第4話 現代のエージェント

 燃え上がるように輝いていた秋の紅葉こうようも、とっくの昔に散ってしまい、冬がすぐそこまで来ていた。吹く風が、冷たい。


 道路わきにある広場に、一人の少女がいた。彼女は、スーツの上からロングコートを羽織っているが、それでも寒さを感じていているようだった。


 その少女、黒薙唯月くろなぎいつきは、寒さを和らげようと、着ている黒いコートの襟を引っ張る。




 黒薙は、この地域を担当していた調査部ちょうさぶのエージェントと接触するために、都内から片田舎のここまでやってきていた。しかし、もうすでに待ち合わせの時刻から30分ほどが経過しているのにも関わらず、それらしい人影は見当たらない。


 一向にやってこない待ち人にしびれを切らした黒薙は、肩にかかる黒髪を揺らしながら、路肩に駐車している黒いセダンの方へと戻った。


「おう、黒薙。調査部の奴は来たか?」


 窓を開け、黒薙とバディを組んでいる笹平真人ささひらまひとが、車内の運転席から声をかける。開いた車の窓からは、彼の推しアイドルの曲が、漏れていた。


 笹平は、黒薙より10歳も年上の28歳であった。体格もよく、金髪に丸いサングラスをかけて、きっちりとしたスーツを着ている今の姿は、一見するとそっちの道の危ない人にも見えるだろう。


 だが、いざ話してみると、おちゃらけた雰囲気で、軽口も良く話すタイプである。よく他人に不愛想ぶあいそうな態度をとってしまう黒薙に対しても、積極的に接してくれる人物の一人でもあった。




「いえ、まだです。笹平さん、寒いのでそろそろ代わってくれませんか?」


「何バカのこと言っているんだ。俺には、推しアイドルのさゆりんの新作アルバムを聞くっていう大事な仕事があるんだよ。」


 10分前にも、同じようなやり取りはしたばかりであった。いわゆる先輩にあたる笹平に言われたら、仕方ないが諦めるしかない。


「…。」


「お前、すげー嫌そうな顔したな。可愛くねー奴。」


「してないです。交代しなくていいので、今度ご飯、奢ってください」


 黒薙はそう言い残し、車から離れる。後ろで笹平が、何かをごちゃごちゃと言っているが、寒空の下で若い娘を待たせているのだから、当然であろう。




 そんなことを考えながら、待ち合わせ場に戻って来た黒薙は、自分の方へと近づいてくる一人の男の影があることに気が付いた。


「あんたが、回収部かいしゅうぶのエージェントか? ずいぶん若いんだな。」


 ダウンジャケットを着た男は、近づくと黒薙にそう声をかけた。帽子を目元深くまで被っているため、顔はよく見えないが、40代ほどであろうか。


 若いと言われた黒薙は、少しむっとした顔をする。


「その前に、あなたの所属コードを言ってください。」


「すまない。コードNR109485だ。」


「こちらコードTN364711です。連絡のあった調査部の方ですね。」


「そうだ。遅れてしまって申し訳ない。」


「…そんなことより、冷えたので、詳しい話は車内でしませんか。」


 連絡もなく30分も寒空の下で、待たされたことに対しても、黒薙は少し思うこともあった。だが、それを今言っても仕方がない。黒薙は、調査部の男と共に、笹平が待つ車へと足を運んだ。




 後部座先の扉を開き、先に男に乗ってもらい、黒薙はそのすぐ隣に座った。


「お前さんが、連絡のあった調査部の奴だな。えらく待たせてくれたもんだぜ。」


 自分のスマホから流れるアイドルの曲を止め、後部座席の方へと振り向いた笹平が男に話しかける


「それに関しては、申し訳がない。こちらも追加で調査していた事案があって遅れてしまった。」


「まぁ、ならしょうがないか。しかし、あんたのせいで、俺はこいつにメシを奢らないといけなくなってしまったんだぜ。」


 自分が遅れたことと、ご飯を奢ることに関する因果関係が理解できず、ぽかんとする男に対して、黒薙が本題を切り出す。


「それで、わざわざ回収部の私たちに接触してまで伝えたい情報とは何ですか?」


「あぁ、そうだったな。」


 そういって、男は話し始めた。




 調査部の男の話をまとめると、この千葉県鳥巣入とりすいる町では、1週間ほど前から複数の事件が同時多発的に発生しているとのことだった。


 一つ目が、連続失踪事件である。10代から30代の男女4名の失踪事件で、無差別かつ短期間での犯行であることから、組織的な誘拐事件だと判断した警察は、捜査を進めている。しかし、犯行は日中の明るい時間帯に行われたにもかかわらず、犯行現場を目撃した人間がほとんどいないため、捜査は難航しているとのことである。


 二つ目は、3件の殺人事件である。いずれも被害者は鋭利な刃物のようなもので腹部を切り裂かれており、内臓がひどく損傷した状態で死体は発見された。死体からは同じ神経毒が検出され、刃物に毒物が塗布された状態で刺されたと考えられる。


 三つめが、10代から80代の地域住人が、次々と謎の昏睡状態に陥っていることである。どの被害者も、発見された場所、日時などが異なるが、身体が硬直し、意識不明の昏睡状態が今も続いている。医療機関は新種のウイルス性の病気の可能性も加味し、注意勧告を呼び掛けているところである。




「今回の案件を簡単にまとめるとこんな感じだ。これ以外にも、全長1m半ほどの巨大生物を見たという報告もある。詳しいことは、この資料を見てくれ。」


「ありがとうございます。」


 そういって男は、A4サイズの茶封筒に入った資料を手渡してきた。黒薙は、封筒を開き、内容を確認しながら、ふと疑問に感じたことを問いかける。


「しかし、資料でまとめているのでしたら、直接我々に接触しなくても良かったのでは?」


「…この町で起きた3件の殺人事件の被害者、その一人は俺のバディなんだ。」


「え。」


 調査部の男の口から、自分の予想外の話を聞いた黒薙は、一瞬体が固まってしまう。


「先日、明朝に情報収集のために出かけた彼女を、腹を切り裂かれた状態で発見したのは俺だ。そのこともあって、この件は調査部の手に負えないと判断された。これ以降は、お前ら回収部に一任されるそうだ。」


 調査部の男は、素っ気なくそう言った。この男と被害にあったバディの女性との間に、何があったのかを、黒薙は知らない。それでも、帽子の陰で隠れるその奥で、何か光るものを見たように、黒薙は感じた。


「お前はバディの仇がとりたいのか? それは…」


「わかっている。組織の理念に反していると言いたいんだろ。」


 運転席にいる笹平の言葉を、遮るようにして男は言った。


「仇をとってくれと言いたいわけではない。ただあいつのためにも、…美幸みたいなことはもう起こさせないでくれ。それだけ、直接言いたかったんだ。」


 すすり泣くような細い声で言った男の言葉を後に、車内には少しの沈黙が流れた。




「それにその報告書には、まだ書いていないことがある。」


 しばらくして、調査部の男は落ち着きを取り戻したのか、話を続けた。


「最近この辺りで、森石数馬もりいしかずまと思われる人物の目撃情報があった。」


「森石ってゆうと、あのニメルス教団幹部の森石か!」


「あぁ、そうだ。」


 調査部の男の話を聞いた笹平が、声を荒げる。


 ニメルス教団、救済と称した活動を各地で行っている新興宗教団体しんこうしゅうきょうだんたいの一つであった。中でも幹部の森石数馬、その名前は黒薙も聞き覚えがあった。森石の名前は、組織外の“アイテム”所有者として、組織のブラック

リストの中でもかなり上の方にあった。


「森石は、信者の連中を集めて、何かの儀式を少し前から行っているらしい。そのことも調べていて、今回遅れてしまった。奴らが良く出入りしている集会所の場所も、すでに特定している。」


 そう言って調査部の男は、森石数馬の写る写真と、集会所の住所が記されたメモ用紙を黒薙に手渡してきた。


「先の事件、奴らが関連している可能性も、無きにしも非ずってことか」


「…俺の調査は以上だ。後のことは回収部であるお前たちに任せる。」




 男は立ち上がり、扉を開けて車から出た。それに続き、黒薙も一緒に車から降りる。


 調査部の男は、黙ったままで自分たちから立ち去って行った。黒薙は、その後姿をじっと見つめていた。


 真相も知らされないまま、ただ調査した内容を他人に伝えるのみ、自分には何もできない。その苦しみが、どれほどのものか、黒薙には分からなかった。


(でも、起きてしまったことに対して、指をくわえることしかできないのは、私も同じか。)


 そんなことを考えながら、黒薙は車の助手席に座りなおす。


「何か辛気臭しんきくさい話、聞いちまったな。ちょっと早いが、夕飯食いに行くか。奢るぞ。」


 黒薙のことを気遣ってか、調子よく笹原が話しかけてくる。調査部の男のような話は、この組織にいれば、多かれ少なかれよく聞く話だ。


 笹平はエンジンをかけ、路肩から二人の乗った車を発進させた。




 あの光を見たのは、その日の太陽が西に傾き始めた頃だった。


 定食屋で早めの夕食を食べ終え、調査部の男の情報を頼りに、“アイテム”の捜索を開始しようとした時である。車に乗り込もうと扉を開けた黒薙は、自身の周囲に何かを感じ、動きを止めた。


「ん、どうしたんだ? 黒薙。」


 車内からは、笹平が呼ぶ声が聞こえる。黒薙にとってこの感覚は、初めてではなかった。5年前のあの時にも、似たものを感じる。そう確信した黒薙は、後ろを振り向く。


「おい、何かあるのか?」


 つられて笹平も、同じ方角を眺めた。



シャン!!



 次の瞬間、二人が振り向いた先で、白い閃光のような光が、空に向かって伸びた。光は、ほんの一瞬だけ見えたのち、すぐに消えてしまった。


 光が消えたのを見ると、黒薙はすぐに車の助手席に飛び乗る。


「な、なんだ!あの光は!」


「笹平さん、あの光の発生地点まで! 急いで!」


「わかった。しっかりシートベルトしろよ!」


 光があった場所は、調査部の男が渡してきた、森石数馬が良く出没している住所の付近である。そこにねらいを定めた笹平は、車を急発進させるのであった。

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