第87話 【side:梅野明日香】ずっとここにあった。
その日の授業はこれで終わりだった。
三限までしか授業はなく、その後はフリーだったのだけれど、授業終わりに見た光景が私の足を重たくさせた。
その授業は学部の授業であり、みんながみんな、それぞれにグループを作って仲良さげに話しているのだ。
そんななか私はといえば、一人。
膝上のスカートとか、薄手で鮮やかな緑色のトップスとか、格好だけはみんなと同じ。大学生らしくしているのだけれど、仲間外れだ。
楽しそうに笑顔を作って出て行く、彼らの輪の中には入れない。
そのわけはといえば、
「あの子、学部のあのイケメンに振られたらしいよ」
「ちょっと仲良くなったら彼女ヅラしてたとか聞いたけど」
「そうそう、それ。遊ばれただけって気づいてない感じだよね」
「しかも、元カレ捨てて置いて、今度は自分が捨てられたんだから自業自得って感じ」
これだ。
一人ぼっちで会話する相手がいないから、小さな声で交わされるひそひそとした話もすべて、耳の中に入ってきてしまう。
だからといって耳を塞いでみても、さっき聞いた会話が鼓膜の中で何度もリフレインする。
最低、最悪だ。なんでこんなことにならなくちゃいけないんだろう。
私は歯をぎりっと噛んで、スマホを取り出す。
衝動的に文字を打ち込み、SNSに投稿をしかけて、そこでやめた。
このアカウントのフォロワーは元々ほとんどが、地元の人間だった。
が、この間、元カレ・啓人に嘘を暴かれてしまったことで、地元の友達連中はほとんどがフォローを外してきた。
残っているのは、啓人みたく、ほとんどログインしていないだろう人と、あとはときどき『大丈夫? 話聞くよ。どこかで会わないか』とDMで聞いてくる謎のアカウントだけだ。
一度その人のフォロー欄を見にいったが、どうやら複数のアカウントに、同じようなアプローチをしているらしいから、世話がない。
たぶん、しがないおじさんがやっているのだろう。普段の投稿を見る限り、ほぼ間違いない。
だから、投稿したところで無駄、意味がない。
それに、だ。
文字面を見て、はっとしたのだ。
悪いのは、他の誰でもない。
最低最悪なのはこの状況じゃなくて、この状況を作り出した私のほうだ、と。
全部、私が悪い。
それはここ最近に始まった話じゃなくて、最初から、全部。
ずっと気づいていたけれど、見て見ぬふりをしてきた。
そうしないと、すぐにでもダメになる。
だから避けていたのに、思わぬところでその答えに至ってしまい、身体から力が抜ける。
本当はもう一歩も動きたくないくらいだった。
が、次の授業がはじまる時間が近づいてきて、人が増えてきたから私はとりあえず教室を出て、そして大通り脇にあるベンチに一人座り込むことになった。
そこで私はただただ、スマホをいじる。
面白いことなんて、なにもなかった。つまらないアプリゲームに、つまらないニュースと、動画サイト。
なにもないのに、ここから動ける気もしない。
と、そんなときだ。
『最近、呟いてないけど大丈夫かな? 心配してます、会いたいな』
なんてメッセージがSNSのDMに届いた。
……またあの例のおじさんアカウントだ。
しつこいもので、ずっと無視をしているにもかかわらず、今日も送りつけてきた。
私はため息をつく。
が、しかし、今日ばかりはなんとなく、本当になんとなく、そのDMに既読をつけてしまった。
すると、目ざといもので
『お、見たね? 生きててよかったよ』
などと追いメッセージが来る。
それを見た私は、ついつい返事をしてしまった。
『会いますか』
それは、ほとんど無意識の域だった。まともに働かない思考回路のまま、ろくに考えずに、その文章は打ってしまっていた。
いったんは消そうと思うのだが、しかしすぐに返信があって、それは叶わない。
そのまま数回のラリーのうちに大学での待ち合わせまでが決まった。
相手は大学の場所まで把握していて、わざわざ向こうから指定してきたのだ。
あーあ、と夕暮れにさしかかってきた空を見上げながらさっそく後悔する。
たぶん相手は最低の男だ。
手あたり次第に、悩んでいる若い女子に声をかけて、その隙につけこもうとしている下衆男。
が、もう彼しかいないのかもしれないとも思っていた。
今の自分などに注目してくれる人は、他にいない。
私を一人じゃなくしてくれるのなら、誰でもいい。どんな目的をもっていようが、仕方ない。
たとえば身体目的なのだとして、それはそれだろう。
なにせ私だってクズだ。
だから、これはしょうがない。
そう思い詰めながら、ベンチで座り込み続けていたそのとき。
やってきたのは、元カレである啓人だった。
たぶん、たまたまだ。ここは学校内のメイン通りであり、授業終わりに通りがかっただけだろう。
はじめは、見て見ぬふりをしようと思った。
もう彼に会うことはないと思っていたし、気まずさもある。
が、しかし彼が通り過ぎて行こうとしたところで思わず、「ごめん」という謝罪の言葉が口をついて出てきた。
許されようと思って言ったわけじゃない。
ただ、どうしてもそれだけは言っておかなくてはいけない気がしただけだ。
自分が彼になにをしてしまったのか、こんな状態に陥った今ならわかるから。最低限、これだけは言っておかなくてはならない。そう思った。
だからスルーしてくれてもよかったのだ。
なのに彼は返事をくれた。
なんの面白味もないジョークのあと、彼は私のほうを見ないまま言う。
「気にしすぎるなよ」「次は、ちゃんと人と向き合えよ」
と。
その言葉は的確に胸の真ん中を突き刺すものだった。
私は今まさに、それから逃げようとしていたのだ。
辛さを誤魔化すため、誰でもいいからと見ず知らずの人に会おうとしている。その先のことなんてなにも考えていない。
その事実を改めて突きつけられた。
彼が去ったあと、私はベンチに留まりながら身の振り方を考える。
このままここにいれば、あのアカウントの男がやってくる。
そうすれば、今夜は少なくとも一人じゃない。
けれど、それではきっといつまでたっても変わらない。
同じことを繰り返して、どこにも居場所は見つからないのだ。このまま彷徨い続けることになる。
本当は怖かった。今この瞬間、一人であることが。
でも、啓人がくれた言葉は私に勇気を与えていた。
なにせ彼は見てくれていたのだ、私の芯を。
あんなに酷い仕打ちをしたというのに、それでもあんなふうに言葉をくれた。
優しい言葉ではない。簡単に言ってくれるが、難しすぎる厳しい言葉だ。
でも、それが中身のない優しい言葉よりも、心を打った。
だから、どうにか立ちあがり、男にはDMで断りを入れて学外へと出る。
歩き出してみれば、意外となんとかなった。
東京は、たくさんの人がいる。でも一人の人もたくさんいる。そう気づくと、少しだけ気持ちが楽になった。
「……啓人のくせに」
帰りの夜道、私は元カレの名前を呟いて、ふっと笑う。
思えば、何度目だろうか、こうして彼に救ってもらうのは。
昔から何度も何度も彼は、私を助けてくれた。それは、最初の最初、泣きついて彼氏になってもらった日からずっと。
どうやら今度も私は救われてしまったみたいだ。
そしてこれが、本当の最後になってしまうのかもしれない。
それが、こんなに惜しいと思う日がくるとは思わなかった。
今さらになって、胸の奥が熱くなる。
が、これはたぶんずっとここにあった。ただ気づかなかったのだ、たぶん。
彼がずっとそばにいてくれたから、その存在が当たり前になりすぎて、引っ張り出されなかった。間違った答えばかり、出し続けてきた。
やっと見つけた思いだ。
でもこれは、伝えていいものじゃない。
だって、とっくに手遅れだ。一ヶ月というのは実は長くて、今の彼はもう、私とはまったく違うところにいる。
「あー、もう」
私は涙だか汗だかで濡れた顔を拭い、そして滲んだ5月の空を見上げる。
後悔は尽きないし、自己嫌悪も襲いくるし、色々最低な気分だ。
でも、とりあえずは足を前に進めた。
――――――――――――――――
【ご連絡】
五章、ここまでとさせていただきます。
もちろん続きます! 引き続き、よろしくお願いいたします。
ひきつづきたくさんの人にお読みいただき、大変嬉しく思います。
他作との並行になるので、週に一、二回程度になるかとは思いますがお付き合いくださいませ。
コメント、レビューは引き続き募集してます。
ぜひよろしくお願いいたします!
(できれば、作者フォローもしてね。サポーターになってくれたら泣いて喜びます笑)
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