第92話 み、見たいんだ?


路上で勧誘を受けている時点で、まるで異空間にでも迷い込んだような空気感だったのだ。


その本拠地に踏み入れば、そこにはさらに独特の空気感が漂っていた。


路地裏にある細い雑居ビルの四階、小さなエレベーターに乗り込み、扉が開いたら、そこはもうファンシーな空間が広がっている。


薄ピンク色を基調に、白のレースを飾った壁、西洋屋敷風の家具類、そしてなによりメイド様たち。


そんな異空間に俺とひかりは、なんの用意もなく放り込まれていた。


「……どういうことだよ」


俺はカウンター席につくや、向かいにニコニコの笑顔を作って立つメイド様――もとい千種にそう説明を求める。

が、しかし彼女はそれに答える前、厨房奥からの呼び出しにくるりとうしろを向いた。


カーテンで仕切られた奥の厨房からオムライスを受け取り、俺とひかりの前に置いた。


「まぁまぁ、先生……じゃなくてご主人様。まずはせっかく来たんですから楽しんでくださいよー。ほら、体験ついでのサービスですよ」


千種がこう甘えたような高い声で言うのに俺が頬を引きつらせていると、


「そうだよ、啓人くん。とりあえず食べよ?」


味方だと思っていたひかりに、横から突かれる。

……どうやら、ごはんを目の前に用意されることで、正常な判断を失っているらしい。


ひかりがよく食べることを千種は知らないはずだから、たぶんたまたまだろう。

が、なかなかどうして、うまい作戦だ。


「ですよねー、ひかりさん。あ、でも食べるのはちょっと待ってくださいね。今から呪文かけますので」


完全に、千種のペースであった。

彼女は机の下からケチャップを取り出すと、それをオムライスの上に構える。


「じゃあいきますね、ミラクルパワーで美味しくなーれ! ハッピーオムライス~!!」


それから、どこかの魔法少女みたいな台詞とともに、ケチャップソースでなにやら文字を描いていく。


その文字はといえば、俺の方が『ゴメンネ!』で、ひかりの方が『キテネ!』。

うん、これはあれだ。まるで悪いと思ってない。


その鋼メンタルの前に、俺は一旦引き下がることを選ぶ。

とりあえず、並の味であるオムライスをいただいてから、改めて千種に事情説明を求めた。


「ごめんなさい、許してください、ご主人様ぁ」

「……もういいよ、それ」

「あ、そうですか」


千種はけろっと、急にいつものトーンに戻ってから、カウンターに手を突く。

「ここだけの話ですよ」と周りの客に聞こえないよう前置きしたうえで、俺たちにだけ口を寄せる。


「単純に言いづらかったのもあるんですけど、言ったら来てくれないかなぁと思って。あと来てくれたら、期間限定でも紹介料が貰えます」

「おいおい。正直すぎるだろ、それ」

「……あはは。高校生はお金足りないもんね」


ひかりがそうフォローするのに、「ですです」と千種は腕組みをして澄まし顔、首を縦に振る。


「期間限定でも可ってのがミソです。なんとか、お願いしますよ、先生、ひかりさん。あ、間違えた。ご主人様、お嬢様!」


がばがばだし、狙いが分かりやすすぎる。


さすがにこれくらいでは、いくらお人よしがすぎるひかりでも落ちない。

そう思っていたのだけれど、


「んー、これ、時給いい感じだよね、かなり……」


……幻想だったかもしれない。

本人は顔を顰めて思案顔だが、もう頷く一歩手前だ、これ。


「そりゃあもう。なんせ、歩合も入れたら最大で2525円! 一日入れば、それなりの服とか買えますよ」

「……! にこにこだ……」

「はい、にこにこですよ。お二人が入ってくれれば、わたしもにこにこ!」


うん、だろうね。

お財布が膨れれば、誰だって当然ご機嫌になる。


とりあえず理由はもう分かった。

そのうえで、もう一度立ち止まって考えてみる。


正直、俺自身は別によかった。

どうせ表には出てこず、裏にいるだろう店長と一緒に調理場に立つのがメインになるし、皿洗いくらいはできる。


だが、俺がバイトをするのは、ひかりと一緒ならの話だ。


「ひかり、どうする?」

「……うーん」


俺がこう尋ねれば、ひかりは机に肘をつき、手にあごを乗せて、うーんと唸る。

悩む横顔さえ美しい。俺がそれについ目を奪われていたら、「可愛い!!」との声が千種の横手から飛んできた。


「お嬢様、すごくかわいいですね!! メイクもセットも完璧すぎます!!」


ちょうど客が一人帰ったらしく、手の空いたメイドさん(青髪ツインテール!)が割り込んできたのだ。

ずいずいとカウンターから身を乗り出し、ひかりを見回して、はえーと唸る。


「え、えっと……ありがとうございます?」

「照れてますか、もしかして。可愛い。ぶち抜かれます。最高に可愛い!! 見たいなぁ、お嬢様のメイド服姿。着て見てほしいなぁ。ボク、見てみたい」

「え、え!?」

「着てみます!? お嬢様が来店されたらそういうサービスしてるんですよ。彼氏さんも見たいでしょう?」


ものすごく、個性の詰まった人だ。

青髪ツインテールに、押しの強いキャラに、しかもボクっ子属性。


俺は圧倒されてしばし、


「それは、そうですけど」


一度思考を吹っ飛ばされた空の頭で、こう答えてしまう。

だって、それはそうだろう。見たくないと言えば、嘘になる。


後からなにを言っているんだろうと思うが、そのときにはもう遅い。


ひかりの顔は真っ赤に火照りあがっていて、


「み、見たいんだ?」


こう上目遣いに聞いてくる。


これが決定打だった。持てるコマンドをすべて奪われたに等しい。

こんなものは、頷く以外の選択肢がない。


俺は首を縦に振る。


「じゃ、じゃあお願いします」


それを受けて、ひかりがこう答えてからは実に早かった。そのボクっ娘ツインテメイドに伴われて、愛しの彼女は裏側へと引き込まれていく。


その背中を見送っていたら、


「先生。そんなに心配しなくても、きっと可愛いですよ」


千種が言う。俺はそれに単に一つ首を縦に振る。


「……だろうな」

「うわ、のろけですか。やめてください。うちのメイドですよ、ひかりさんは。彼氏がいるなんて知れたらブランドが落ちます」


「勝手に内定するなよ。あと、のろけてない。誘導されたんだよ」

「さすが先生、つっこみが的確だ……あ。先生じゃなくて――」

「もういいよ、無理しなくて。ご主人様呼びされる趣味もないよ」


メイド様との会話というより、単に、女子高生・千種葉月と、たわいもない会話を交わしていたら、ひかりが青髪ツインテメイドに伴われて裏の部屋から出てきた。


その格好はといえば、白と紺のフリルで構成されたもっともシンプルないわゆるメイド服だ。髪型などは大きく変わっていない。


が、それでも劇的だった。とにかく可愛かいのだ、これが。


「ど、どうかな」


と、恥ずかしそうに肩をすぼめる、胸元のリボンを揺するだけで、俺は心を射抜かれる。

ちょうど手にしていたおしぼりを机の上に落としてしまう。


もはや暴力的だった。

広がったスカートの裾から覗く白くしなやかな足だとか、手首につけられたフリルだとか、細かな要素をすべて忘れさせるくらい。


とにかく、可愛い。


そこへちょうど店にお客さんが入ってくる。

……が、そのあまりの眩しさゆえか、扉の前で立ち尽くしていた。扉のベルだけがからんからんと鳴り響いていた。


「もうメイドよりメイドですね。強すぎです」


この状況には千種もこう呟き、唖然としていた。

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