第93話 あーん

結局俺たちは、臨時ということで、バイトを引き受けることになった。


青髪ツインテールボクっ娘メイドに見に来るよう引っ張り出され、外へと出てきたおばさま店長が、メイド服を着たひかりを見るや、目の色を変えて、勧誘をしかけてきたのだ。


そもそも、千種からバイトをする前提で話が通っていたこともあった。


「そ、そうですか、私できますかね。へへ……」


褒められまくって、ひかりが乗り気になっていたこともあり、俺も含めてその場で、とりあえずは期間限定ということで採用が決まる。


さすがに初訪問した日に働かされることはなかったが、数日後の土曜日、俺たちは初出勤の日を迎えていた。




そして、ひかりは既に大人気だ。


そりゃあそう。

光り輝く美少女が、無敵の衣たるメイド服を纏って、目の前に降臨しているのだ。人気にならない方が無理というものである。


俺は皿洗いをしながら、厨房と客席とを仕切るカーテンから、ちらりと客席側を覗いてみる。


やはり注目の的状態だ。



千種が担当していて、いつも彼女との会話を希望する常連の男を除いては、そのほとんどがひかりの方をちらちらと見ている。

他のメイドがついているにも関わらずだ。


当のひかりは、そんな視線には気づいていない。


「今日はみなさんでなにしてたんですか?」

「あ、たしかに。ぴかちゃん、ナイス質問〜」


例の青髪ツインテボクっ子メイドと二人、団体客を相手にしていた。


『ぴかちゃん』というのはいわば源氏名、この店における彼女のあだ名だ。


本名で働いていたら特定される危険もあるからと、千種に命名してもらったらしい。


「ぴかちゃん、初めて見るなぁ」

「めっちゃかわいい。こんな可愛い子隠してたの?」


……しかしまぁ大人気だ。


青髪(以下略)メイドがいるというのに、その場のほとんど全員が、ひかりばかりに話しかける。


しかもどうやら、酔った状態らしい。


「お願い! 写真撮らせてよ〜、五万円払うから!」

「わかる、わかる、俺も握手してくれたら追加で三万円!!」


いきなりこんなことを言い出すから、ついつい皿を洗う手が止まる。


本音を言えば、すぐにでも出ていって、あの客を追い出してしまいたいくらいだった。


が、メイドカフェの世界観とコンセプトを保つため、裏方のキッチン要員である俺は、外に出ていくことは基本厳禁とされている。


蛇口から出た水がシンクにただただ打ちつける中、俺がやきもきとしながら状況を注視していたら、


「おさわりは一切厳禁です。それと、この子は臨時メイド。写真とかお断りしてるので。守れないならボクの権限で帰ってもらいますよ、ご主人様」


青髪メイドさんが、怒りの形相で割って入ってくれた。


その圧はなかなかのもので、酔いどれおじさんたちは、しーんと押し黙る。


「……帰れって、ここが俺たちの家っていう設定じゃないのかよ」


うち一人が負け惜しみみたく、こう呟くのには、「なにか言いました?」と冷たく言ったあと、


「文句があるならお立ち去りくださいませ、ご主人様」


さらにこう加える。


完封勝利だ。

完膚なきまでに打ちのめしていた。


少しやり過ぎな気がしないでもないが、うん。

俺としては、もっとやってほしい。できれば、そのまま追い返していただきたい。


勝手に心の中で、青髪メイドさんにエールを送っていたら、


「ノガちゃん、オムライスいける? 私、ちょっと外に出るから」


おばさま店長から声がかかる。


そうだ、仕事中だったんだわ、そういえば。



あの分なら、たぶん大丈夫だ。あとは彼女に任せておこう。

俺はそう気を取り直して、店長からの指示に小さな声で「はい」と答える。


大きな声は厳禁だ。

厨房の声が外に聞こえないよう配慮しているらしい。


だから、外とは打って変わって、静かすぎる調理場で俺はオムライス作りを行う。


これくらいなら、どうにかなる。

フライパンに卵液を入れて、その上に炊いてあったケチャップライスを乗せる。


あとは、フライパンの持ち手をたたいて、箸先でくるくる巻けば、あっという間に完成だ。


俺はそれを皿に乗せ、完成品を置くテーブルの上に置く。

はたして、それを取りに来たのは、千種だった。


彼女はオムライスを見るや、感心したように「へぇ」と漏らすと、にやと唇の片方を吊り上げる。


「すごいですね、先生。もう完璧な出来じゃないですか」

「もう結構やったからなぁ。少しは自信あるよ」


メイドカフェのイメージどおりというべきか、オムライスは大人気商品だ。

ここ数日のバイトだけで、もう何度巻いたことか分からない。


「あとで、賄いで食べるか?」

「うーん、や、いいです。もうオムライスは見飽きましたし」


彼女はそうため息混じりに言い、オムライスの皿を盆に乗せると、身を翻す。

その際、ほんの一瞬だけそれは見えた。


授業中に見ていた悪戯っぽい笑みとは正反対の、土色の疲れ切った顔だ。

もしかしたら、単に影が重なったせいで、そう見えただけかもしれない。

だが気づいたときにはもう体が動いていて、俺はメイド服の裾を引いていた。


「なんですか、セクハラですか」

「……このタイミングでしねぇよ。しかもそのメイド服、キュロットだろ。なにも見えないよ」

「うわ、そんなとこまで見てたんですか」

「ひか……じゃなくて、ぴかに聞いただけだよ」


というか、こんなやり取りのために止めたわけじゃないのだ。


俺は自分のポケットを探り、そこからチョコレートを一粒取り出して、彼女のお盆に置いてやる。


個包装の小さなものだ。

この間ゲーセンで取ったものを、仕事中の間食として忍ばせていたのだ。


「ずっと同じ人のところにいるから休めてないだろ。あんまり頑張りすぎるなよ、ちーちゃん。ほどほどにしとけ」


あえて、メイドとしてのあだ名を使って、彼女に言う。


「……食べられませんよ」

「え」


俺が驚いていたら、彼女はお盆をもったまま、こちらにつっと顔を突き出してくる。


「な、なにをやってるんだ」

「今、手が塞がってますから。それに置いてる暇はないです」


目を閉じて、紫の紅を引いた薄い唇を小さく口を開けた。


「あーん」


どうやら食べさせろ、とそういうことらしい。



間違いなく、揶揄われている。


だが、もしさっきの疲れた顔が見間違いじゃないのなら、元気づけてやりたいのもまた本当だ。


俺はため息をついて、チョコの封を開けた。

包み紙の端を指先で摘んで、彼女の口元へと近づけていく。


唇には、一本の茶色い髪が引っかかっていた。

それがなんとも色っぽく映って、胸が高鳴った。


意識しないなんて、できなかった。

千種だって十分すぎるくらい可愛いし、高校生相手とはいえ、俺も数ヶ月前まではそうだったのだ。


年齢は一つしか変わらない。

制服を着ていなければ、ただの同世代である。


もはや生理現象だった。

いくら、ひかりがすぐ側にいると思い込もうとしても、収まってはくれない。

俺は目を逸らしながらも、指先でそっとチョコを押し入れる。


ぎりぎり唇に触れないところで俺が指を引けば、彼女は首を引っ込めるようにして、堪えるように笑う。


「あー、やっぱり先生、面白いよ。ほんとにやるなんて」


……やっぱり、揶揄われていたらしい。


「今の一万円ね。メイドさん、あーん」

「……ひどい商売だな、おい。せめて、千種がする側だろ」

「え、してもらうなら払うの」


いやいや、と俺は首を横に振る。


「ま、だよねぇ。とりあえず今回はサービスね。おかげでちょっとだけやる気出たから。ね、先生」

「なんだよ。もうやらないぞ」


「求めてない、ない。それより、終わったらその……勉強教えてくれません? ファミレスとかでもいいんで」


急にまともなお願いが来て驚くが、特に用事などはない。


「別にいいけどーー」

「あ、ちなみにぴかさんがいても気にしないですよ。じゃあ、よろしくです」


彼女は俺に先回りしてそう言うと、一つ頭を下げたのち、くるりと跳ねるように身を返す。


そして今度こそ、のれんをくぐり、ホールの方へと出ていった。

そのとき最後に見えた横顔は、血の気が戻っていて、さっきより幾分マシになっていた……ような気がする。


まぁ、そう思い込みたいだけかもしれないが。


俺はまるで子を見守る親の気分、その背中が見えなくなるまで見送る。

そうしていると、


「ノガちゃんさん、にこちゃんポテト三人前お願いします」


ホールにいたメイドさんが代わりに入ってきて、新たな仕事が舞い込んできた。


うん、とにかく今は仕事だ。

ひかりも千種も頑張っているのだから、俺もしっかり働かなければなるまい。

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