第81話 言い損ねていたこと。

どうやら、なにをするのかは一応伝わったらしい。

彼女はもっとも軽いバットを手に打席に入ると、棒立ちのようにして構える。


「な、なんか、逆にすごいのかも」


と、ひかりが言う通り、謎の風格を醸し出していた。

とても初心者とは思えない手練れの雰囲気だ。


いざボールが投げ込まれる。

そこへ彼女はバットを振るのではなく、ただ横倒しにして……


そこにこつんと、ボールが当たった。

一応前に飛ぶは飛んだが、小さなフライだ。


「これでいいのでしょう?」


今里さんは冷静な顔で、こちらを振り返る。


「……ちょっと違うな」

「……そうですか。では、もう一度――」


と言っているうちに、球はすでに投げ込まれていた。


ぼすんと鈍い音が響き渡る。


「タイミングを待ってはくれないのですね。これでは、こちらが不利です」


と、今里さんはぶつくさ言いながら、再度バットをストライクゾーンに固定する。

見えてはいるようで当たりはするのだが、派手な打球は飛ばない。


そして楽しそうかといえば、全然だ。

ボールにバットを当てる謎の仕事を義務的にさせられているようにしか見えない。


……俺があまりにも丁寧に当てすぎて、なにかを勘違いさせてしまったのかもしれない。


「もっと振ってもいいんじゃないか」


だから俺は、こう声をかける。

当たっても、今のままじゃ楽しくもなければ、ストレス発散にもなるかどうか怪しい。


ならば、ひかりの方を参考にしてもらったほうがいい。


「うんうん、えいやー‼ だよ!」


ひかりが身振り付きでそれに同じてくれる。


「……振る、ですか。なるほど」


と、今里さんはこちらを見たあと、バットを捨てるように振る。

すると、さっきよりは少しましな打球がころころと転がった。


「おぉ、その感じだよ! もっと思いっきりいっちゃえ!」

「あぁ、それがいいな。もっと全力で……」


と、そこまで言いかけて、ふと思った。


詳しいことは知らないけれど、彼女はたぶん家庭の事情でストレスをため込んでいる。

それはもしかしたら、俺たち庶民には推し量ろうにも量れない、なにか重大なもので、たぶん簡単に解決しないのだろう。


ならばこそのストレス発散だ。

解決はしないけれど、それでも一時でも気持ちがすっきりする方法を俺は知っている。


「むかつくものの顔でも思い浮かべたらいいんじゃないか? 俺は受験の時、ボールを「国語」だと思って、振ってたな。作者の気持ちなんて分かるかよ、って」


そう。こう思えば、どんな凡打だろうが、空振りしようが、ストレスは吹っ飛ぶのだ。


「……むかつくもの」


今里さんは、ボールが飛んでくるのも気にせず、バッティングブースと待機室を阻む壁の奥から俺の目を見つめて少し。


再度バットを構えて、打席に入る。


そして、見せたのは見事な空振りだ。


さっきのひかりと同じかそれ以上に、思い切ったものになっている。


続くスイングもなかなか強烈だ。身体全身を使って、バットを振る。

お世辞にも綺麗なスイングではないが、気持ちは伝わってくる。


「なんか、気迫がこもってるね!」


とのひかりの声に、


「……私の父親は、決していい父親なんかじゃありません。今日はそれを言い損ねていました」


今里さんはバットを構え直しながら、こう言う。


これには、おおいに驚かされた。

いつか、話したくなったときでいい。俺がそう言った話を、今してくれているらしい。


ひかりを見れば、彼女も俺の隣で大きく目を見開いている。今里さんの言葉で、自分の発言に思い至ったのだろう。


「……聖良ちゃん、ごめん、私、控室では余計な事を――」

「いいんです。悪いのは、あなたではありません。両親です。お金だけ渡しておけば、それで私を縛り付けられる。いい駒のように思っているのかもしれません」


空振り。


「はっきり言って、迷惑です。……ですが、明白に拒否することは私にはできません。私がこうやって生活をしているのも、大学にいるのも、二人のお金によるものです。家だって、なんだって」


また、空振り。

が、彼女はそれでもめげずに喋り、ラスト一球。


「いつか、私は逃げ出したい」


こう言い切るとともにバットを振りぬいた、そのときだ。


なにか神様的な存在の力が作用したのかもしれない。


ほとんど完璧な角度と、そしてタイミングで、ボールにコンタクトできていた。

決して力強さはないが、それでもボールは見事な放物線を描いて飛んでいく。


そして見事、「ホームラン」と書かれた小さな的を打ちぬいていた。


アンニュイな音楽が、場内に響き渡る。




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