第2節 JS会議
後日、髪を遊ばせて協会へ顔を出した新屯を見つけ、バルトは話しかけた。
「エイリアンハンドは解明できましたか」
「そんな事はどうでもいい」
「はぇ?」
バルトは間の抜けた声を出した。
「電気信号を意図的に遅らせる機能を脳が持っているとするならば、人間は死後数秒、脳が死んでも肉体が動く可能性がある。つまり、死に対する準備を脳がしている事になる。これは、死ねば終わり、で済む話ではないかもしれないぞ」
「脳の再形成に向けて準備することも可能……」
バルトも感化され、考えを巡らせる。
「そうだ。脳だけが直感で受け取った死の宣告を、次のレシピに作り直す。電気信号が最後の最期まで機能するならば、電子、粒子ほどの微小物質を動かす事も否定できない」
新屯は、先急ぐ興奮を表に漏らさないようにしながらも、早口は抑えられなかった。
「天才です! ニュートン先生! これは“脳の無意識”に繋がる道にもなりますよ!」
はしゃぎながら、バルトは新屯に抱き着く。無意識だった。
「やったぜ!」
不覚にも、新屯はバルトを抱きしめ返す。そして、周囲の視線を感じて、初めて恥ずかしくなった。
ただし、新屯たちの生きる時代では、過度に微小な物質を検出する技術はない。検査には、僅かだが光を必要とする。その光で物質は、そこに存在していたとしても、純粋な物質として摘出ができないのだ。
「集まったかな諸君!」
会長が、ただでさえ大きい声を張り上げて部屋に入ってきた。
「今年もJS会議の時期がやってきたぞおう! これのために会費払ってんだからな!」
これのために、とは言いすぎだが、会長が力を入れているイベントである事には間違いない。会員たちも、様々な専門学者の本気を楽しみにしている。
「今年は、蛍壁さんの助手はやらないのか?」
新屯はバルトに向き直って聞いた。バルトは、研究内容が何かと蛍壁と合うため、初めてJS会議に出た年から二年連続で、彼女の助手を努めている。
「はい。今年は、特に何も。ニュートン先生は?」
「私もない。それでは、共に回れるな」
「はい! やったー」
笑っても崩れない黄金比の不思議を、新屯は幸せで塗り潰した。
一方、晴丘は発表者であるため、着々と準備を進めていた。彼が発表する場所は壇上。一番のメインステージだ。
「当日は、僕たちも発表を聞いてよろしいですか?」
蓮が晴丘に尋ねる。途中経過の成果を多くの人に聞いてもらえている場面を、彼も見たいのだ。
「Of course! 僕“たち”ってことは、彼も?」
晴丘は、遠くでこちらを見つめている服部の方に目を動かす。青白い顔と目が合い、こちらからウインクを飛ばす。
「そう。服部も楽しみにしていますからね」
後方で、服部がくしゃみをした。晴丘は聞き逃さない。
「Bless you!」
気まずくなった服部は目を逸らした。
JS会議当日。
「間違えていいから突き進め! 間違っていても、問題を発見する事が大事なんだ! そこから新たな発見に繋がる! 新たな発見は真実に近づく! 歴代の科学者たちは、そうやって道を開いてきたんだ!」
これは会長の意見。
「不正確で根拠にも乏しい推察ばかり進めていては妄想と同じです。データは常に精度よく保ち、間違いは仲間と指摘し合い、より真実に近い道を敷くべきです。根本が間違っていたのでは、その先の研究も徒労に終わってしまうでしょう」
これは蛍壁の意見。二人は、会場で顔を合わせた瞬間に、新人を挟んで口論を始めていた。どうやら、新人にアドバイスをしている途中で意見が割れたようだ。
「またやってるよ、あの二人。よく飽きないよね。毎回毎回」
「どっちの意見も頷けるのが難しいところだよな」
会員たちが飽き飽きした顔で通り過ぎていく。
「どちらがいいとかじゃなくて、もっと広い視野で見ればいいのに」
ポツンとバルトが言った言葉を、新屯は他人事のように聞いていた。
「やあ! お二人さん」
新屯とバルトが二つ目のブースを聞いた後だった。聞き慣れた声に振り返る。
「岩渕さん」
科学関係者ではない彼が、この場にいる事は当然と言えば当然だ。取材したいと思えば、偽造も変装も朝飯前である。
「JS会議デートか? 楽しんでる?」
空気を読んだ岩渕は、空気を読まない発言をする。それを聞いた二人は同時に黙り込んだが、バルトは拳を作り、軽く岩渕の腕を叩く事に成功した。
(これは、もうちょっとだな)
熟練の記者は察した。複雑な胸の内だって、気づこうと思えば。
「そういえば、晴丘さんの発表があるって聞いたけど、二人は聞くの?」
「もちろんです!」
バルトがキラリと目を輝かせて答えた。
「晴丘彗星(自称)の軌道について分かれば、今日の引力の謎だって分かるかもしれませんし!」
「蓮さんに聞いたのですが、計算にない軌道を滑っているのは、別銀河である事が関わっている可能性があるとのことでしたよ」
新屯も、知っている情報で岩渕の欲を満たしてくれる。やはり、岩渕にとって科学者というものは、趣味という餌を絶えず供給してくれる面白い生き物だ。
「万有引力の法則は、我ら天の川銀河でしか通じないってこと?」
無表情の男は頷く。その隣に立っているバルトは、周囲に光をばらまくほど身体全体で興奮を表していた。花盛りの若さも、それを助長している。
(君の、未来の恋人候補は、こんなに表情が爆発してるのに)
「次は、どこのブース行くの?」
二人に向かって尋ねる。
「『ボイジャーの子孫』です」
即答したのは無表情の方だった。
「六十億キロメートルの先には宇宙があるんですよ!」
補足するキラキラ。
(傑作だよ。君たち)
「じゃあまた、晴丘さんの発表で会おう」
奥ゆかしい記者は、自ら身を引く事にした。
その後、二人は発表を回るのだが。
「新屯さん! お久しぶりです」
「新屯さん。前回はありがとうございました! おかげで……」
「こんな場所で申し訳ないのですが、今はこれで悩んでまして……よろしければ頭脳を貸してはいただけませんか」
このようにして、新屯とバルトの間には、必ず誰かが入る事が多かった。それも、ほとんどは新屯の才能を求めて来る者。ただ近づきたいだけの者は相手にしない新屯だったが、こと数字や物理学の話題を持ち出されると、バルトを置いて話し込んでしまうまでだ。一人にされると、バルトは急に現実を見るはめになった。
(この人は、求められる人なんだ。僕なんかじゃ)
一向にこちらを見ない新屯から数歩離れても、彼は気づいてくれない。バルトは苦しくなり、その場を離れた。
(あーあ、皆してニュートン先生に問題持ってきて! ニュートン先生は質問箱じゃないんだぞ!)
「あ、バルトくん」
見覚えのある会員二人組に声を掛けられて立ち止まる。
「一人? さっき、新屯さんといなかった?」
「今、お取込み中なんです」
(僕を置いてね! ふん!)
「そっか……ねえ、バルトくん知ってる? 新屯さんの噂」
一人が、声を低くして話題を振る。
「噂? どういうのですか」
人と関わらない新屯にも噂が付くのかと、バルトは耳を傾ける。
「彼、若い男性と遊ぶのが趣味らしいよ。何人かは食ってるって話も」
バルトは固まってしまった。だが、落ち着いて探ってみる事にした。
「ふーん。出どころはどこですか」
「バルトくんを始め、会員でもない若い男の人と歩いてるところを目撃した人がいるって。おかしくない?」
「私たち会員とも殆ど喋らないのに、若者とだけ一緒にいるってそういう事だよね。女の人と仲良くしてるところなんて、まず見ないし」
「バルトくん、新屯さんによくベタベタされてるよね? 嫌じゃない? 普通、君くらいの子は、同じくらいの年齢の人と一緒にいたいものだよね?」
暫くは黙って聞いていたバルトだったが、次第に堪忍できなくなってきた。
「僕は別に。あと、ニュートン先生は、そんな世俗的な方じゃないと思います」
(ニュートン先生がベタベタしてくるんじゃなくて、僕が絡みに行ってるだけだ!)
尊敬すべき新屯に、そのような噂が付いて回ってしまっている事に、嫌悪感が走る。
「人は見た目じゃないからね。裏で何をしてるか分からないよ。君も気を付けて」
「何かあれば相談してね!」
「分かりました。お気遣いどうも」
笑顔で、その場を離れた。気づかれないほどの早歩きで去る。
(ニュートン先生が若い人と一緒にいるのは、彼が大学に勤めてるからだろう。女性と話さないのは、過去にトラウマがあるからだろう。先生はきっと、性にだらしない人じゃない)
人の波を避けながら、バルトは悶々と考えていた。
新屯は、いつの間にかいなくなっていたバルトを探していた。
(彼を一人にしては、ナンパなどされないだろうか。どこへ行ったんだ)
つい話に集中しすぎてしまった事を悔いる。彼を一人にしなければよかったと後悔した。
「あれ、新屯さーん」
近づいて来たのは、一度だけ仕事を共にした事のある男性だった。いつも会合の隅にいる会員。新屯からしたら、無能な男。
「やっと話しかけられた! 最近、いっつもあの若い子と一緒にいるから」
「はあ、何の用ですか」
「いや別に用ってわけじゃないんだけど。大変そうだなあって見てたよ」
「……」
新屯は、中身のない話は大嫌いだった。
「あんな若い子に付き纏われて」
会員にいる若い子と言えば、バルトしかいない。
「あの子、自慢話多いじゃない? 頭は良いんだろうけど、日本人の中では、やっていけないよね。彼を良く思ってない会員も沢山いるよ」
「新屯さんも才能あるってだけで付き纏われてるんでしょ? 邪魔じゃない?」
「何で付き合ってあげてるの?」
「……去れ」
「え? 何? 声が小さいよ」
「去れ」
新屯の目がカッと開いた。
「去れ! 無能と話している時間などない! 二度と私に話し掛けるな!!」
圧に怯んだ男は周りを気にしながら、不満そうに歩き去っていった。残った新屯を見て、周囲の人々が小声で会話をする。
「あ、あれ、新屯さんだ」
「本当に短気ね。どうせ虫の居所が悪かっただけでしょ」
「また怒鳴ってる。雰囲気悪くなるからやめて欲しい」
全て、聞こえている。
「Sir!」
腕を掴まれて振り返ると、晴丘が燦々の笑顔で立っていた。その後ろには、探していたブラウンの髪、青い目が。
「叫んでくれて丁度よかったです! この人だかりじゃ見つけられないところでシたー!これからワタシの発表なので、ぜひ聞いていってください」
「晴丘さん、バルト……」
「ニュートン先生」
青い目が、新屯を見抜く。
「勝手にどっかいっちゃって、ごめんなさい」
ブラウンの髪によく映える、白いリボンも落ち込んで見える。
「違う。バルトは悪くない。私が」
「ストップ! もうすぐスタートするから、それ聞いてから話し合って!」
晴丘に引っ張られるまま、二人は走って席に着かされた。晴丘はそのまま走って舞台裏まで入っていく。舞台裏では、発表者本人が不在でざわめいていたらしく、やっと落ち着きを取り戻した。
「どこで油売ってたんだ! このチャラ男!」
「よかった! 海へ出てしまったのかと、皆で探しに行くところでした。ささ、壇上へどうぞ」
「サンキュー、皆!」
激怒する服部と、ホッとした表情の蓮の間を通り抜け、晴丘は大画面の前へ走り出たのだった。
新屯とバルトは完全に集中する事ができずに、気づけば晴丘の発表は終わっていた。席を立つ人々が捌けていく。いつまでもここに座っているわけにもいかず、どちらが先に立つか見計らう形になっていた。
「新屯さん、バルトくん」
助けの声が、二人に伸びてきた。二人は同時に振り向く。
「簿入さん」
久しぶりに聞いた声に、新屯は驚きと懐かしさを感じて立ち上がる。関西を中心に活動をしている簿入が、関東に来る事はあまりない。さらに、最近は体調が優れない事が多く、外出もあまりしていないと聞いていた。
「元気にしてたかしら。あら、少し男前になったんじゃなあい? 新屯さん」
簿入は歳を取っても、美容に気を使う男性だった。長い髪は美しく伸び伸びとし、元々高い身長はヒールで更に底上げされている。顔色の悪さは化粧でも隠し切れていないが、まだ科学に対する火は消えていないようだ。
「バルトくんは、変わらず格好いいわね。羨ましいわ」
「そんなことないです」
はにかんで目を細めるバルト。その横顔も計算しがいのある形だと、新屯はこっそり思う。
「体調はいかがですか。あまり、はかばかしくないとお聞きしましたが」
「そうね。すっごく悪くなることもないけれど、すっごく良くなることもないってところね。まあ今は、この子とスローライフを送っているわ」
彼の襟の中から、小さなリスが顔を出した。
「可愛い!」
「リスモアちゃんよ。バルトくんは初めて会うのね。触ってみる?」
「はい! はじめまして、リスモアさん」
優しい人間に育てられたリスは、新たな人間に恐怖することなく腕を伝ってきた。
「尻尾ふわふわだー、あはは、どこ登ってるんだよ!」
「研究は順調? 新屯さん」
バルトとリスを眺めながら、簿入は新屯に問う。口元の笑みは消えない。
「はい。『簿入の法則』がヒントになりました。他の研究と同時進行ですが、石と光が距離によって……」
新屯は、研究の現段階を簿入に話した。簿入は興味深そうに、何度も頷いて聞いていた。
「凄いわ。そこまで発展させるなんて。でも、例によって公表してないのでしょう?」
「はい。会員の数人には話しましたが。世には、批判する馬鹿者がいくらでも潜んでいますので」
見た目が変わっても、頑固で他を受け付けない性格は変わっていないのだと、簿入は認識した。それが彼の欠点だとは思うが、いつまでも変わらない彼を悪くは思えない。
「では、私には教えて頂戴。そこまで辿り着く計算式は、どこから?」
「名付けるなら『蓄計率』と言いましょうか。変化を表す点では微積分と変わらないのですが……お見せしますね」
手元にパネルを用意し、新屯は分かりづらく複雑で難しい説明をスラスラと流した。だが、スマートな簿入は、新屯の書いた計算式を二回見返すことで、概要を理解する事ができた。
「真偽はこの先で分かるとして、さすがとしか言いようがないですわ」
「ありがとうございます。しかし、もう少しまとまった計算ができるのなら、時間を潰さずに進められるのです。こればかりに時間を費やす事はできませんから」
「ふう、お忙しい方。求めるのはよいことですが、研究と心中するのはよしてくださいね」
心配はしているが理解もしている簿入は、説教にならない程度の忠告を一つだけ伝えた。新屯には、それが有り難い。彼にとっては、「深くは踏み込んでこないが、前向きな興味を持ってくれる人類」が一番肌に合っていた。
「それ、僕にも見せてください」
リスと戯れていたバルトは、いつの間にか二人の会話を聞いていた。同時に、青年とラブラブしていたリスも、簿入の肩に帰ってきた。
「ああ。ほら、ここを出発点として動かすと……」
新屯は親切にも、また一から説明を始めた。
「ふんふん」
顎に手を当てて、バルトは理解しようとする。
(この二人、もしかして)
髪をくるくると指に巻き付けて、簿入はずっと感じていた違和感に追いついた。ヒールの踵でコツンと音を鳴らす。
「新屯さん」
呼ばれた男は顔を上げる。
「変わっていないと思ったけど、撤回。変わったわね。少しどころじゃなく」
「それは、どのような意味ですか」
「ふふ。新屯さん自身が一番分かっているはずよ。じゃあ、頑張ってね。私は今から、帰って健康水素を吸収してリスモアちゃんの家をお掃除しなきゃ。ねぇリスモアちゃん、帰り道でアセロラでも買って帰りましょうか。え? ナッツも? もちろんいいわよ。帰ったら走りましょうねー」
幸せそうな花を飛ばしながら、彼はコツコツと足音を鳴らして帰っていった。動物と会話する長身を見送りながら、二人は顔を見合わせる。
「面白いですね、あの方」
「憎めないだろう?」
「ええ。僕は一癖ある人が好きです」
「それは、私もか?」
「ニュートン先生は、一癖、二癖どころじゃないですよ!」
その言葉の奥に隠された意味を、果たして新屯は解読できたのだろうか。
何にせよ、重苦しい空気が発散した二人は、肩を並べて帰る事ができた。それが、簿入の置き土産だったとは知らずに。
JS会議から六カ月が経った。
「次はインドか」
「はい。半年ほど。あちらの代表が招いてくださったんです」
「しかし、フランスに比べれば近い。何かあれば、すぐに連絡するように」
「はい!」
この時、新屯は、百パーセント来るであろう連絡が、心の振り子を今までにないほど揺らす事になるとは考えもしなかった。
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