第84話 充実感

水曜三限。その時間は社会学部にとって必修の『基礎1』という授業だった。


その名前の通り、社会学の基礎を学ぶその授業は、同じ学部の人間が集まる。


ひそひそと会話する声なんかも、いつもより多い気がする。



まぁ俺はといえば、ひかり以外に学部生で親しいと呼べる人はいないのだけれど。


最初のオリエンテーションにも懇親会にも、諸事情で出られなかったせいが大きい。


高校までとは違い、大学では、授業ごとに教室が違う。

そのため、そうした機会を逃すと、あまり改めて交流する機会がないのだ。



まぁ別に、不満はないけど。


そう思いながらも授業を受けていたら、授業の途中で教授が一つ手を叩く。


「では、周りの人と議論を交わしてみてください。奇数列の人は、後ろを向いてください」


……大学になっても、この手のイベントはあるらしい。


「えーっと、私たちは偶数列だね」


やはり、根がぼっちだ。

ひかりが数えてくれる間、俺は少し緊張して、背筋を伸ばす。


そうしていると、前の席に座っていた男女二人組がこちらを振り向く。

そこで二人ともが、「あ」と口を開いた。


「久しぶりだねぇ、ひかりちゃん」

「たしかに。喋るの、オリテの懇親会以来?」


どうやら、ひかりはその女子とも男子とも知り合いだったらしい。


まぁそりゃあそうだ。

たとえ大勢と話す機会のある懇親会だとしても、ひと目彼女を見れば、忘れることはできないと思う。


その眩しさは、男子だろうと女子だろうと関係ない。

きっと誰の網膜にも焼き付く。



……いきなりのアウェーだった。


帰り道に友人の知り合いに遭遇して、楽しそうに話し始めてしまった時に近い。


個人的に苦手な状況ランキング上位だ。

こういうとき、どうすればいいのか正解が分からない。



「君が噂の野上くんだよね。よろしく」


そう思っていたら、男子の方にこう声をかけられた。

眼鏡をかけていて、真面目そうな印象だ。


「え、あぁ。って、なんで名前知ってるんですか」

「敬語はいらないよ。同級生だし。なんでって有名だから」

「いや、有名になった覚えはないんだけど」


俺が首を捻っていると、横から女子の方がにやにやと笑みを見せて、独特の少し甲高いいわゆるアニメ声で言う。


「ひかりちゃんの彼氏かもって、みんな噂してるもんね」

「そういうこと」


……意外と、彼氏彼女というふうに見られているらしい。

正直、友人としか思われていないだろうと考えていたから驚く。


「で、どうなんだい、そのあたりは」


もうこう尋ねられるのも、複数回めだ。


が、それでも慣れていないのか、ひかりは頬を赤く染める。


俺としては、本当のことを言っても、別に問題はなかったのだが、ここで言えば、ひかりが授業どころじゃなくなってしまいそうだ。


「いいから、議論やろうか。……お題なんだっけ」

「話逸らすの下手だな、野上くん」

「……ほっておいてくれよ」


少し無理があったが、周りの人たちがすでに議論を始めていることもあって、話は流れてくれる。



議論の内容は、いわゆる「消費活動」について類型化して、具体的な事例をあげて説明せよ、というものだった。


「いわゆるお金を使うものってことだよね。じゃあやっぱり、ブティックとか? 私もこの間、ポチっちゃったんだよね」


と、まずひかりが自分を例にあげて口火を切る。


「あ、だよねぇ。物を買う行為だね。喫茶店とかだと、ちょっと違うかも? 名前を買ってるみたいなところあるよねぇ」

「他には、病院もあるね。ないと絶対困るよ。俺、花粉症だし、目も悪いから」


それに他の二人が乗っていくから、俺はひとまずメモを取る。

こういう時は役割分担が大切だ。なんて勝手に思って、話を聞くのに徹していたら、


「野上くん、なにかあるかな?」


男子の方に、こう尋ねられた。



正直、いわゆる「消費」活動はここまででほぼ出尽くしていた。

が、何も言わないのもなんとなく憚られる。


そこで頭を捻っていて、思いついたのは、ほんの少し前の変わった体験だ。


「人が求めてたら、なんでも消費につながるのかもな」

「どういうことだい?」

「この間、結婚式に友人代行バイトやったんだよ、俺たち。お金をもらう側だったけど、考えてみたら、それにお金を使う人がいるんだから、それも消費だろ?」


たしかに、とひかりがここで呟く。


「頭いいなぁ、啓人くん。考えてもみなかったよ、私」

「俺も今さっき気づいただけだよ」


どうだろう、と確認するように俺が二人を見れば、


「すごくいい例じゃないか、それ」

「というか、ものすごいバイトだねぇ?」


反応はなかなか上々だった。


「そうなの! しかもね、途中でバレかけちゃってさぁ。あ、でもでも、ご飯は美味しくて、バッティングセンターは気持ちよかったよ」

「……順番整理してから話せよ、ひかり」


俺のつっこみに、二人は吹き出すように笑ってくれる。


「でも気になるよ。どんなバイトだったんだい?」


そこで男子の方がこう聞いてくれたのが、会話が弾むきっかけになってくれた。


その後、議論と発表の時間が終わり、その男女二人は前に向き直ったが、余った時間の間も、話が途切れることはなかった。



そうして、授業が終わる。

片付けをしていると、さっきの二人組が後ろを向く。


「二人とも連絡先、教えてくれないかい?」

「うん。さっきは楽しかったし、また話したいよねぇ」


これには驚いたけれど、断る理由などあるわけがない。

俺はすぐにスマホを取り出して、メッセージアプリを開こうとする。


が、変に気が急いたのが凶と出た。

全く関係のない、家計簿アプリを触ってしまい、そして晒された。


昨夜に食べた、みたらし団子とのり弁当のレシートが。

ご丁寧なことにおつとめ品である旨や、割引額まで、そこには記載されている。


しかも、ポイントを貯めていることまで。

昨日、水曜日はしかも三倍デーなのだ。


「……すご。プロじゃん」


と、ひかりがぼそり呟いてから、他の二人が吹き出す。


「いや、ほんとほんと。一人暮らしのプロだよ。俺も実家を出る時はアドバイス貰おうかな」

「いいねぇ、それぇ」



たぶん周りから見れば、どうということはない。

ただ同級生同士、盛り上がっているだけの、大学構内を探せばどこでも見つけられるような光景だろう。


だが、俺はといえば、ほんの少し特別な気分になっていた。


なんとなくだけれど、こういうものを大学生活というのかもしれない。


いつか想像した煌びやかなイメージの一部に、まさに今なっている気がする。



充実感を覚えるくらいだ。

むろん、ひかりとの関係だとか、バイトだとか、勉強とか、まだまだなことだってあるけれど、それでも。


少なくとも、この先もよりいい大学生活を送っていけるーー。


そんな予感のする、ひとときであった。

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