第100話 彼女はきっと何者にだって。
事情聴取後、三人で夜道を千種の家まで歩く。
時刻はすでに十時すぎ。
前に千種が門限だと言っていた時間だったが、あれはストーカーの件があったから、なるべく早く家に帰りたかっただけらしい。
「あーあ、どうしよー、バイト。こんなんじゃもう、続けられませんよ」
だから、とくに急ぐような様子はない。
千種はこう呟きながら、ゆっくり歩を前に進めつつ、河川敷の開けた空を見上げた。
その横に、ひかりが並んで、同じく顔を上向ける。
「まぁ、あんなのいたらトラウマだもんね」
「ですです。もう無理! 絶対!」
と、強く言い切ったのだが、その後には「でも」と煮え切らない逆接が続く。
「お金は稼げるんですよねぇ、メイド」
「それは分かるよ。私もこの一カ月だけで、結構稼いだもん! 私でも貯まるくらい!」
具体的な金額は伏せられていても、その稼ぎのほどが分かるいい例えだ。
栓の閉まり具合が緩めで、常に水が垂れ続けているだろう、ひかりの財布でも残るのだから、それだけ入ってくる量が多かったのだろう。
まぁ、客の付き具合等が時給に反映されない俺には、関係ないことだが。
たしかに、そんな場所はそうそうない。
そのうえ高校生はだいたい安い時給が設定されているし、今の水準で働ける場所となれば、さらに減るだろう。
なんなら、ほぼ幻にちがいない。
そこまで考えたところで、ふとあることを思い出した。
「カフェで、かなり時給がいいところ知ってるよ、俺」
高給バイトということなら、俺たちはすでに話を貰っていたじゃないか。
同級生のご令嬢様から。
それも人手は足りないと話を聞いている。
「……変なところじゃないですよね、それ。カフェとか言って、接待バーみたいなの最近多いですし」
「この流れで出さないだろ、そんなとこ。代官山の高級カフェだ。知り合いがそこの経営に関わってる。とりあえず話だけ聞いてみるか?」
「うわ、ほんとですか、それ。ますます怪しい。先生、もしかしてそういう勧誘しちゃう系ですか」
まぁ言葉面だけ聞けば、疑いたくなる要素満載なのは分かるけども。
「千種ちゃん、私も友達だから大丈夫だよ! ただ、結構敷居が高い感じのカフェというか……そんな感じだけど、とにかくお洒落なんだよね」
ひかりがこうフォローを入れてくれる。
「ひかりさん騙されやすそうだしなぁ」
それに対しても、こうぶつくさ言うけれど、一応興味はあるらしい。
仕事内容は、時給は、場所は、交通費支給は、紹介してくれる人は、などとあらゆる面を聞いてきて、そのうちにだんだん千種も乗り気になってくれる。
そうして、今度まずは今里さんに話を通しておくことになったところで、千種が足を止める。
「じゃあ、私ここなんで」
その場所は、住宅地の奥にある、かなり年季の入ったアパートだった。
明かりも薄暗く、点滅しているものもあるなど、少しホラーな雰囲気すら感じる。
俺とひかりが驚いていたら、
「怖いですか? ふふ、友達もみんな言いますよ」
千種はこう笑って、それから大仰に頭を下げる。
「二人とも、今日はありがとうございました。本当に助かりました」
突然すぎる丁寧さ加減に面食らっていたら、千種はそのうちに錆びた鉄筋剥きだしの階段を駆け足で上がっていく。
その姿は、頼りない明かりのもとでは、はっきりと見えない。
が、それでも、とんとんと駆け上がる足音に重苦しさの類は一切消えていて、軽快に耳奥で響いた。
「帰ろうか、ひかり」
「え、あ、うん! だ、大丈夫かな。なんか急に着いちゃったから、もう少し話してからの方がいいかもって思ってたけど」
「大丈夫だよ、あの分なら」
俺は確信を持って言う。
本来彼女は、引きずるようなタイプじゃない。
どんな場所でも、前に進める人間だ。
呪縛から解き放たれた千種葉月は、きっと、どこへでもいけて、何者にだってなれる。
これから彼女は、そうして生きていく。
なんて思ってたら、
「ほらほら、帰り道デート楽しんでくださいね! ここの河川敷、いい感じの雰囲気ですよ。たまにヤバいカップルとかいますけど」
いらない茶々が後ろから聞こえてきたが。
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