第82話 あなたのおかげで。


「……すごいな。はじめて見たよ、当てた奴」

「うん、私も。当たるんだ、あれって」


奇跡を見たに近い感覚だった。ばりばりのプレイヤーならともかく、彼女は今日はじめてバットを握ったばかりの初心者なのだ。


ビギナーズラックの域を超えた、出来すぎた結果であった。


俺とひかりがあっけに取られていたら、係員がこちらに走ってくる。


そして、ブースを開けて、「おめでとうございます」と声をかけるのだが、しかし。


打った本人である今里さんもどうやら、かなり驚いていたらしい。

バットをだらんと垂らして、ホームベースをただただ見つめる。

そし思い出したように、ポケットから角砂糖を一粒、口へと放る。


その姿に、おののいたのかもしれない。


係員は、「……えーっと、お連れ様ですよね。景品がありますので、こちらへきてください」と、俺たちに声をかける。

こうなったら俺が対応を、と思うのだが、


「あ、はーい!」


ひかりが先にそう返事をしていた。

そのまま係員さんのほうへとついていく。


俺はそれについていきかけて、後ろを振り返る。


よく考えなくとも、今里さんをこのまま放置してはいけない。立ち尽くす彼女にどう声をかけたものかと少し迷ってから、


「なかなかやるなぁ、今里さん」


俺は窓越しにこう投げかける。


「今の、言いにくいことって奴だろ。こんなに早く教えてくれるなんて思わなかった」

「少し触れた程度で、大したことは言っていませんよ。それに、実質ひかりさんに言っただけです。あなたはすでになんとなく気づいていたでしょう? だから、控室では話を逸らした」


やっぱり今里さんには、気づかれていたらしい。


「……まぁな。だとしてもだよ。それでも、強くなきゃできない」

「そう、ですか。では、あなたのおかげですね、野上さん」

「え、俺? 俺はむしろ「言わなくてもいい」って言ったんだぞ。まったく背中を押したつもりもないし」

「そのくらいがよかったのです。「言いたくなったら言えばいい」。それくらいで考えたら、気が楽になって、隠すことでもないかと思えて、言いたくなった。だから、今言いました」


まぁ、と彼女は笑みを見せて言葉を継ぐ。


「バットを振ることに関しては、参考になりませんでしたが」


ここまではっきりと笑っているのは、はじめて見た。

慎ましやかでありながら、文句のつけようがないくらい綺麗な笑みが、バッターボックスのライトに照らし上げられる。


間違いなく、過去一番いい顔をしている。

その花がついたような表情に、俺はふっと笑うのだが、しかし。


よく考えてみれば、その発言はおかしい。


「……まぐれで当たっただけだろ、今里さんのは。俺は確率重視であえて、ああやってたんだよ」

「まぐれではありませんよ。掴みましたから、私」


いや、ありえない。そう思うのだが、こう言い切られると、本当にやれるのではないかという気もしてくる。


「あなたも横で打たれたらどうですか。確率を重視しなければ、的に当てられるのでしょう?」

「……いや、そこまでは言ってないっての」

「では、私のほうがうまいですね」


ふんと少し鼻息荒く、彼女はそう言い切る。


……いや、別にそれでもいいのだけれど。

あの腰が回っていないへっぽっこスイングに負けたと言われると、なんというか、こう釈然としない気持ちもある。


俺がどう言い返そうかと思っていると、そこへ、ひかりが戻ってきた。


彼女の手に握られていたのは、回数券だ。

ひかりはそれを札束みたいに扇状に開いて、今里さんのほうへと見せる。


「聖良ちゃん、これ! 10回分の無料券だってさ。ホームラン賞!」

「……では、お二人もそれを使ってください。横並びで打つというのは、どうでしょう。ちょうど空いてますし」

「あ、めっちゃいいね、それ! でも、貰っちゃっていいの?」

「えぇ、どうせ使い切れませんから」


やった! と小さく喜んでから、ひかりは扉を開けて回数券のうち数枚を今里さんに手渡す。


「ありがとうね、教えてくれて! 私、聖良ちゃんの味方だから!」


それと同時、ひかりは満面の笑みでこう言ってのけた。

これには、あっけにとられる。

でも考えてみれば、最初からこの言葉だけでよかったのかもしれない。


俺はいろいろと言ったけれど、結果的にはこれに尽きる話だ。

話のど真ん中に眠る核だけを、ひかりは射抜いてきた。


普通、こうはいかない。

場合によっては、打ち明け話を聞いたことで、気を遣う関係になって、溝ができる可能性だって考えうる。けれど、これならそんなすれ違いが起きることはありえない。


「……味方、ですか」

「うん、そーだよ! 啓人くんも、きっとそう。じゃあ、暗くなるからこの話はおしまいね! よーし、打つよ~!!」


やっぱり、彼女はものが違う。

改めてそれを感じていると、ひかりは勢いブースから出てきて、カードのうち一枚をこちらへ差し出す。


「はい、これ! 啓人くんの! 今度は負けないよっ」


そして、にっかり満面の笑みを向けてくる。


「すごいな、ひかりは」

「え、なにが?」

「……いいや、なんにも。打つんだろ」

「うん、打つよ! 今度はすごく打つ! 誰が先に的に当てるか勝負ね」


その後、俺たちはホームラン賞でもらったプリペイドカードがなくなるまで、バッティングを行う。


結果、それ以降、打球が的に当たることはなかった。

今里さんは相変わらずのへっぽこスイングで、ひかりはめちゃくちゃフルスイング。当たっても、ゴロが飛ぶだけ。


そう言う俺はといえば、フルスイングを試みるも結果的には当たらずすぐにコンパクトスイングに戻したから、的には届かなかった。



やっぱりあれは、まぐれ中のまぐれ当たりだったようだ。


ならば、これ以上の幸運は、今はいらない。

いつか今里さんが逃げ出すその日まで取って置けばいい。



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