第12話

 「ふわあー」


 目を覚ますと、隣のベッドでクリスティーナの胸がかすかに上下していた。

 珍しく俺の方が早く起きたんだな。

 

 カチャ...


 「あら、クリスティーナはまだ寝ていたの。おはよう、アルティオムくん。あっ、無理に声出さなくていいからね。朝ごはんできたから支度してから来てね。」


 こくんとうなずき、ベッドから降りた。

 でも着替えがないことに気がついた。昨日も、着ていたものを着替えずにそのまま眠ってしまったので汗で気持ちが悪い。


 「あらあら、着替えがないのね。そこのタンスに息子の服が入っているわ。使っていいわよ。」


 俺がタンスに手を掛け、開こうとしたとき、ナタリアさんがまた口を開いた。


 「ここね、息子の部屋だったのよ。でも、ロシア軍に攻め込まれてから戦争に徴兵されてしまって...死んだわ。ロシア人に殺されたの。」


 頭の中が真っ青になった。

 俺と同じロシア人が俺たちを助けてくれた恩人の大切な人を奪ってしまったということが、ただ悲しかった。

 

 何か、声をかけた方がいいのだろうか。


 「ごめんなさいね。こんな話。忘れてちょうだい。」


 曇った顔で俯くナタリアさんの声は震えていた。


 謝りたかった。ナタリアさんの息子を殺したのが自分ではないとしても、この人に何か声をかけて救いたかった。


 「じゃあ、リビングで待ってるわね。」


 そう言ってパタンとドアを閉めて出ていってしまった。

 タンスを開けるとたくさんの服が丁寧にたたまれて入っていた。


 息子のことを本当に大切にしていたんだな。息子の死を聞いた時、どれだけ辛い思いをしたんだろう。


 「戦争なんて、早く終わればいいのに。」


 気づけばそんなことを口にしてしまっていた。

 

 俺は卑怯だ。自分だって戦争に参加したのに、逃げて、さらにはその戦争に反感を抱くようになった。そして、セルゲイに対して抱いた気持ちとは裏腹に自分のしていることが正しいのか分からなくなってきた。


 服を着替え、重苦しい気分でリビングに向かおうとすると、クリスティーナが目覚めた。


 「ん、ふわ〜ぁ。」


 「あれ、アルティオム、今日は起きるの早いねぇ。」


 「多分君が遅いんだと思うぞ。リビングで朝食らしい。支度したらすぐ来いよ。」


 「わかった。」


 リビングに近づくにつれ、甘い匂いが鼻をくすぐるのを感じるようになった。

 正直なところ、このままナタリアさんと顔を合わせるのが怖かった。ナタリアさんの息子が死んで、殺した人間と同じロシア人の俺が生きている。もしも俺がロシア人だと知ったら、悲しみから怒りに、怒りから憎しみに変わり、俺が殺されてもおかしくない状況に陥るかもしれない。


 「誰かそこにいるの?」


 しまった。あまりにもぐずぐずしていたせいでバレてしまった。

 思い切ってリビングに姿を現すと、ナタリアさんがすぐそこにいた。


 「もしかしてさっきの話を気にしてる?別に気にする必要なんてないわよ。言い出したのも私だし。」


 そう言って笑った。

 でも気がついてしまった。その笑顔の奥深くに、とてつもなく大きな悲しみが隠されていることに。


 朝食はシルニキと昨日の残りのボルシチだった。作ってからかなり時間がたったボルシチは、具材の味がよく滲み出ていて美味しかった。母の味を思い出す味だった。

 クリスティーナもリビングに来て、3人での食事になった。けれど昨日とは比べ物にならないほど静かな食事だった。


 けれど突然、その沈黙の中にひとつの言葉が響いた。


 「ねえ、間違ってたら本当にごめんなさい。でも、気づいてしまったの。アルティオムくん、ロシア人じゃない?」


 ?!


 「何で...そう思ったのですか。」


 「別に理由はないんだけどね、初めて会ったときから何となくそんな感じがしてしまうの。息子の話をした時も異常なくらい動揺しているように見えて、ロシア軍から逃げてきたロシア人じゃないかって。」


 一呼吸置いた後、クリスティーナと俺の2人で目配せした。

 

 「...そうです。今まで黙っていてすみませんでした。でも俺は騙したつもりはなくて!」


 「ええ。わかっているわよ。だって息子の話をした時、あなた悲しんでくれたでしょ?表情ですぐわかったの。この人はロシア人だけど息子を殺したロシア人とは違うって。」


 「ありがとうございます。そんなこと言ってもらえるなんて。」


 「全然いいのよ。さ、食べましょう。」


 「はい!」




 この物語はフィクションであり、実在の人物とは必ずしも一致しません。




 

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