15

 それは、10年余り前の事だった。飯山(いいやま)奈美恵は春休みを迎えていた。先ほど、大学の卒業式を終えたばかりで、来月からいよいよ教員になるんだと思うと、ワクワクしている。子供の頃からのあこがれだった教員、いよいよ夢がかなう時が来た。両親の背中を追い続けた日々、ようやく遅々と肩を並べる事ができた。これからは私が両親と同じ道を歩んでいくんだ。


「あと少しで教員になれるね。嬉しい?」


 奈美恵は大学で知り合った友達、史子(ふみこ)と歩いていた。来年度からは教員だ。もう春休みはないだろう。今の春休みを、しっかりと思い出に残せるものにしよう。史子は来年から一流企業に就職する。自分にも明るい未来が待っているように、史子にも明るい未来が待っている。


「もちろんよ! 両親と同じ教員になれるんだと思うと、嬉しくて嬉しくて」

「そうよね。ずっと夢だったもんね。きっと両親も喜ぶよ」


 史子は応援していた。ずっと夢に描いていた教員になれる奈美恵に期待していた。いつか、私の子供が生まれる時には、子供の担任になって、家庭訪問で家に来てほしいな。そして、これまでの日々も話せたらいいな。


「喜ぶ顔が見たいなー」


 奈美恵も期待していた。きっと両親は喜ぶだろう。興奮して、東京に来ないだろうか?


「その気持ち、わかるよ。両親もきっと喜ぶよ。さて、私も夢に向かって頑張らないと」


 史子は思った。奈美恵も来月から頑張るんだ。自分も夢に向かって頑張らないと。お互い頑張って、もっと高みを目指そう。


「私も応援してるわ」

「ありがとう!」


 2人は歩行者信号が青になった横断歩道を渡ろうとした。だが、そこに無免許運転の若者が運転する車が猛スピードでやって来た。だが、運転手は赤信号に気がついていない。気づいた時には、すぐそこに2人がいた。


「うわっ・・・」


 猛スピードでやって来た車は、2人に突っ込んできた。史子は素早く気が付いてよけたが、奈美恵は跳ね飛ばされ、頭を強く打った。意識がなく、道路に倒れている。


「なみちゃん、大丈夫?」


 だが、奈美恵は全く動かない。大変な事になった。早く救急車を呼ばないと。


「早く救急車! 救急車!」


 運転手や同乗者も出てきて、辺りは騒然となっている。史子はすぐに救急車を呼んだ。


 すぐに救急車がやって来て。奈美恵を運んだ。その間、史子は願っていた。これから幸せな生活が待っていたのに、どうしてこんな事にならなければいけないんだろう。どうか、奈美恵が無事でありますように。




 その頃、両親はくつろいでいた。今日は休みで、平和な昼下がりのようだ。2人は夢に描いていた。来月から奈美恵が教員になる。そして、自分と肩を並べる。


 突然、電話が鳴った。こんな日中に、何だろう。まさか、奈美恵に何かがあったんだろうか? 奈美恵の母は受話器を取った。


「もしもし」

「奈美恵さんが交通事故に遭ったって! 命が危ないって!」

「そんな!」


 史子からの知らせを聞いて、母は驚いた。来月から教員になれるのに、どうしてこんな事に。


「とにかく早く来て!」

「うん!」


 母は受話器を置き、奈美恵の父にその事を話した。それを聞いて、父は絶句した。そして、いち早く東京に行こう。そして、奈美恵の無事を祈ろう。


 東京へ向かう特急電車の中、両親は願っていた。どうか、奈美恵が無事でありますように。そして、夢が実現しますように。


「どうか助かりますように・・・。どうか助かりますように・・・」


 数時間後、奈美恵の両親は病院にやって来た。病院の外は騒然としていた。それを見ると、本当に奈美恵は大丈夫だろうかと思ってしまう。


 病院の玄関に、史子が姿を現した。それを見て、両親は史子の元にやって来た。


「奈美恵は? 奈美恵は?」

「ど、どうしたんですか?」


 だが、史子の顔はさえない。何があったんだろう。まさか、死んだんだろうか?


「お、お亡くなりになりました・・・」


 それを聞いて、両親は崩れた。夢を目前に、どうして死ななければならないんだろうか? ここまで一生懸命に育ててきた娘の命が、こんなにも簡単に奪われるなんて、信じられない。


「奈美恵ー!」

「そんな、馬鹿な・・・。夢だと言ってくれ!」


 いつの間にか、2人は泣いてしまった。それを見て、史子も泣いてしまった。


「なみちゃん、どうしてこんな事に・・・」


 その後、両親は冷たくなった奈美恵と再会した。あまりにも悲しい対面となってしまった。まるで悪夢でも見ているかのようだが、これが現実だ。受け入れなければならないのに、なかなか受け入れられない。




 その2日後、長野県内で奈美恵の葬儀が行われた。両親を始め、大学の関係者、幼馴染、そして、来月から務める予定だった中学校の関係者が出席したという。多くの人々は涙を流し、22歳の若さでこの世を去った教員の卵に最後の別れをした。


 その最後で、父は来場した人々にメッセージを送った。


「奈美恵の夢は、教員になる事でした。わたくしたち両親が、教員だったからでしょう。ずっとずっと私たちの背中を追いかけてきたのに、突然、いなくなってしまった。悲しくて悲しくてしょうがないです。いつも背中にいて、後ろにいたような奈美恵がこの世からいなくなった、それも、奈美恵が指導しなければならない不良によって殺されるなんて、こんな事があっていいのかと思っております。この出来事を、これからの人生の糧にできたらいいなと思ってます。今日、お忙しい中、来てくださった皆さん、奈美恵の告別式に来てくださって、本当にありがとうございました。こんなに多くの人に見送られて、奈美恵は幸せ者でしょう」


 その後、奈美恵の遺体を乗せた霊柩車がクラクションを鳴らして、会場を離れると、多くの人々が涙して、奈美恵の遺体に向かって手を振ったという。




 その話を聞いて、知也はいつのまにか涙を流してしまった。こんなにも突然死んでしまうなんて。あまりにもひどすぎる。


「そうだったのか」

「夢がかないそうだったのに、自分が指導する立場の子に殺されてしまうなんて・・・」


 いつの間にか、奈美恵も涙を流してしまった。深夜の静まり返った部屋に、奈美恵の声がよく聞こえる。


「大丈夫?」

「うん」


 と、知也は何かを思いついた。だが、奈美恵には何も言おうとしない。


「大丈夫。僕、頑張るよ」

「えっ!?」


 奈美恵は顔を上げた。まさか、自分の夢を受け継ごうと思っているんだろうか?


「な、何でもないよ・・・」

「そう・・・」


 と、奈美恵は思った。知也は将来、何になりたいんだろうか? 以前聞いた時には、まだわからないと答えた。私との出会いで、決まったんだろうか?


「知也くん?」

「どうしたの、奈美恵先生」


 急に何だろう。知也は首をかしげた。何を聞きたいんだろう。まさか、夢についてだろうか?


「将来、何になりたいのかなと思って」

「うーん、まだわからない」


 だが、知也はまだわからないと話す。だが、知也の心の中では決まっていた。奈美恵の遺志を継いで、自分が教員となり、その道を進もう。きっと、奈美恵も応援してくれるだろう。


「そっか」

「できれば、奈美恵先生のような、面倒見のいい女と結婚したいな」


 それを聞いて、奈美恵は思った。まさか、私と出会って、好きな女性のタイプが思いついたんだろうか?


「本当?」

「うん」


 もう1つ、奈美恵には思っている事がある。去年の夏から奈美恵に出会えて、嬉しいと思っているんだろうか? ここまで一緒に受験勉強をやってきて、楽しかったんだろうか?


「私に会えて、嬉しかったと思う?」

「うん。だって、奈美恵先生に会わなければ、ここまで成績が良くなれなかったもん」


 知也は感謝している。奈美恵に出会わなければ、ここまで成績が良くならなかった。ここまで来れたのは、間違いなく奈美恵のおかげだ。


「そうだよね。頑張ってるもんね」

「ああ」


 知也は夜空を見上げた。もうこんなに夜遅い。これ以上勉強をするのは体に良くない。もう寝よう。


「今日はもう寝よう。おやすみ」

「おやすみ」


 知也はベッドに横になり、寝入った。奈美恵はその寝顔を、まるで母のように見ている。

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