第86話 最後の瞬間?
同窓会の日のことが蘇ってくる。
もう会うこともない。あのときは勝手にそう思っていたけれど、彼女も同じ大学に通っている以上、こうして出くわすことはなにらおかしなことじゃない。
むしろ、これが普通だ。
ラブコメ漫画みたく、フェードアウトしたらそれきり、なんてことはない。
関係が途切れた先にも、それぞれの日常は続いていく。
明日香は背中を丸めるようにして、スマホに目を落としていた。
誰かを待っているふうでもない。
暗闇に紛れそうで、それでも溶け残ってしまって、そこにいる。
そんな感じの雰囲気だ。
俺は彼女の少し手前、足を止める。
まだ向こうに気づかれてはいなさそうだった。遠回りすることもできそうではある。
が、あえてそこまでする必要もあるのだろうか。
別に俺のほうに、やましいことはないのだ。
そこまで考えて、一つため息をつく。
結局、俺は普通に歩き出すことにした。
そして明日香の前に差し掛かる直前、彼女がふと顔を上げて——目が合ってしまった。
一瞬、でも、時が止まったかのごとくそれは長い時間に思える。
こうなったらもう、後には引けない。かといって、話すことなどないから、俺はその前を通り過ぎようとする。
のだけれど。
「ごめん、あの時」
彼女の方から小さく、でもたしかにこう聞こえて、俺は立ち止まらざるをえなくなった。
前に出した足がそのまま固まる。
まさか話しかけてこようとは思いもしなかった。
それも謝罪ときた。
二年近く付き合ってきたからこそ、それが彼女に馴染まないものであることはわかる。
俺は、明日香の方を見る。
彼女はスマホを手にしていたが、その画面を見てはいなかった。自分の膝小僧を見つめるように俯く。
返事はしなくてもいいはずだ。そう思った。
なにせ俺は彼女に二度も裏切られた。自分が振られただけでなく、友人たちに嘘まで吹き込まれた。
結果的には、ひかりに救われたけれど、もし彼女がいなかったらどうなっていたか分からない。
だから、ここはスルーしていこう。そうだ、それがいい。
「……いいよ、とは言えない」
そう、思っていたのだけれど。
口は半ば勝手に開いて、俺は返事をしていた。
「そう、よね。最低だ、あたし。ほんと、最低」
「今さらかよ」
「……もう遅いわよね。もう、色々だめになったから」
たぶん、大学で弄ばれた訳の分からない馬の骨のことだけを言ってるのではないのだろう。
同窓会で、あんな真似をして、空気を打ち壊したのだ。地元でも、孤立してしまっていてもなにらおかしくない。
明日香がこんなふうに弱気になることは、定期的にあった話だ。
感情の波が激しいから、落ち込む顔だって、何度も見てきた。
ただ、これまでとはまるで違う。
それこそ俺が明日香に振られた時と同じ、どん底まで沈んでいる。
というか、この場所はよくよく考えれば、俺が彼女に振られ、頭を抱えていたのと同じベンチだ。
一月ですっかり立場が逆になっていた。
あの時の彼女が欲しがっていた、きらきらな大学生活。
俺は今日、それを少し実感したばかりだから、その差が分かってしまう。
そのまま黙り込む明日香の前、俺は一つため息をつく。
結局は完全に切り捨てることのできない自分の甘さに気づいて、頭を掻いた。
ただ、ここで優しい言葉をかけたって、彼女のためにはならないのは明白である。
そんなのは、俺の自己満足にしかならない。
「……あんまり長居するなよ」
だから言葉を選んで、口を開く。
「なにしてたのか知らないけど、こんなところで座ってたら、お化けにでも乗り移られる」
「なに、それ。つまんない」
「うるさい。要するに、気にしすぎるなよ、ってことだ。こんなところで沈んでる暇あったら、次はちゃんと人と向き合えよ」
俺がこう言えば、明日香がふと顔を上げる。
金色の髪の奥、目を見開いていた。
一応、介入しすぎないように気をつけたつもりだったが、結果的には少しお節介が過ぎたかもしれない。
だが、もうここまでだ。これ以上、言ってやれることもない。俺はもう彼女にとって、何者でもない。
逆も、また然りだ。
俺がなにかを言ったって、電車で隣の席に座った若者に、偉そうに講釈を垂れる老人と変わらない。
だから、俺はそのまま立ち去る。
「ごめん」
すると、後ろからまたこう聞こえて、
「……ありがとう、啓人」
最後にこう加えられた。
もう何度も呼ばれた名前、聞き慣れた声だ。
でもたぶん、今のが、彼女が俺の名前を口にする最後の瞬間になる。
なんとなく、そんな気がした。
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