第10話 隣人

これは、私の友人が体験した話なんですけど、当時その友人が住んでいたアパートの隣に橘さんというお婆さんが一人で住んでいたそうなんです。


しかし、そんなある日の夕刻。


友人が学校から帰宅して来ると、自宅アパート前に何やら人だかりができている。


見れば救急車やパトカーなんかも来ており、周囲は騒然としている。


「これはただ事ではないぞ」


しばらくすると母親が駆けつけて来て「お隣の橘さんが殺された」と説明しました。


見つけたのは橘さんのご友人で約束の時間になっても姿を現さなかったため、心配して尋ねてみたところ、室内で血だらけになって倒れているのを発見したそうです。


室内に荒らされた形跡はなく、恐らく怨恨か通り魔的な犯行だろうというのが警察の見解でした。


友人たち家族はしばらくの間、ホテル暮らしを余儀なくされたそうなんですが、それから間もなくして事件はあっさりと解決に至ったそうです。


なんと犯人が出頭したのです。


しかも、その犯人は橘さんの元夫で復縁を断られた腹いせに台所にあった刃物で滅多刺しにしたとのことでした。


犯人も捕まり、一応はほっとしたのも束の間、そう簡単に元の生活が戻るわけではありません。


両親は引越すかどうかで毎晩悩み、ヒステリック気味になった母親が夜中に突然喚いたりと家の中の空気は最悪でした。


「やっぱり、もう引っ越そう」


ある晩、父親がそう口にしたと言います。


無理もありません。


隣人が刃物で滅多刺しにされた訳ですから、その精神的ストレスは凄まじいものだったに違いありません。


友人も橘さんのことは大好きでしたが、その言葉はすんなりと受け入れられたと言います。


そして翌日。


友人が帰宅して来ると、母親がヒステリック気味に「この子ったら、橘さんちのものを勝手に持ち出したのよ!」と言って妹さんのことを叱りつけていました。


しかし、妹さんの方はそれを断固否定し、姉である友人に涙ながらに助けを求めて来たのです。


困惑した友人が更に詳しく事情を訊ねると、妹さんはこんなことを話してくれたそうです。


その日、妹さんが学校から帰宅して来ると、橘さんちの前で声を掛けられたそうです。


驚いて振り向くと、そこには玄関の隙間から顔を半分だけ覗かせた橘さんがいて、こちらを力無くじっと眺めている。


「おばちゃん生きてたんだ」


小さかった妹さんはあまり深く考えずにそう言うと、橘さんはにっこり微笑みながら妹さんを手招きしたそうです。


「お嬢ちゃん、今回は色々とご迷惑かけちゃってごめんなさいね。お詫びに、これ持って行ってちょうだい」


そう言うと橘さんは扉の隙間から細い腕を伸ばし、妹さんにお菓子や缶ジュースのはいったビニール袋を手渡したそうです。


「短い間だったけど楽しかったわ。ありがとう。みんな元気でね」


橘さんは最後に「さよなら」とだけ呟いて静かに扉を閉めたそうです。


妹さんはなんとなく淋しいような、物悲しいような気持ちでしばらく西日の当たる廊下で立ち尽くしていると、ちょうど買い物から帰宅して来た母親と鉢合わせ、そして現在に至る訳です。


しかし、母親はあの後すぐ橘さんちの玄関をノックしたそうなんですが、誰も出なかったと言います。


「嘘じゃないもん!本当だもん!」


傍から見ても妹さんが嘘をついてるようには見えませんでした。


それから数日後、友人たち家族はアパートを引越したそうなんですが、最後に家族全員で橘さんちの前で手を合わせていると玄関前に供えられた花がまるで手を振るかのように風に揺られていたそうです。


────話しはこれでお終いです。


ただ、あの日妹さんが会った人物が一体誰だったのか、あれは本当に橘さんだったのかは結局謎のままだと言います。了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る