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 ※



 〈竜の友〉は大陸に百人といないだろう。ゴーチェはこの時代の〈竜の友〉としては特に劣っても秀でてもいない、目立つところのない〈竜の友〉といえる。

 特徴というなら、彼女自身より彼女が育てた竜のほうがはっきりしている。彼女が友とした竜は、いずれも竜としては素直で高潔な竜ばかりだ。

 竜を育てるゴーチェは自身の親を知らない。とある村で〈竜の友〉に拾われて〝エカレの子守歌〟を聞きながら山野で育った。さながら竜の子がそうされるように。

 成長したゴーチェは迷うことなく、親代わりの〈竜の友〉と同じ職業についた。竜が好きだったのもあるが、生来の性格か環境がそうさせたのか、人づきあいというものがひどく不得手な身には、人から距離をおける〈竜の友〉という生業がむしろ好都合だったのも大きい。

 そんなある夜のこと。ゴーチェは数少ない知人の一人を宿にむかえていた。椅子に座るゴーチェの肩には、茶色の地味な色合いの三年幼体がおとなしく座っている。標準型と呼ばれる、蜥蜴を強靭にしたような顔と体躯に、蝙蝠のそれに似た一対の翼をもつ、多くみられる類の竜だ。

 その竜が、むかいに座る男をじっと見つめている。

 ゴーチェの前に座っているのは、ゴーチェをこの宿に呼んだ男だった。けして派手な格好もしておらず、ゴーチェ同様に羊毛で織られたよくある服を着ていたが、よく見ればその襟にはこの国の近衛騎士の紋章がついている。ゴーチェと同年代、まだ若いといっていい年で、酒場に行けば人目を集めても納得がいくぐらいの顔立ち。

 同じ二十代後半で、鳶色の髪と目もゴーチェと同じ。並べば兄妹に間違われたほどに、色合いだけはよく似ている。

 オーシャ・グリング。顔見知りというには馴染みがありすぎるが、かといって友人というには微妙なつきあいが続いている昔馴染み。

 ゴーチェは、オーシャの暮らしていた村の入口に捨てられていた。師について山野を巡っていたゴーチェだが、人の世のこともあるていどは知っておくようにと何度となく預けられたのがオーシャの家だった。

「おれも無理を言っているのはわかっている。だが王の命に背くわけにはいかない」

 似たような色合いの二人が、同じように暗い顔になる。

 発端は〈盟王〉のいつもの気まぐれな命令だった。


 ──《その国一番の竜を我が前に披露せよ》

 

 そんな〈盟王〉の言葉に属国の王たちは戦々恐々となった。いや、現在もしているといえよう。人の言葉をわざわざ「きいてくれる」竜など〈竜の友〉に育てられた竜しかいない。だがその竜がどこにいるかなど誰一人把握してはおらず、各国で今のゴーチェのように〈竜の友〉をあわてて呼びだしているに違いなかった。

「この国一番の竜といってもなぁ……」

 唯一といっていい知人がわざわざ宿をとってまで自分を呼んだのだ。応えるのが人として正しいのだろう──ということぐらいはゴーチェにもわかる。だが気持ちとしてはまるで逆だ。

 人間の気まぐれに竜を〝使う〟というのは、気が引けるのを通りこして嫌悪すらあった。それをオーシャもわかっている。だからこそ二人とも同じような暗い顔にならざるを得ない。

 属国を比較するのは〈盟王〉の趣味のようなものだった。名産で、兵の練度で、工芸品で、女で、あらゆるもので属国は比較される。その基準は〈盟王〉の独断だ。属国が嫌々ながらに〈盟王〉の趣味に従わざるを得ないのは、この順位次第で〈盟王〉に献ずる税や物資、兵力が大きく変わるからだ。美女比べから寵姫を出したフリンドル国の話を知らない者はいない。かの国は十年にわたり主権国への税をまぬがれたばかりか、長年不仲だった隣国の半分を新たな領土として与えられた。

 属国の中でもかなり小さなこのナクル国としては、今度の比較で少しでも上位にのぼりたい──と王が考えるのも当然といえる。

 〈竜の友〉の中にも王に仕える者がいなかったわけではないが、とても稀だ。どの国もつてを頼って〈竜の友〉に声をかけているだろうが、たいていの〈竜の友〉は渋い顔をしているに違いない。

 〈竜の友〉は一頭の竜と五年から十年ほどともにすごし、その後は空に放つ。〝友別れ〟だ。

 自由になった竜が〈竜の友〉の言葉をきくかどうかは竜と人次第。長生きしている〈竜の友〉でも声をかけられる竜はせいぜい十頭。ゴーチェの場合は〝友別れ〟した竜が二頭と今の竜を合わせた三頭が声をかけられる竜だが。

「自分にとってはどの竜も一番だ。この子を含めて。だがこの国一番かというと」

「そう言うと思っておれもいろいろ話を聞いてまわったが、この国にはお前以外の〈竜の友〉はいないみたいだ」

 ゴーチェはテーブルにひじをつく。

 そんなことはとうにわかっていた。同種にかぎらず他者の存在に敏感な竜が、近くにいる同種を──この場合の〝近く〟とはだいたい五百ナーリ、この国がまるまる入ってしまうほどの距離をいう──察知しないはずがない。

 ゴーチェがこの国にいるのは地元であると同時に天険といえる東西の山脈のおかげで往来する人間が少なく、他を圧するような類の竜も近隣におらず、若い竜を育成するのによいからだ。つまり、ゴーチェがここにいる理由自体がこの国に他の〈竜の友〉がいないことを意味している。

「……その茶色いのは、まだ人の多いところには連れていけないのか?」

 オーシャの声にゴーチェは顔を上げてから首をゆっくり横に振る。できれば誰にも話すつもりはなかったが、この男なら仕方がない。

「コグはまだいい。問題はこっち」

 ゴーチェは自分の服の下、左右の乳房の谷間へと手をつっこむ。オーシャがぎょっと目を丸くするのもかまわず、ゴーチェは中からあるものをとりだしてオーシャに見せた。

 その手の上で、女性の握りこぶしよりも少し小さいくらいの卵が輝いている。殻の色は目を奪うような真珠の白色。

「お前が持ってるということは、竜の卵だよな……?」

「ああ」

「前に言ってた気がするが、普通、〈竜の友〉は一度に一頭づつ育てるものじゃなかったか?」

「そうだ」

 肩に乗せた竜──コグが卵を見つめて嬉しそうに喉を鳴らしている。同種のものだとわかっているのだろう。

「そのつもりだったが、竜のほうから卵を持ってきたんだ」

 四か月前の夜、山小屋で休んでいたゴーチェのそばでコグが鳴きだし、なにごとかと起きてみれば外に青い竜がいた。

 ゴーチェが育てた竜でも、師が育てた竜でもないのは一目でわかった。山小屋と大きさは等しく、夜でもわかる鮮やかな青い鱗と翼は青玉に命を与えたよう。──こんな竜がいれば忘れられるはずがない。なによりもゴーチェの目をとらえたのは額からのびた一本の角だ。青玉の結晶そのものというような角は長く、大人の腕ほどの長さ太さがあり、この竜が最低でも五百年は生きているのは間違いなかった。

 ゴーチェが恐る恐る近づくと、青い竜は体躯に比して小さな手をゴーチェのほうにのばしてくる。

気づけば自分の手の中に真珠色の卵があった。

 ──これを、わたしに?

 竜がうなずく。

 こちらを見る瞳に濁りはなく、爪もーも角も翼も欠けることのない成竜。他者の前でたやすく己の圧を消すことができる能力の高さ。どんな〈竜の友〉でもこれほどの竜を友とすることはないだろうと確信できるほどの、優れ秀でた個体だった。

 おそらくは〈竜の友〉に育てられた竜ではない。そう考えたゴーチェの耳に、信じられないものが届いた。

 青竜が鳴いている。竜としてはとてもささやかに、けれどもゆったりと長く。

 ゴーチェは目を見開く。その声には意図的な高低──音程があった。

 歌だ。

 竜が歌うその歌をゴーチェは知っている。

 ──〈エカレの子守歌〉だ。

 この歌を最初から知っているということは、この竜はエカレに育てられた竜か。

 〈竜の友〉なら誰でも知っている歌だが、現在主に伝わっているのは主題の部分のみで、ほとんどの〈竜の友〉はその前に竜への呼びかけがあることを知らない。

 竜に合わせた言葉のないのんびりした呼びかけがあるのを知るのは、エカレの直系弟子にあたる数人だけだ。ゴーチェはその数人の一人だった。

 ──だからか。

 竜と卵を見比べ、ゴーチェは納得する。この竜はきっと自分を育てたエカレに近い、あるいはエカレに似た〈竜の友〉を探してここに来たのだろう。

 ゴーチェは息を吸いこみ、この素晴らしい竜に合わせ、かなりひかえめに〈エカレの子守歌〉を歌う。

 人の歌う子守唄を聞いた竜が目を閉じた。人間なら昔を懐かしんでいる、そんな顔に見える。

 ゴーチェが歌い終えると、青い竜は満足したように長い首をこちらに寄せてきた。その首の中から低い震動音が、喉を唸らせる音がしている。〈竜の友〉なら聞き間違えるはずもない、竜の機嫌のよいときに鳴らす音だ。

 寄せた首を戻すと、青い竜はふわりと宙に浮き、こちらが声をあげる間もなく姿を消した──。

「……おそらく、あと三か月から四か月ほどでこの卵は孵る」

「──それは、まずいな」

 察したオーシャが即答した。

 オーシャは〈竜の友〉ではないが、ゴーチェといることでいくらか竜の知識がある。孵化の前後はとりわけ気を使うべき時期だということぐらいはオーシャも理解しているのだ。

 人の多いところは竜の養育にはむかない。まして〈盟王〉の都などという、大陸東部でもっとも大きな都など、孵化直後でなくともむかいたくはない場所だ。

「断るにしても、陛下に直接申し上げてくれないか? おれからも説明はするが」

「つまり、王都まで行けと?」

 それもゴーチェには鬱陶しいことではあった。人の多いところは竜にはむかず、自分も苦手だ。

「いや、この時期は、陛下はスーハの別荘で静養中だ。人の少ないそちらなら、お前も問題ないだろう?」

 スーハはこの国の北部にある、美しい湖があることで有名な場所だ。風光明媚で気候もよいが、むかう経路が限られているために観光に来る者は少ない。

 そんなある意味「うってつけ」の場所をあげられ、ゴーチェは肩に乗る竜を見る。竜の様子は変わらない。

「──わかった。断るのなら直接にだな」 



 ※



 湖畔には離宮などとはとてもいえない、木とレンガで造られた二階建ての別荘が建っていた。

 老女官に案内されたゴーチェの肩の上で、コグがあたりを見回している。偵察しているというよりも知らないものに興味が隠せないといった動きだ。

 建物も内装も丁寧な造りをしていたが、どう言葉を選んでも豪華といえるほどではない。国王の静養先には質素ともいえるぐらいだったが、国の規模からすると妥当なところだろうと、ゴーチェはむしろ好ましくとらえた。

 湖の見える応接室に通され、二人と一頭は王を待つ。

 この国、ナクルはけして豊かではない。東西を高い山脈に挟まれた高地が国土の七割を占め、そこで行われている農業と牧畜が現在の主産業といえるが、どれも大規模なものではなく、「細々と」とか「つましく」という言葉が似合うような国だ。

 昔馴染みが近衛兵というような位置にいるのも兵のなり手が少ないからで、いくらか腕がたちそこそこの見栄えなら入れるくらいだ──とは隣に座るオーシャの弁である。

「静養ということは、王は体が弱いのか」

 ゴーチェは王について詳しくない。つい最近、といっても二三年前に代替わりしたことぐらいは知っているが、それ以上はさっぱりだった。

「弱くもないし、特別強いということもない。普通だな」

「その割に静養するのか」

「……そこは言葉のあやというかな」

 オーシャが苦笑いしている。

「政治の場から離れてゆっくりしようというのが本当のところだが、普通に休養というよりは静養のほうが実情にそってるってことで、静養だ」

 肩の上のコグが首をのばした。それからまばたき二つぶんほど遅れてオーシャが「お」と声をあげる。竜の察知能力は訓練された人間より高い。

「お見えになったな」

 立ちあがるオーシャに合わせてゴーチェも立つ。

 応接室に入ってきたのは少年と老人の二人。どちらも平服だ。二人がゴーチェたちの前に来る。

 そういったことに疎いゴーチェから見てもそれなりに二人とも見栄えはよく、特に少年のほうなどは年のわりに所作は品よく堂々としているといえた。

 とはいえ、この国によくある灰褐色の髪と目の顔立ちは整ってはいるものの、その顔は大きな目からしてまだまだ若さよりも幼さが残るというべきものだったし、体躯もゴーチェの前に立ってもこちらの胸まで届くかというほどの背丈ほどで、この王はまだ十二か三といったところ。

 こちらを見上げる少年は、王というにはあまりに若い。

「はじめまして、ゴーチェ・オンドゥート。ぼ……わたしが、国王マーシス十一世だ」

「……ゴーチェ・オンドゥート。〈竜の友〉をしております。こちらは我が友のコグ」

 ゴーチェが声をかけると、コグはこちらの意をくんだように畳んでいた翼を広げ、若い王にむかって首をのばしてから頭を下げた。人間のあいだには礼儀というものがあると、ゴーチェよりも理解できているようだ。──ひょっとしたら、王のきらきらしたまなざしから「どうだすごいだろ」と返しただけかもしれないが。

 街の子供であろうと王だろうと、初めて竜を見た少年の反応というものはそう変わるものではないようだ。

 王の後ろにひかえていた侍従が咳払いする。それを聞いた少年があわてて顔つきを変えた。

「とりあえず二人とも座ってもらえるか?」

「では」

 三人が座るあいだも、王の目線は竜にむけられていた。悪意や忌避の類ではないからとコグの足をなで、ゴーチェは自分をなだめる。

「だいたいのことはオーシャから聞いていると思う。竜を連れて〈盟王〉のもとに行ってほしいと」

「お断りします」

「──ゴーチェ!」

 隣からオーシャが小声でたしなめてくるが、ゴーチェの表情は変わらない。無礼というならこの王の前で嘘やごまかしの言葉を並べるほうがよほど無礼というものだろう。

「理由を聞いてもよいだろうか」

 王はそれほど驚いてはいなかった。怒ってもおらず、率直に「わからないことを聞こうとしている」ようにゴーチェには見えた。だからゴーチェも率直に答えることにしたのだ。

「このコグはまだ育成中です。竜は人の中で育つものではありません。ただの旅ならともかく、〈盟王〉の都のようなところに長く留まるというのは、竜の成長にとって思わしくない」

「竜は、人の多いところは苦手なのか?」

「はい」

「竜とは強いものだと思っていた」

「成長すれば竜は比類なき力持つ友となります。しかし幼い竜は人の悪意に弱い。ゆえに人の多い場所を〈竜の友〉は避けるのです」

 王はまっすぐにゴーチェを見据え、一度肩の竜をちらりと見てから外に目をやった。それからまたしばらくして、こちらに顔を戻して問う。

「……ゴーチェは、〈盟王〉の国に行ったことはあるか?」

「国境付近までなら」

 そこまでがせいぜいだ。街道沿いの街でさえ、ナクルの副都より大きいような国で、育成中の若い竜を連れて歩けようはずがない。

 王の目はまっすぐにコグを見ていた。そのうちにある強さを知ろうとするように真摯に。

「わたしは一度、〈盟王〉の都に行ったことがある」

 それはおそらく代替わりしてすぐのことだろう。属国の新王はだいたい即位して一年以内に〈盟王〉のもとへ挨拶に出向くのが慣習だと聞く。

 王は記憶をたどるよう目を伏せた。

「……あの都の者たちはいろんな目で見てきた。直接に無礼な言葉を言ってくる者はいなかったが、陰で噂されているのはわかったし、正直いい気持ちではなかった」

 先ほどよりもずっと緩慢な、溌剌さの欠けた口調から、当時の王の姿が目に浮かぶようだった。

 十を越えたばかりの小国の王など〈盟王〉の臣下たちや他国の王侯貴族らからすれば、異国の希少な動物くらいの扱いだろう。丁重にもてなし大事にはするが、いざとなれば食べるか使うか捨てるか。そんな動物と同等の目をむけられていい気分になる者がいようはずがない。

 王が顔を上げる。

「だから、ゴーチェが竜のために行きたくないというのもよくわかる。わたしも友人があんな思いをするのなら、『行くな』と言う」

「──よいのですか」

 問い返したゴーチェの前、王は少しだけ笑う。

「小国ゆえ〈竜の友〉も見つからず、〈盟王〉に拝するほどの竜もいなかった──そう申し上げても誰も不思議には思わないだろう。この国は小さく貧しいのだから」

 王の言うとおりだった。誰も疑問すら抱くまい。

 竜を出さずとも、この国の国力からすれば妥当ともいえるくらいだが、そうなればまた他国との差は広がる。

 この王は聡明だ。己の言葉の意味と、その結果がわからぬ少年ではない。迷いながら、目の前にいる命を、竜を優先させた──しようとしていることに、ゴーチェは感謝と同量の不安を抱く。

 この王は、優しすぎないか、と。

「だがせっかく来たのだ。よければわたしに竜の話をしてもらえるだろうか? その、竜を見たのは初めてなのだ」

「それくらいであれば、喜んで」

 ゴーチェが言い終わるや否や、コグがゴーチェの肩を蹴りふわりと浮いてから、王の腿の上にのった。御機嫌らしく喉まで鳴らしている。

「コグも王のことが気に入ったようですし」

 突然の重みに驚きながらも目を輝かせている王が「触れてもよいのか?」と訊いてくる。

 もちろん、と答えた頬が緩んでいるのをゴーチェは自覚した。



 ※



 夕食までゴーチェは王に竜の話をした。王というよりは年相応の、それも好奇心旺盛な少年の質問に答え続けたというのが正しいところか。

 王は竜を、というかコグをいたく気に入り、夕食後もコグとゴーチェの話を聞きたがった。それに応じてコグの親がコグとはまったく似ていない、羽毛を持つ竜だと聞いたときなど王は目を丸くし「本当なのか?」と、ひざの上で丸くなっている竜に訊ねるほどだった。苦笑いの侍従に就寝をうながされることがなければ、今もゴーチェの話を聞いていただろう。

 そんなふうに穏やかに夜は更けて。

「──聞いてないぞ」

 来客用の寝室。椅子の背を抱えるように座るオーシャを前にゴーチェはベッドに腰かけ、腕を組んでいた。

「王について、いくらか先に話しておこうとか考えなかったのか、お前は」

「俺が説明するより実際に会って話したほうが納得するだろ」

「そこは否定しないが、とはいえ、だ」

 ベッドに腰かけるゴーチェの横でコグが翼を広げて伏せている。寝具の感触が気に入ったようだ。

「王はああ言ったが、問題ないのか」

「ないわけない。ありありだよ。わかるだろ」

 どうしようもない、とでもいうようにオーシャは耳の後ろをかいている。

「前回の〈お召し〉もその前も出てないんだ。不参加ということはそれだけ属国内の序列が下がるということだからな。正直なところ崖っぷちだ」

「そしてお前がわたしのところに来た。それはわかる。だが王の命ではないな?」

 今日の様子だと王は〈盟王〉の要請──〈お召し〉への参加には消極的だ。そんな王がオーシャを使い自分を呼んだとは考えにくい。

「宰相殿だよ。陛下の伯父上の」

「──そうか」

 属国内の序列は外から見た国の〝格〟でもあるが、それ以上に〈盟王〉にどれだけ尽くさねばならないかということでもある。下位の国ほど負担は増す。ゆえにどの国も目の色を変えるのだ。

 この国の名産として東西の山脈北部から採れる岩塩がある。本来なら輸出の主力となるはずの品だが、数回前の〈お召し〉以来、そのほとんどは〈盟王〉の国への税代わりとなっているのだと、北の狩人からゴーチェも聞いた。

「陛下も頭ではわかっておられると思うが──」

 オーシャが言葉を止めたのはコグが体ごと頭を上げたからだった。それからひかえめにすぎるノックの音。

 ゴーチェは「少しお待ちを」と立ちあがり、飛んできたコグを肩に乗せ扉を開ける。

「夜分申し訳ない。ゴーチェ。女性の部屋を訪ねるような時間ではないと承知しているが」

 こちらを見上げる寝間着姿の王の顔を見れば、訪問の意図は言わずとも伝わった。

「こちらはかまいませんが、王は明日も早いのでは」

「それは、そうだが」

 ゴーチェにも覚えがある。興奮で眠気が去り、いてもたってもいられないような夜は。初めて竜の卵を手にした自分も、年はいくらか上だったが同じような顔をしていたはずだ。

「子供は寝て育つもの。夜通しの話で明日一日は大あくび、ときてはあの侍従殿もよい顔をなさらぬでしょう。それに」

 ゴーチェにしては穏やかに言えた、つもりである。

「もうしばらくお世話になる予定ですので、そうあせらずとも話をする時間はございます」

「そうか」

 王の耳が少し赤くなっている。

「こんな時分にすまなかった。ゴーチェ」

「そこで一つ御提案を」

 自分でもらしからぬことを思いついたものだ。普段の自分なら口にするどころか思いつきもしなさそうなものなのに。

 ゴーチェはコグを腕にのせかえて、王の目の高さに合わせる。

「わたしが長々と話をするのはいかがなものかと思いますが、この竜が一晩かぎり王の護衛となるのは差し支えないかと」

「よいのか!?」

 思わず声が大きくなってしまったらしい王が。あわてて自分の口を覆う。

「その、育成中の竜はとても繊細だと聞いたぞ」

「王のおっしゃるとおりですが、他ならぬコグが王のことを気に入っておりますので。……腕を」

 王が腕を上げると竜がひょいと細い腕にとびのった。長い首をのばし、王の頬に顔をすりよせる。

「手足と翼の爪は丸くしてありますが、鱗が思っているより硬いのでお気をつけください。腕にのせるのが重くなったら、肩を軽くたたけば移ります」

 嬉しさを隠すことなく、王はゴーチェを見上げてくる。その腕にのるコグも機嫌は上々のようだ。これならばなにかある、ということもないだろう。

「ありがとう、ゴーチェ」 

「飽きたら戻ってくるでしょうから、こちらのことはお気になさらず」

「わかった。おやすみなさい。よい夜を」

「王も、よい夜を」

 コグを腕にのせた王の姿が見えなくなるまで見送ってから、ゴーチェは部屋に戻る。中ではオーシャが相変わらず椅子の背をかかえるように座っていた。

「いいのか、コグは」

「当のコグが一番乗り気だ」

 王が来る前と同じようにベッドに腰かけ、ゴーチェは結んでいた髪を解く。

「普通は竜を手元から手放さないものなんだろ?」

「普通ならしないが、あの王とは相性がよさそうだしな」

 生まれが生まれでなければ〈竜の友〉候補として自分の師に引き合わせたいほどだ。自分はまだ弟子を持つような年ではないが、師匠あたりならあの少年をきっといい〈竜の友〉に育てられたに違いない。

「少し考えることがある。そっちも寝ろ」

 だからさっさと出ろ、とゴーチェが手を振ると、昔馴染みは渋々というか実に残念といった様子で部屋を出た。



 ※



 翌朝は清々しい朝だった。支度をすませて朝食をとり、ふらりと湖畔への散歩に出たくらいには。

 結局コグは朝食の時間をすぎても戻ってはこず、大丈夫かと心配した王が自ら竜を連れてやってきたのが昼食の前のこと。

「ゴーチェは飽きたら戻ると言っていたが」

「はい。まったく飽きていそうにない」

 昨日と同じ応接室に二人が入る。

 コグがなにか無礼なことはしなかったかと訊ねてみれば、朝食のパンを興味津々で見ていたのでジャムをぬったものを食べさせたが、それ以外はおとなしいものだという。

 ──この竜は。

 竜は普通の食べ物を食べない。食べることはできるが必要がない。生物のしくみを越えた生物が竜だと学者は言う。

「少しお時間をいただいてもかまいませんか、王」

「うむ。竜の話なら大歓迎だぞ」

「──まさしく竜の話です」

 コグ、と呼びかけると王の肩にいる竜が羽ばたき、そこから虹色の膜が広がっていく。二人が座っている応接室をくるりと包みこんで膜は消えた。

「今のは」

「この竜が使える術の一つです。〈目伏せ耳伏せ〉。内緒話むきの、中の音を断ち人の目をそらす術です」

 けして万能ではないが、今別荘にいる面々や離れたところから遠見の術を使うような者は遮断できる。

「さて、ここからは竜にまつわる秘伝と、合わせて王の話をうかがわねばなりません」

「わたしの?」

「はい」

 ゴーチェはうなずく。

「王は昨日、わたしに行かずともよいとおっしゃった。それは本心ですか?」

「嘘ではない」

 王が顔を強張らせた。それを見た竜が顔を王に寄せる。

「では言いかたを変えます。嘘ではなくとも、心の底から迷いなく『行かずともよい』とおおせですか?」

 それは、と王が口ごもった。王の言葉は軽いものではない。それをこの少年王は理解している。

「コグの術ゆえこの場の言葉は我らの他には漏れません。ご安心を」

 喉を鳴らした竜の首をなで、王は口を開く。

「迷いは、ないわけではない」

 語尾がこの王らしくもなくかすれている。

「〈盟王〉の都は、とてもいやだった。あんなところにコグを行かせたくはない。だがずっと〈お召し〉を無視し続ければ、〈盟王〉に献じる税が増える。わたしはまだ細かい数字のことまではわからない。でも年ごとにここや都の男が少なくなっているのはわかる。税の代わりに兵として〈盟王〉のもとに行ったのだ。でも、おかしいと思わないか、ゴーチェ」

 王は背を正して言う。

「一番の働き手をとられ、なおも税を納めろという。そうやっていろんなものを手にしておきながら、あの都の者はわたしたちを笑うのだ」

 ──このひとは。

 竜を肩にのせた王の前、ゴーチェは黙っていた。

 この少年は間違いなく王だ。幼いながらも道理を理解し、国と民を想い憂い、打開の術を探ることができる者だ。

 それでもなお「行くな」というのは、それだけかの都で嫌な思いをしたのだろう。

「多くの民を守るのなら、コグやゴーチェに行ってもらうべきだと、頭でははわかっている。けれど、あんな場所でわたしみたいな思いをする者がいていいはずがない」

「ですが、オーシャは『崖っぷち』だと」

「……そうだ。わたしは国王としてはどうかというようなことを言っているな」

 年不相応な顔で面を伏せる王の前、ゴーチェは指を組む。

「国王陛下。一つ条件がございます」

「条件?」

 王が顔を上げる。

「わたしが〈お召し〉に出る条件です」

 目を丸くした王の肩の上で、コグはくつろいでいる。あわてることなどないとばかりに。

「わたしが〈盟王〉の都から帰ってくるまで、そのコグをお預かりいただきたい。それが条件です」

「コグを預かったら……ゴーチェは誰を連れていくのだ」

「──外を」

 ゴーチェは窓のほうをさす。その外に白い竜がいる。二階建ての屋根まである大きな翼から角まで純白の細身の竜。

「わたしが育てた二頭目の竜、イルです。〈盟王〉にはあちらを見せようと」

 コグは術に優れる聡い竜だが、まだ若くなにより外見が地味だ。すでに成長した見栄えのよい竜のほうが素人にはうけがよいことを考えれば、連れていくならイルのほうがよい。

「あれは品よく大人しく、コグよりは周囲の人間の影響を受けにくい」

「……どうして」

 白い竜を見つめたまま、王がつぶやく。

「王が、人と竜を思うことができるお人だったので」

 自身か。国か。竜か。どれかだけを優先させるような王ならゴーチェは別荘を去っていただろう。故国など知ったことではないと。

 だが、この王は迷いながらも懸命に進もうとする王だった。

「それともう一つ。わたしが〈盟王〉の都に行くことをよしとしなかった理由がこちらです」

 言いながら、ゴーチェは首からさげていた皮袋をひっぱりだした。ちょうど胸の谷間におさまるようにしていた袋から、白い卵をとりだしてみせる。

「竜の卵、なのか?」

「はい。持ってみますか」

「う、うむ」

 恐る恐るさしのばされた手にゴーチェはそっと卵をのせる。水をすくうときのように合わされたまだ小さな手に、卵はすっぽりとおさまった。

「竜の卵はたいていそんな色をしています。生まれてくる姿は千差万別なのですが」

 角度を変え距離を変え、王は卵を見つめている。

「卵自体はとても頑丈です。人間の武器では傷もつかぬほどに強い。だが竜は卵のうちから外を見聞きしているといいます。王の言うような都で卵にどのような影響が出るのか、正直わたしにもわかりません」

 いくら頑丈といえども、生まれた後のことを考えればこの状態の竜を長期間他人に預けられるものではない。

「人のいない静かな場所に隠す、というのも駄目か」

「卵の状態でも竜は人の様子をうかがっています。このときから人とのつながりを覚えさせるのが〈竜の友〉と竜の相性をよくする秘訣なのです」

 だからこれは賭けだ。手はあるといえ、自分とのつながりのために、人の集う都へ連れていくことは。

「竜は卵のうちから人を見、成長しても同様に人を見ます。彼らは魂の糧として、人の感情を要するので」

 卵を持ったまま王が怪訝そうな顔になる。

「人の心を食べる、ということか……?」

「それほど大層なものではありません。人の側にはほとんど影響のないものです。ただ、竜の性質にそれは大きく響く」

 荒々しい者に囲まれた竜は荒々しく、穏やかな人々に囲まれた竜は穏和になる。人の肉体がその食糧によってできているように、竜の性質、人との関係性は、竜が食した人の感情によってできる。

「竜は人の心を、感情を糧とする。それが〈竜の友〉の秘伝の一です」

 人が竜を誤解せぬよう、これは〈竜の友〉のみの秘とされているが、この王なら誤解するようなことはないだろう。

「……鏡のようなものか。周囲の者がよきものならよくなり、そうでなければ人をなんとも思わない竜になる」

「はい」

「──なら、きっと大丈夫だな」

 王がゴーチェと卵を見て顔をほころばせる。

「このコグを見ていれば、ゴーチェがよき〈竜の友〉であるのはわたしにもわかる。──だからきっと、この竜も素晴らしい竜になる」

 若き王の脳裏にはまだ見ぬ竜の──それもとても美しく強い竜の姿が浮かんでいるに違いない。そうゴーチェにもわかるほど、卵を見る王のまなざしには明るく優しい、希望と尊敬に満ちたきらめきがあった。

「すまない。ずっとわたしが持っていてもしかたないのに」

 そっと王が卵を返してくる。この卵も王のもとに預けてしまおうかと一瞬考えたが、さすがにそれはまずいだろう。

 竜の卵は希少だ。その見栄えから死んだ卵や割れた後の殻さえも宝石同様に扱われることを思えば、王のもとに置いておくのは最善とは言い難い。

「コグを預かるあいだ、コグはわたしの心を食べるとして、わたしはいいがコグはそれでいいのだろうか」

「王の御気性なら問題ないかと。人の多さについても、この二月はこちらで静養なされると聞いています。このくらいの密度であればコグも体験しているものです」

「ゴーチェが言うのなら、わたしはそれを信じる。他に気をつけることはあるか?」

「時折水が飲めるよう、綺麗な、できるだけ新鮮な水を用意しておいてください。量はグラス一杯ほどで大丈夫です」

 湖のそばだ。ここなら水に困ることはないだろう。ゴーチェの言葉を聞いた王が肩の竜を見る。

「コグはわたしの朝食をつまんでいたが……」

「人が食せるようなものであれば、竜には毒にはなりません。御安心を」

 個々の気性もあるが、総じて若い竜は成長した竜よりも好奇心が強い。そばにいる人間が食事をする様子を見て、「食べる」という真似をすることはある。食事の必要はない竜にとっては物真似か遊びのようなものだが。

「親しく感じる相手、興味のある相手の真似をしたがる傾向があるのです。特に幼いか若い竜というのは」

 だが二日でとは、コグはよほどこの王が気に入ったようだ。

「食べてもどうなっているのかわかりませんが、下の世話は必要ありませんので」

「それは助かる」

 一時よりはかなりほぐれた顔の王の前、ゴーチェは小さく指を鳴らす。たちまち窓の外にいた竜が音もなく姿を消した。耳をふさぐ術といえ、この近さの竜相手ならコグの術はささやかにすぎる。

「今回の〈お召し〉については王よりも宰相のほうが熱心だと聞いています。〈盟王〉の都にむかわせる〈竜の友〉が見つかったとお知らせください」

 こちらを見る王の目が少し潤んでいたが、ゴーチェは気づかぬふりをした。──ということにこの明敏な王は勘づいていただろうが。

「すまない、ゴーチェ」

 こちらに頭を下げる王の顔は見えない。

 ただ、ありがとう、と続ける声が震えていた。



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