第3章 光と石
第1節 輪廻転生
『光と石の関係についての研究ですが、もう少々お待ちください。他の研究者にも頼まれた研究がいくつかございますので。また、こちらにあります石と資料には限りがございます。一度に手を加えて、貴重な資源を破損させるわけにはいきません。新屯様の研究に入り次第、検査表を基に正確な算出をし、記してからデータをお送りいたします』
不乱無から届いた返事に、新屯は快く頷けないでいたが、仕方がないと飲み込む事にした。津々浦々の科学者が注目している資源「M―R―12」と名付けられた石は、丁重に扱われるべき宇宙からの贈り物。自分のわがままで押し通せる話でもない事は分かっている。ただ、研究が遅れる事だけが彼の神経を逆撫でていた。
そうこうしている間にも、他の者たちは違った角度から研究を進めている。次から次へと仮説が展開され、そのどれもを新屯は嘲笑っていた。どこを見ても、遠回りのお遊びか、お門違いの空想ばかり。自分の理論的な数式こそが正しいのだと信じ込んだ。
毎晩、新屯は眠る暇も知らず計算を続けていた。今、新屯が取り組んでいる法則や定理はいくつかあるが、その中の一つである「不確定散乱」が、今回の「M―R―12」の件と関係がありそうだと発見した。
(分かったぞ! 光に隠されて見えないんだ。衛星を引き付けた物体自体が何かに引き付けられ動いたのかもしれない。だとすると、もう一つ、最近になって誕生した天体があるはず。我々の目では捉えられない超新星が!)
その発見は、馬廊教授を通して協会内の広報誌に載せられた。新屯は、反論する者が必ず出てくると考えていたため提出を渋ったのだが、会長や蓮にも提出を迫られ、嫌々ながら出した。するとやはり、賛否両論が協会内に溢れ、新屯はこめかみの辺りがムズムズするのだった。彼の元には、毎日その事に関するメッセージが投函される。中でも目につくのは、いつも反対意見だ。
しばらくして、更なる説を述べる者が現れた。「最近になって誕生した物体があるのではなく、反対側20pcに位置する1010に引き寄せられたのだ」
新屯は直接攻撃されたのだと思い、相手に掴みかかるような反論を飛ばした。
『初めて意見を拝見いたしましたが、ご立派な仮説だと感想を残したいものです。さらに計算して、正確な数字を根拠に述べていただきたい。そうすることで、私は真なる納得を得られることと思います』
それに対する相手からの反応。
『新屯さんの考えなさる理論は理解いたしました。しかし、あなたの計算こそ正確ではないように思えます。WM方程式をピコ内の単位で利用する場合、どちらかに単位を合わせる必要があります。あなたの計算はどうでしょう。まだ根拠もおざなりな項を使い、仮定を仮定で証明しているように見受けられます。私は数字を生業にしてはいません。それゆえに数学はあなたの方がお詳しいことでしょう。私はこれ以上、何も言いますまい』
新屯は、腹立たしげに意見を返す。
『あなたが私の理論を理解できないからと言って、私があなたのレベルに合わせる訳にはいきません。数字で遊ばれるのは自由ですが、小学校の算数テストの用紙でなさってください』
このような好ましくない口論を文章上で続けた。この目も当てられないやり取りは、会長が参入した事で収束していった。だが、新屯の腹の火は鎮まらなかった。
目の前で流れる緑、緑、緑。バルトは、眺め飽きた車窓から顔を離した。電車のアナウンスによると、駅はもうすぐらしい。長時間同じような緑の景色を見続けて、お坊ちゃん育ちの彼には苦痛だった。
(こんな辺鄙な場所、自力で来ようものなら日帰りは無理だったな)
岩渕に紹介してもらった初近という人物は、この田舎真最中の村で住職をしているようだ。
(やっぱり、交流は増やしとくもんだ)
岩渕が気を利かせて、バルトを駅まで迎えに来てくれるように初近に話を付けてくれていた。最初は岩渕を警戒していたバルトだったが、今ではそれなりに信頼できるファイルに入れている。
(それにしても、記者ってだけあって、岩渕さんは顔が広いな。おでこも広かったけど)
面白くもない己のジョークに反省し、停まった電車から降りる。
天気に恵まれ、少ない荷物を持って小規模な駅を降りる。無人駅かと身構えていたが、人はいるようだ。むせかえるような草のにおいに顔を歪めていると、横から近づいてきた男性に声を掛けられた。
「バルトさんですか」
どうやら、約束していた初近のようだ。
「はい。ニコラオス・バルトです。お会いできて嬉しいです」
お決まりの笑顔を飾り、思ったよりも硬くない表情の初近と握手を交わす。服装も、いわゆる住職のそれではなく、一般人の身なりをしていた。年齢は新屯と同じはずだが、見た目だけだと新屯より老けて見える。
「良かった。わたくし、初近です」
丁寧に名乗る初近。
「他にも乗客が出てきたのに、どうして僕がバルトだと分かったんですか」
軽い雑談を作るのはバルトの得意技だ。
「そりゃだって、『紅顔の外人が来る』と、岩渕さんに聞かされていましたから」
「こうがん?」
知らない日本語に出会うと、端末で調べる癖がついていた。しかし、ここは東京より電波が悪いようで、中々動きが遅い。
「美しい人、という意味ですよ」
初近の方が先に説明をしてくれた。それを聞いたバルトは、顔を本当の紅色に染めた。
初近の車に乗せられて約一時間。息をするように雑談をしながら道を行くと、いつの間にか寺に着いていた。初近の声はバルトの耳に落ち着きを与えてくれる。特殊な波が出ているようだった。また、声だけでなく話の内容も充実したものだった。初めて会う人とこれほど楽しい会話ができるのなら、新屯のような硬い人とも仲良く大学生活を送っていたのではないかとバルトは想像する。
車を降りると、少し遠くに寺が見えた。観光地ほど大きくはないが、この村の中では沢山の人に訪れられている場所なのだろう。きちんと清潔に保たれている。
「素敵なお寺ですね」
バルトは本心から褒めた。
「皆さんのおかげです」
謙遜ではなく、彼が本当にそう思っていることが口調から読み取れて、バルトは心が温かくなった。
「バルトさんが思っているよりも、わたくしは新屯のことを知らないと思いますよ」
バルトにお茶を出しながら初近は苦々しい笑みを浮かべる。
「彼にしてみれば、わたくしなぞ面白みのない一般人でしたでしょうから」
どう返事をすればよいか、バルトが考えあぐねているうちに、初近は話を始めた。
「新屯は科学の士ながら、仏教にも興味を持っていたから、わたくしとは話が合いました。志も脳も足りない、勉強する気もないくせに大学という研究機関に親の金で通うボンボン学生とは違うという点でも、私たちは境遇が似ていたという事もありましょうが」
冗談半分で初近は笑う。
「でも、そこまで深入りできた仲じゃない。実際、彼の方から話し掛けてくる事はまれでした。名前さえ呼ばれた覚えがありません」
初近は上品に、また笑った。その言動には何の嫌味も感じない。
「先生は、仏教に興味があったんですか? そんな素振り、全く見られませんでした」
「仏教と言っても広いですから。新屯はその中でも死生観、輪廻に興味を持っていた。ほら、科学に仕える者がオカルト的な事を喧伝するのはまずいのでしょう? だから、新屯は疑われないよう、その興味をひた隠しにしながら、わたくしから情報を聞き出していました」
(ニュートン先生は、生まれ変わりに興味があるのか)
(どこまで、僕と似た人なんだ)
実はバルトも、人間の生まれ変わりに興味があった。オカルトだ、宗教だ、と騒がれている魂の計算式を、極秘で探っている事は新屯に伝えていない。日本に来た理由の一つに、日本の自然観に包まれた死生観を知りたいというのもあった。日本という国の歴史は長く、深く、繊細だ。そんな、特別な国に生まれた日本人の遺伝子に組み込まれている「儚い強さ」のような気質に触れてみたかった。
「あの、話は、ずれてしまうのですが」
「はい。何ですか」
「実は、僕も仏教の思想には興味があります。でも、一言でまとめられるほど単純じゃないのは知ってます。なので、できる限り分かりやすく簡潔に教えて下さいませんか」
「ふふふ」
「え? 僕、何か変なこと言いましたか?」
日本語に不備があったかと自分の言葉を見直していると、初近はペコリとお辞儀をした。
「いいえ。すみません。バルトさんの頼み方が、あの時の新屯と似ていたものですから」
初近は、新屯と初めて仏教の話をした日を思い返した。
その日は夕食が早く終わってしまい、初近は新屯の研究の手伝いをしていた。無財の七施を心得ている初近は、研究熱心な新屯の助手を常に買って出ていた。
『おい』
『はい?』
器具を壊さないよう慎重に運んでいると、後ろから呼び掛けられた。
『ん』
新屯から差し出された手のひらを覗いてみると、そこには紙幣が乗っていた。
『いいですよ。これはわたくしのための功徳なのです』
初近は失礼にならない程度に断る。
『知っている。だが、私は仏教を染み込ませていない。こうして手伝ってもらうと、どうしても私が君を使っているように感じるのだ』
昔から仏教の世界で生きてきた初近だが、新屯の気持ちも理解できる。それなら、このお金は新屯自身の功徳、托鉢という事で受け取ることにした。
『わたくしは、このお金に礼は言いません。なぜなら、このお金は、新屯の新屯による新屯のための善。ですから、新屯にはこれから善い事が起こるでしょう』
すると、新屯がそわそわし出した。周りを見渡して誰もいない事を確かめると、少し声を抑えて口を開いた。
『それなら、君の得意な仏教思想を教えてくれないか。私は輪廻転生の話を詳細に聞きたい。だが、私が調べた結果、とても難しく奥が深い教えなのは理解している。だから、率直に分かりやすく教えて欲しい』
まるで禁忌を犯しているかのように振る舞う友を見て、初近は不思議に思う。
『それはもちろん構いませんが。なぜ、そこまで申し訳なさそうなのか教えていただけますか』
『申し訳ないというか、声を大きくして尋ねられないのだ』
『どうして』
『知らないのか。科学界の、暗黙の了解を』
『すみません。わたくしの勉強不足ですね』
意に返す様子もなく、新屯は説明をし始めた。
『科学は唯一、人を死から救う手段だからだ。私が身を置いている世界は、科学者が死後の世界や死を正当化するような発言は慎むのが礼儀のような、馬鹿げた世界なのだ』
『掟を破ると、どうなるのですか』
『社会的地位は失うだろうな。愚か者どもは、科学者が死後の世界について言及する事を矛盾と取る、単細胞の脳しか持っていない』
科学の世界にも色々あるのだと初近は学んだ。
『愚かを承知でお聞かせ下さい。なぜ新屯は科学者の卵でありますのに、輪廻転生にご興味が?』
『なぜも何も、学問に壁はないからだよ。科学も宗教も、数字も音楽も、全ては繋がっている。真実という物体を見るレンズが違うだけだ。それを、人間の便宜上で理系や文系に分けているだけだから、本質は変わらない。と、私は思っている』
科学者は皆、科学という狭い世界に取り込まれているのだと考えていた初近は、精神的に広い心を持った男を見つめた。この人間は、ただの理系大学生ではない。そう感じた。
『お答えありがとうございます。それでは説明させていただきます。長いですから、よく聞いてくださいね』
『ああ、ありがとう』
新屯がメモの準備をするのを見て、初近は教え甲斐があると思った。
新屯と初近の大学生時代の一コマを聞いたバルトは、若き日の二人を想像した。バルトの知らないところで、誰も真似できない青春を謳歌していた若い二人。今となっては連絡もろくにしない関係になったが、二人が共に過ごしていたのは確かだ。そして、連絡こそしないが、二人の友情は消えない事も。
(僕にも、そんな時期があったな)
「ほらね。大したことは覚えてないのですよ。実際、二人ともオタク気質だから、そんなに交流が好きな方じゃなかったですし」
「喋っている時間があったら、好きなことに集中したい。ですよね」
「おや、バルトさんもそちらですか」
さほど驚きもせずに、初近は笑顔を深める。
「探求者は皆、研究バカですから」
初近の笑顔につられて、バルトもニコリと笑う。ここでバルトが「探求者」と言ったのは、何かに対して我を忘れるほど集中する能力を持っているのは、科学者だけではないと知っているからであった。
「おっと、もうこんな時間か。この電車を逃すと、次はド深夜になりますから、もう出ましょう」
初近がバルトに仏教の教えを説いて数分。初近が時計を見て立ち上がった。
「面白かったです。初近さんの話」
バルトは正直な感想を述べた。初近の話し方は要点を得ていて、注文通り分かりやすかった。更に、彼の声は落ち着いていて耳に心地よく、それが説得力を増しているときた。時間が許すなら、ずっと話を聞いていたいと彼はメモを取りながら思っていた。
「きっと、先生も初近さんの話が好きだったと思います」
「そうだったらいいなあ」
歌うように言って、初近は車の鍵を取り出す。そして、バルトを振り返った。
「あの筆不精頑固教授に言っといてください。寺への寄付金、ありがとうございますって」
「分かりました」
「あと、たまには返信よこせって」
「はは! 分かりました」
車の中でも二人は会話を続けた。
「本当は、泊まっていきなさいと言えれば良かったのですけれど、明日も朝から忙しいそうで?」
確かに、バルトは明日、招かれていた研究機関に早朝から訪ねる事になっている。だが、それを口に出した覚えはない。さては。
「……岩渕さんから、ですね」
「ふふ、勘のいい方だ」
記者の正体はジャパニーズ忍者なのだと、バルトは頭を掻きながら思った。
駅に着くと、外は真っ暗だった。虫の声だけが雑音を奏でる。虫の声一つで、自分は日本人にはなれないと察した。バルトには、虫の声はそれ以上でもそれ以下でもない。車のクラクションが鳴っているのと変わりない。先ほど、仏教と儒教の、死体に対する考え方が違う事を教わり、両者を何となくアジアの思想で一緒くたにしていた自分を再び感じる。
「新屯によろしくお願いしますね、バルトさん」
車から降りてきた初近が、後ろから話し掛けてきた。駅の入口まで送ってくれるようだ。
(相当、初近さんからの連絡を無視してるんだな、ニュートン先生は)
「そんなに、先生は返事をしない人なんですか」
疑問をそのままぶつけてみた。
「もう迷惑メール扱いですよ。卒業してから新屯が返事してくれたのは一回だけ。こっちで大きめの震災があった時です」
「僕からの連絡はアト秒で返ってきますけど……」
新屯がバルトに返信する速さはシャッターを切るスピードだ。それくらい早かった。
「え、本当ですか? 新屯が?」
初近の目は丸くなる。初めて、彼の笑顔以外の顔を見たバルトは同じく驚く。
「そんなに驚きですか」
「だって新屯ですよ? ……そうかあ、新屯が……」
情報を整理するように、初近は顎を擦っている。
「きっと、新屯にとって、バルトさんは特別なんだと思いますよ」
「特別? 僕が?」
「新屯とは十年近く一緒にいた仲です。彼の性格が変わっていなければ、わたくしは断言できるでしょう」
後ろで、電車がホームに入ってくる音が聞こえてきた。
「また、いつでもお待ちしております。道中、お気を付けて」
バルトはハグをしそうになって留まり、硬い握手を交わした。
「はい。お元気で。ありがとうございました」
電車に乗り込んだ後は、端末で「特別」の意味を検索してみるが、やはり望んでいた答えは辞書に乗っていなかった。
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