう。その結果次第で、この町で起きている事件に関する情報も手に入るかもしれない。


 森石数馬が所持していた“アイテム”も、すでに本部に運ばれていた。おそらくあの少女をこの世界に連れてきたのは、その力によるものだろう。


(別の世界の住人を、無理やりこちらの世界に呼び寄せる“アイテム”か。)


 黒薙は、そのことに対して、静かに怒りを抑えるのであった。




 連絡を受けた黒薙は、笹平のいる病室を後にして、さらに別の病室へと急ぐ。


 病院内の通路を奥へと進み、目的の部屋の前までやって来た。その病室は、厳重に施錠されており、扉の前には武装した部隊兵ぶそうへい2人が護衛を行っている。黒薙は、その護衛にIDをかざし、扉を開けてもらう。


 病室の中には、白衣を着た初老しょろうの医師とあの白い髪の少女がいた。


 白い髪の少女は、地下室でニメルス教団の信者に取り囲まれているところを保護したときの姿とは違い、水色の患者衣を着てベッドに寝ている。


 少女は、ベッドに拘束具で固定され、さらに口に猿ぐつわまでつけられていた。そして、首元には、黒いチョーカーが付けられている。


 初老の医師はベッドに寝ている彼女の側で、その容態を見ていた。その医師がこちらに気づき、声をかける。


「黒薙くん、来ましたね。」


「彼女の容態は、どうですか。」


「全身を強く打って痛めているが、それ以外は大丈夫だろう。精密検査でも、身体に特に異常は見られなかった。」


「分かりました。それで、なぜ私をここに呼んだのですか。」


「あー、それがね。」


 初老の医師はそういうと、少々気まずそうに黒薙に告げた。


「先に目を覚ました彼女に、現状を説明しようとしたら、パニックを起こしてしまって…、もう一度失神してね。聞けば、黒薙君が第一発見者なのだろ。君の口から説明した方が、彼女の精神的負担せいしんてきふたんが軽減されると思ってね。それに、ほら、回収部の君なら、こういう事態にはなれているはずではないか。」


 黒薙はそれを聞き、心の内でため息をつく。回収した“アイテム”の病室に呼ばれた時点で、ある程度察しはついていたが、案の定というべきか一番の面倒事を押し付けられてしまった。




 初老の医師は、他の仕事があるとかで、黒薙一人とベッドに横たわる白髪の少女を残して、病室を出て行ってしまった。


(これも回収部の仕事のうちか。)


 そう思い、黒薙は、寝ている少女の横顔を眺める。彼女の寝顔を見ていると、黒薙はどこか懐かしい気持ちになった。


 黒薙は、近くにある椅子に腰かける。地下室の戦闘後も、休む暇もなく事後処理に追われていた黒薙は、唐突に訪れたしばしの休息を噛みしめながら、彼女が再び目を覚ますのを待つのであった。

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