第11話

 昨日まで使っていた小屋から離れたのはいいが、思っていたよりも過酷な旅になりそうだ。

 たいして食べ物もなく、水もない。寝る場所もないし、雨風を凌ぐこともできないという地獄が待ち受けていたのだ。おまけに辺りからは砲撃音やかすかな悲鳴が聞こえてくるので、体よりも先に精神がやられてしまいそうだ。


 「アルティオムさん、大丈夫ですか?顔、真っ白ですよ?」


 「もう呼び捨てでいいし、敬語じゃなくてもいいぞ。」


 「そう。じゃあ改めて、アルティオム、大丈夫?」


 「ああ。大丈夫だ。気にするな。あと、聞きたいことがあるんだが。」

 

 「ん?なあに?」


 「俺は君にとって敵だろう?なぜ普通に接してくれるのか、ずっと気になっていたんだ。」


 少し間を置いた後、クリスティーナは言った。


 「大きな理由は無いの。あなたと一緒にいた人は私の家族を殺した。それでもあなたは私のことを守ってくれた。だから悪い人とは思えないの。それに、同じ人間じゃない。国籍の違いとか敵だからとか関係ないよ。」


 「そうか。」


 俺は彼女に出会ってからずっと国籍が違うからと心のどこかで彼女から逃げていたのかもしれない。


 「クリスティーナ、すまない。」


 「え、何が?」


 しばらくの間気まずい沈黙が流れた。

 

 数分後、


 「ちょっと、君たち。こんなところで何をしているんだい?」


 声が聞こえた方を見ると、家の中から1人の女性が話しかけてきたことに気がついた。

 見たところ60代に見えるその女性は、俺たち2人が外で立ち尽くしているのを見て不審に思ったのだろう。

 俺がロシア人だということも知らないのだと思う。


 「えっと。僕たちは…」


 そう言いかける俺の口をクリスティーナが塞いだ。

 そしてあちらには聞こえない声で、


 「あの人はウクライナ人よ。ここでロシア語を喋ったりしたら、あの人が騒いで大変なことになるかも。」


 「そうだったな。すまない。」


 「私たちロシア軍から逃げてきたんです。住んでいた場所はロシア人に荒らされて、私の家族も…」


 そう言った途端、クリスティーナが泣き出した。


 「おやおや、それは大変だったねえ。今夜はうちに泊めてあげるよ。もう暗いからね。」


 そう言われた時、俺たちは初めて空が暗くなり始めていたことに気がついた。


 「ありがとうございます。」


 家に入れてもらい、一時間ほど休ませてもらった時、キッチンの方から俺たちの食欲をそそるとてもいい匂いがしてきた。


 「ふふ。今日はご馳走を作ったのよ。久しぶりのお客さんだもの。あなたたちのその体、しばらく食べ物を口にしていないでしょ。」


 ほら、座って、と女性が俺とクリスティーナを椅子に座らせ、テーブルに3人分の皿を並べた。中にはボルシチが溢れそうなほど入っていた。

 そしてテーブルの真ん中にはたくさんのヴァレーニキがのった大皿が置かれた。

 お互いの目を気にせず、とにかく口に食事を運び、久しぶりの食事に俺たちは涙を流した。

 そんな俺たちを見て、女性は微笑んでいた。


 テーブルの上の料理がなくなっていくのとともに、俺たちの腹も膨れていった。


 「あなたたちの食べっぷり、見てて気持ちがいいわ。そういえば私名前を言っていなかったわね。ナタリアよ。あなたたちは?」


 クリスティーナが咄嗟に、


 「私はクリスティーナです。えっと、この人はアルティオム。今声が出せないんです。」


 ロシア人だとバレては大変なので、嘘をついた。


 「そう。今日はうちの空き部屋で寝なさい。ベッドもあるから。」


 案内された部屋にはベッドが2つあった。

 おやすみ、とナタリアさんが部屋から出ていった途端、2人揃ってベッドに飛び込んだ。

 そしてゆっくりと夢の中に入っていった。

 こんなに安心して眠りにつけるのはいつぶりだろうか、そんなことを考えた。



 この物語はフィクションであり、実在の人物とは必ずしも一致しません。

 

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