記憶を売れる店“Bye-bye”
有野優樹
記憶を売れる店“Bye-bye”
記憶を買ってくれる店“Bye-bye”
売った記憶は二度と思い出すことができない。売る際には身分証明書もいらないし、その場ですぐにお金を受け取れる。不思議なことになくなった記憶に関わっている人たちからも、その記憶や体験がなくなる。
たとえば、昨日友達と遊びに行った記憶を売ったとする。するとその友達も「あれ?昨日君と会ったっけ?」と言った具合。というよりも、そもそもなかったことになる。体に害もないし良いことづくめだ。
しかし。ただ、一つ条件があった。
その記憶にまつわるものを持ってくること。さっきのたとえで言うなら、友達と遊びに行ったときに買った物や着ていた服、電車の切符などそのときに関わっている物ならなんでもいい。それと一緒に記憶を売る。
こんな楽な稼ぎ方があっていいものなのか!
忘れたいことはありすぎる!
どんどん記憶を売る。
そんな“記憶を売りすぎた”男の話。
ーーーーーーーーーーーー
「さみーなー。こんだけ歩いてもちっとも褒められないし。はー」
神庭克樹(かんばかつき)35歳。都内の会社に勤めるごく普通のサラリーマン。昼と夜の寒暖差が厳しくなってきた時期、外回りをしていた。15時。先方に社交辞令の挨拶を済ませた後、喫茶店でコーヒー休憩をしようとしていた。
「もしもし?はい。さっき終わりました。え?すぐにですか!?あ、いや。大丈夫です。はいはい。わかりました。失礼します」
早く帰ってきなさいと催促の電話。大人になった今でも小学生の頃のように早く帰ってきなさいと言われるのか。頼んだばかりのコーヒーで食道を熱くしながら、半分以上を残して会社に戻った。
‥。
怒られた。
上司に言われた通りのことを伝えただけなのに
「そんなことを言えと言った覚えはない。お前の独断だろう!」
と言われ
「こうやれって言ったじゃないですか!!」
と言い返したら
「言われたことをやるだけなら子供だってできる。少しは自分でも考えろ」
結局、こっちが折れることになり収束。退勤時間を1時間も超えていた。怒られ手当は出ないのか。
フライングの缶ビールを片手に、空腹により早めに酔いが回った俺は、冷たい風といっしょに帰り道を歩いていた。
「んだよ、何で俺ばっかりさー、あれは上司がさー。‥ん?」
駅前は賑やかだが、家に向かうにつれだんだんと心細い明るさになっていく。雑居ビルと雑居ビルの隙間、すれ違うのがやっとなくらいの細い暗闇の奥を案内するかのようなに赤い矢印、そして黒字で
“Bye-bye”
と書かれた看板が、申し訳なさそうに立てかけられていた。
「なーに?それぇ」
判断力が鈍った頭に任せて矢印に案内される。左右に肩をいちいちぶつけながら歩いていく。ほんの数秒、目の前には駄菓子屋のような味のある‥古すぎる長屋のような建物が現れた。ショーケースがあるが店内は暗くて見えにくい。ショーケースにはブリキのおもちゃやボロボロの洋服、フチのかけたマグカップなどが置かれていた。
「売りもんか?これ」
ベルのぶら下がっている立てつけの悪い扉を開ける。
「いらっしゃいませ」
低くこもった、しかしはっきりとした声。白に少し銀色を交えたオールバック、スマートな体は緑色のエプロンよりも紳士服が似合いそうな男が座りながら言った。
“記憶を売れる”
男は確かにそう言った。寒さで少し酔いが覚めた俺は
「じゃあ、今日昼に行った先方への営業の記憶。売れるってことですか?」
と半笑いで言ってみる。すると男は動じることなく
「はい。可能です。」
と答えた。
「あーじゃあ売ります売ります。あぁ、記憶にまつわるもの?‥えーっと。あ、じゃあネクタイ。これ、これにしますよ」
「かしこまりました。お勤めの記憶、そしてこちらのネクタイ。合わせて10万円でございます」
「じゅ、10万円!?!?いいんっすか!?うっわ!ありがとうございます!!!」
外の気温とは対照的に、気持ちをホクホクさせながら帰った。
やかましい目覚ましに起こされる。
いつも通りの朝、机の上に置かれているもの以外は。
机の上見ると、1.2.3...10。10万円が置かれている。
「え!?」
仕事帰りにおろしてきたのか?
いやいや。高いものを買う予定もないし、あ。
公共料金か?払って‥いや、全部引き落とされているはず。
じゃぁ‥何だ?
「おはようございまーす」
「おっす。おはよー今日もくたびれてんなー」
「うるせーなー」
高校からの同級生、小田だ。
「なぁ、小田。朝さ机の上に10万置いてあんの見つけてさ。俺、全然なんのお金か覚えてなくて」
「はっ!?お前昨日表彰されたじゃん!営業の売上一位だって。そのボーナスだろ?」
「え!?俺が!?あ、たしかにそんなことがあったような‥」
なんてことだ。昨日あんなに祝ってもらったはずなのに忘れていたなんて。ここ数ヶ月の頑張りを頑張りを評価されてのボーナスだったんだ。
「しっかりしろよ。てかお前、その格好大丈夫か?あんまり調子乗るなよ」
「え?」
「ネクタイ、忘れてるぞ」
「ん?あっ!」
コンビニに行ってその場しのぎのネクタイを購入。今までこんなことなかったのにな。浮かれすぎてるな。いけないいけない。
小田には仕事から恋愛、しょうもない話まで本当にたくさんの話に付き合ってもらった。ボーナスも出たことだし、お礼も兼ねて飲みに行くか。
「いやー!ありがと!あんないい酒飲めたの初めてだよ!やっぱ持つべきは良い友だなー!」
「いやいやー!俺も助けられてるからさー!こっちこそだよ!あ、もう一件いく?」
「あっ。ごめん。明日結婚記念でさ。だから悪い。今日は帰るわ」
「いいじゃんかよーそんなんさー。まだいこーぜー」
「おいおい。そんなってなんだよ。今まで苦労をかけてきてやっと結婚できたんだから。お前、ちょっと飲みすぎだぞ」
「あ?お前からの説教なんて受けたくねーよー」
「はいはい。わぁったよ、じゃあな」
‥。くそぅ。小田ばっかり良い思いしやがって。同期で入ったはずなのに何でこんなに差がつくんだよ。俺はいつまで経ってもこんなで‥あれ?
見たことのある雑居ビルと雑居ビルの隙間。そこには“あの看板”が立っていた。何をしたか覚えていないが、行ったことがあるような気がする。暗い細い道を指す赤い矢印。導かれるように慣れた足取りで向かう。
“Bye-bye”
あぁ、立て付けの悪い扉で白髪頭のおじさんの‥。
「いらっしゃいませ」
「どうも。あの、僕‥」
「えぇ、昨夜」
「あっ、そうですよね」
記憶を売ることができる。そうだそうだ。その話は聞いた。
「今夜もお売りに?」
「はい。なんかあるかな。あっ、実は俺よりも先に良い思いしてる奴がいてそいつとの‥」
「はい。かしこまりました。では、お品物を一点」
「お品物?んー、あっ」
飲みに行く前、小田からお祝いの万年筆を貰ったんだった。
「これ、売れます?」
「はい。可能です。ですが‥本当によろしいですか?」
「はい。いいですいいです」
「かしこまりました。それでは記憶とこちらの商品、15万円になります」
「15万!?ほんとですか!?ありがとうございます!」
俺から万年筆を受け取ると、くたびれたネクタイの横に置いた。お金を受け取り店を出ようとしたとき
「もしよろしければ」
栞(しおり)が差し出されていた。
「栞‥?」
「はい。2回目に来店して頂いたお客様にお渡ししている物でして」
「タダ?」
「もちろん」
「じゃあ‥」
栞をジャケットのポッケに入れて店を出た。
やかましい目覚ましは鳴らなかった。
土曜日。何の予定もない。
1時間くらい布団の中でスマホを操作する。
「どっか行こう」
せっかくの休みだ。何もしないのはもったいないような気がして目的もなくでかけることにした。
厚着をはかどらせる風にのってクリスマスソングが吹いていく。しあわせそうに手を繋いで歩く男女。通りすがりに聞こえてきた
「俺たち、一年たったね」
「うん!いつもありがと!」
というセリフ。見せつけてくれちゃってさぁー。
心にも防寒具が欲しい。飲食店はどこもかしこも距離の近い男女。
「さむっ‥」
逃げ込むように古本屋に入る。
子供の頃見ていた漫画から、ついこの前出たばっかりの本までたくさんある。懐かしさと新しさが交わる場所。せっかく来たので隅から隅まで物色する。あぁ、これは中学生くらいの時だったかな。好きな子と話すきっかけになった漫画じゃないか。でも、それもまた虚しい記憶‥。記憶?あ、そうだ。
「あのときの記憶、この本を売ったら忘れられんのかな?もうだいぶ前の記憶だしいらないよね」
その本を買って店を出る。
まぁ、懐かしさに浸るのもいいかと、申し訳程度に読んでからあの店に行くことにした。近くの喫茶店に入る。街を歩いたことも、この本を買ったことも中学生の頃の思い出もどーせ忘れる。読んでいるとなんだかんだ集中してしまい半分くらいまで読み進めたところでトイレに行きたくなった。
「えーと、あれ?」
ポッケには“栞”が入っていた。
「なんだ?まっ、ちょーどいいや」
栞を挟み、自分の代わりに座ってもらう。ようが済みスマホをいじっていたらいい時間になってきた。
「いらっしゃい」
「あの、今日を忘れたくて」
「何か嫌なことでも?」
「そんなとこです」
「かしこまりました。ではお品物を一点」
「さっき買ってきた本なんですけど、これでもいいですか?」
「はい。もちろんです」
「古本なんて全然お金にならないだろうけど」
「こちらのお品物と今日の記憶、10万円になります」
「お願いします」
「‥お客様」
「はい?」
「本には挟まっていたこちらの栞ですが」
「ん?あ、いいっすいいっす。それも一緒で」
「かしこまりました。それではこちらの記憶とお品物、合わせて20万円になります」
「え!?そんな珍しい栞なんですか!?」
「はい。記憶もございますので」
「へーそうなんですか。ま、どーせ大した記憶じゃないだろうし」
「お客様は記憶をお買いになられたことは?」
「え?あ、買ったことはないですね」
「こちらのネクタイ。少しくたびれてはいますが、日常も思い出せるなかなかいい品物ですよ」
「へぇー、人の記憶がぼくのになるってことですか?」
「はい。もちろんです」
「その記憶をここで買ったことは忘れます?」
「‥えぇ。」
「ふーん。でもそれも面白そうだな。うん、買います。今よりかはマシだと思うので」
「ありがとうございます。では今回の記憶、お品物の分とさせていただきます」
「記憶って高いっすね」
「誰にもない、ただ一つの思い出ですから」
「じゃ、また来ますね」
「バイバイ」
「‥え?あ、はぁあ」
何度かお店に来たことがあるからと言って急に馴れ馴れしい。なんだ?バイバイって。友達じゃあるまいし。ま、記憶が売れるこんな良い店はないしいいか。何かが減るわけじゃない。こんな簡単にお金が手に入るなんて。仕事が馬鹿らしくなっちゃうな。また嫌なことができたらこよーっと。
・・・
消したい記憶の一つや二つ
いや、もしかしたら全て忘れたい人もいらっしゃるかもしれません
しかし
それらの体験、記憶があるからこその“今”です
今のお仕事
今の人間関係
今の考え方
全部、良い思い出だけのおかげですか?
嫌な思いをしたからこそ
「二度と同じ思いをしないように」
と、心掛けたタイミングがあったでしょう
気に食わないことを排除するのは簡単です
排除した先、あなたには何が残るでしょうか
それでも「排除」を選ぶのであれば
今のあなたには「排除」が必要です
ただ
排除したことのおかげで
今があることは忘れずに。
次は、あなたのご来店をお待ちしております。
記憶を売れる店“Bye-bye” 有野優樹 @arino_itikoro
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