第5話 はじめに⑤ けれどちゃんと生きている

しかし私は思うのだ。


子孫を残そうとしていないという点で人類滅亡に一役買っているという自覚はあるものの、朝ちゃんと起きて仕事へ行き、まがりなりにも金を稼いで、ごまかすことなく真っ正直に税金を納めている。それだけで胸を張って、恥ずかしくない人生を歩んでいると言っていいではないか。


2024年、政治家の大先生方による裏金と脱税が明るみになり、国民大激怒からの「確定申告ボイコット」運動へと発展していった。


もちろん私ももろ手を挙げてその流れに便乗してやりたいと心の底から思ったが、おそらく「確定申告ボイコット」を叫んだ大多数の国民が結局まじめに確定申告をしたのだろうと推察されるように、私も法治国家で義務を果たさなかった時の顛末を恐れ、渋々手続きを終えた。


ところで、その確定申告の手続きをしながら、この裏金問題で一番激怒したのは税務署職員の方々だろうと容易に想像できた。なぜならばこの私自身が、今度わが社へ税務調査に来た税務署員に、「もっと他に行くべきところがあるのでは?」と嫌味の一つも言ってやりたいと思っているからだ。


おそらくわが社の次の税務調査は4~5年後だと思うのだが、その時まで私のこの怒りの炎は消えそうにないし、消すつもりもない。オリンピックの聖火よりも長く強く燃え盛るように、薪をくべる下男を雇ってもいい。


若干理性の残っている私ですらこう思っているのだから、尿と共に理性を全て便所へ放出してきた狂乱の紳士淑女の方々は「今回ばかりは早く税務調査に来て欲しい、なんならこちらから出向いてやってもいい」とよく研いだナタを片手に思っているはずだ。


そして、私も狂乱の紳士淑女も分かってはいるのだ。税務署職員には何の罪もないということを。


だがこちらも人間である。痛くもない腹を探りに来て重箱の隅をつつきまくり、あわよくば申告漏れという名の米粒をほじくり出そうとしている面々に、「あっちにもっと大きな握り飯があるはずだが、なぜそちらへ行かない?」と言わないでいられようか。「管轄外なんで」とか「それとこれとは別」と反論されることを重々承知で、それでも言う。


なぜなら理性が飛び散っている我々は脱税をしている大先生方と、その脱された税金を死ぬ気で取りに行かない国税庁や税務署の類を、ほぼ同罪だとみなしているからだ。


よって、愚民共がそう思い至るであろうと簡単に想像できてしまった税務署職員の方々も裏金ニュースを聞いた段階で、瞬時に「自分たちに火の粉が!!」と勘づき、裏金先生方への怨嗟があふれ出てしまったことと推察する。


怒りのあまり脱線してしまったが、このように先生と呼ばれる方々が納税の義務を怠っているのに、木っ端国民の私がちゃんと税金を納めているのだから、国立科学博物館で裏金先生がトイレに並んでいたら、「お前は私の後ろな」と横入りしても許されてしかるべきだし、子供を産んでいないことに対してとやかく言われる筋合いもない。


正直言うと、独り身が増えている昨今にあっても、私が住んでいる田舎では独身女が一人暮らしをしていると噂が人々の口の端にのぼることもあり、近所からも奇異な目で見られることもあるかもしれない。私自身は嫌な思いをしたことはないし、むしろ居心地の良い場所であるが、独り身の女としてある程度注意していることはある。


ごみの分別はきっちりとし、家の周囲も片付ける。早朝深夜の帰宅時にはうるさくないよう息をひそめて家へ入る。ご近所さんへの挨拶は欠かさず、区費と神社費を払い、スーパーやレストランへ行けば店員さんには平身低頭だ。


“こいつは害にはならない”と周囲に分からせることは大事だ。


たとえウィットに富んだシャレのつもりであったとしても、玄関の扉にジェイソンのステッカーなど貼ってはならないし、くさやを毎日のように焼いて換気扇から臭いを放出したり、一人で不安だからと庭やベランダに監視カメラをこれ見よがしに何台も設置してはならない。


「己に何かしらの問題があるから結婚できない」と思われていることがすでにマイナス50点だという自負があるからこそ、ちまちまと点数を稼いで30点あたりをキープしている日々であるが、あえて80点以上を目指さないのは、 “害にならない”方が周囲への溶け込み度、埋没感的に、“いい人”より好ましい立ち位置だと個人的には思うからだ。


ドブネズミが道の真ん中で糞尿を垂れ流しても「そりゃそうだよね」と印象の振れ幅が小さいのに対し、スーツを着た人間が同じことをするともれなく「ど変態」の称号を与えられるように、“いい人”だと思われてしまうと、何かしでかしてしまった時に、“いい人”から“腫れ物”へ即刻シフトチェンジがなされ、しかもそれが独り身となったら光の速さで行われるというのが我が国ニッポンの現実だ。


もちろん生きている以上誰かに迷惑を掛け世話にもなっているが、眉をひそめられるほどのことはしていない(と思いたい)し、今のところ地域の皆さんからもつまはじきにはされていない。


それだけでも恥ずかしくない人生を歩んでいると思うのだ。


そして負け惜しみでもなんでもなく、私は結構楽しく生きている。


天気の良い朝にはベランダで食事をとり、休みの日には陽が沈む前から料理とつまみをいっぱい並べた食卓で動画を観ながら晩酌をし、一人ほろ酔い気分でへらへらと笑い、風呂上りに念入りに”誰かが見てくれるわけでもないボディ”の手入れをする。


ソファに寝そべって本を読みふけり、映画へ行って涙を流し、いそいそとスポーツ観戦へ出かけてひいきのチームが点を入れれば大声を上げて喜ぶ。もちろん一人で。


行ってみたい飲み屋があれば一人で暖簾をくぐり、ほどほどに呑んで機嫌よく帰路に就く。早朝に家を出て、山奥のきれいな渓谷の河原でコーヒーを淹れ、手作りのサンドウィッチを頬張り、その後近場の温泉施設へ行って至福のため息をつく。


やりたいことも、行きたいところも、たくさんある。次の休みの日には何をしようかどこへ行こうかと、この歳になっても胸を膨らませているくらいだ。


頼る者がいない中、オーディオ機器の配線やパソコンの初期設定やメンテナンス、簡単なDIY、虫の駆除など、普段男性が任されがちな作業を全てこなすことができる自分に「私にはまだまだ成長の余地がある」とご満悦になることもしばしばだ。


だが、この「一人でやるしかないから、全部自分でできるようになったんだよね」の一言も、周囲を凍り付かせることになるのであまり口に出さないようにはしている。


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