第95話 先生には関係ないんで。



バイトの期間は、そもそもメイドカフェ勤務をするつもりがなかったことも伝えて、一か月限定とさせてもらっていた。


その間、週四回、タイミングは、ひかりと合わせてもらって、俺はシフトに入る。


とくに休日は、毎日のように出勤した。

俺としては、もう少し減らしたかったのだが、


「ぴかちゃんがいるだけで、売上倍増なんだよ。それに、ノガちゃんがいてくれたら、その間にスカウトにも動けるから、お願い! 給料さらに上げるから! この一ヶ月だけは! じゃないと、私がメイド役しなきゃいけなくなるから! 地獄と化すよ? 一カフェを救うと思って!」


なんて正面から店長に頼みこまれると弱かった。


そのうえ条件も破格といえる。

これに、ひかりが「これは稼ぎ時だよ!」と鼻息を荒くして、その案に乗ってきたこともあり、俺たちはその頼みを引き受け、学業のかたわら、かなりハードにバイトをこなす。


そして、やっとのことで最終週を迎えていた。

今日の土曜日出勤が終わったから、残すは明日のあと一回である。


正直かなり疲れていたし、自分でもよくやっているなと思う。


が、しかし。

俺たちを凌ぐ強者は、すぐそこにいた。


「なんですか、先生。やめてもらえます、じろじろ見るの」


英文を書いていたペンを止め、じとっとした視線を送ってくる女子高生、千種葉月だ。



彼女は俺たちがシフトに入っている時は、もれなく店にいた。

それどころか、シフト表を見れば、ほぼ毎日「○」がついている。


もはやバイトマスターだ。

そしてその一方で、受験生でもあるのだから恐ろしい。


「……見たつもりはないっての。いいから続きやれよ、もうそんなに頻繁には見られないんだから」

「あー、はいはい。貴重なお時間いただきありがとうございます〜」


シフト後の指導は、週二回程度で続いていた。

そう何度も受けるのはいかがなものかと思わないでもなかったが……


千種はなかなかの策士だ。

俺が微妙な顔をすると、ひかりのほうを、「いいカフェがあるんです。映えますよ」なんて誘い文句で陥落する。


そういうわけで今日も、この会は行われていたが、それもたぶん最後だ。


俺たちがこのバイトを辞めたら、サークル活動の勉強会で、二週間に一回会うかどうかの話になる。


だから俺のほうも、いつもよりさらに丁寧に指導を行う。

そうしているうち、彼女はまた辺りをきょろきょろと見回しはじめた。


もはや恒例だ。

俺はそう思っていたのだが、しかし。今日の彼女は違った。

なにを思ったか突然に、教科書や筆記具の片付けをはじめる。



「お、おい、どうした?」


ちょうど、ひかりが席を外しているタイミングだった。

だから一人、戸惑いながらにこう聞くのだけれど、


「ちょっと急ぎで」


の一言しか返ってこない。


「お金は置いていきます。じゃあ、これで」


これまでの違和感があるだけの状態とはまったく違う。

その様子は明らかにおかしかった。


青白い顔をしており、千円札を取り出す指先まで震えている。

そもそもいつもなら、きっちり小銭でぴったりの額しか出さないのだ。



俺はとっさに立ち上がり、彼女を引き止めようとするのだが、しかし。


そこで、この間の件がよぎった。


少しの躊躇から腕を掴むわけにもいかなくなって手を彷徨わせているうち、


「大丈夫ですから。わたしの問題なんで。先生には関係ないんで。じゃあまた」


笑顔でこんなことを言われてしまって、体から力が抜けた。

そのうちに千種は逃げるように店から出て行く。



すぐに追うべきところ、なのかもしれない。

が、ひかりが席を外していたこともあって、その場から動けない。


そこへちょうど、ひかりがハンカチで手を拭きながら戻ってきた。


「あれ、千種ちゃんは?」

「……分からん。なんか突然、出ていったんだよ。明らかに焦った顔で」

「え、なにそれ」


俺だって、正直同じ感想だ。


「えっと、追ったほうがいいんじゃないのかな」

「……千種が自分の問題だから、って言うんだよ。だから首突っ込んでいいのかどうか分からない。俺はただ、行きがかり上、先生やってるだけで、そう言われたらこれ以上動けないっていうか……」


歯痒さから、言葉の端が濁る。


でも、これが正しいのかもしれない。そんなふうに思う面もあった。


これは千種の問題で、彼女が関わるな、という以上、あいつの彼氏でもなんでもない俺は関わらないほうが正しい。


理屈は通っているのだ。だから、この胸の痛みはしょうがない。

そう思い込もうとしていたら、


「いいんだよ」


と一言。優しい声音で、それは囁かれた。

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