第80話 空振りでもフルスイングは気持ちいい
キン――と気持ちのいい乾いた音が、こじんまりとしたドーム内に響いていた。
その間に混じって聞こえる鈍い音はたぶん、空振りをしてボールがクッションに当たった時の音。
そのあとに、「あー、くそ!」と悔しそうな男の声が続く。
それが目立つくらいだから、客数は少なかった。
今日が隣接する球場で試合がない日だったこともあるのかもしれない。訪れていたのは、ほんの数組だった。
「どこにしようかな〜」
ほとんど選び放題のブースの前、少年野球団のボス――もとい青葉ひかりはブースの前を歩き、一つ一つに設定されている球速帯を確認していく。
中には160キロなんてものもあったが、打てるわけもない。結局俺たちは、もっとも遅い80~130キロまで出るスタンダードな機械の前で荷物を下ろした。
「私先にやろうかな。聖良ちゃんにお手本見せないとだもんね〜」
ひかりは気合十分だった。
羽織っていた薄手のセーターを「んしょ」と声を上げながら脱ぎ、半袖姿。
腕をぐぐっと上に伸ばし、身体をほぐす。
それ自体は自然な行動だったが、その格好がまずかった。
スカートの中に入れられていたシャツの裾はずり上がって、スカートとトップスの合間からはちらりとウエストが覗く。
しかも、トップスの袖が短いせいで、細さはありつつも健康的な腕、腋が露わになっている。
その危険すぎるポーズに、俺はとりあえず他の客と彼女の間に入って、両手を広げる。
が、しかし。もっとも警戒するべきは、すぐそこにいた。
「なるほど。これがE」
と、今里さんは明らかに胸元を凝視して、こう呟く。
それについつい俺も、シャツを張らせるほどのその膨らみを意識してしまいそうになって、目をそれとなく逸らす。
……が、そんなことはつゆ知らず。
ひかりは、そんな俺に不思議そうな顔をしつつ、ブースの中へと入っていく。
「よーし、やるよー!」
打席で何度か屈伸してから、全員で買ったプリペイドカードをさしこみ、いざバットを手にした。
「……おぉ」
と思わず俺は唸る。
その構えはなかなか、さまになっていたのだ。
一番長く重いだろうバットを高々と掲げて、悠然と構える姿は、まるで虎の四番のよう。
少年野球団を結成するだけのことはあるのかもしれない。
これは期待できると思っていたのだけれど、スイングしてみたらどうだ。
めちゃくちゃもいいところ、めちゃくちゃなスイングだ。バットの遥か下を山なりのボールは通過していく。
たぶん、80キロなのだろう。
「うあー、当たらない!」
と叫びながらの二球目。
今度、バットはボールの遥か上を通過していく。
ただしスイングスピードだけはちゃんと速いあたりが、ひかりらしい。
運動が苦手とかではなく、球技が得意じゃないのかもしれない。
「うっ、えい、やー!!」
その後も、毎回変わる掛け声と大きな全力スイングにより、空振りが量産される。
たまにあたっても、根っこだ。ぼてぼてのゴロがころころとフィールドに転がる。
そして、そのうちに投球が止まった。
結果だけみれば、散々だったが、出てきたひかりの顔は、ほくほくだ。
そこには充実した表情が浮かぶ。
「結構楽しいかも! 次こそはもっと飛ばすぞ~」
これも、らしさなのかもしれない。
楽しめれば、なんでもいいのだ。これが打ち上げであることを思えば、とくに。
ただ残念ながら、見本にはなっていたかといえば、なっていなかったらしい。
今里さんは訝しげな顔で、ブースのほうを見つめている。言葉にされずとも分かる。「なにが楽しいのですか」の顔だ。
まぁたしかに、そう思うのも無理はないかもしれない。
「じゃあ、次は俺の方がいいよな?」
「えぇ。私はまだよく分かりませんから」
「……あー、まぁ見ててくれよ」
せめてルールぐらいは分かってもらえるようにしなくてはなるまい。
俺はブースに入り、カードをさしこむと、ひかり同様一番長いバットを手にして、腰を少し落として構える。
設定した球速は110キロ。
この程度なら、さすがに見える。
一球目を、俺は綺麗にセンター方向へと弾き返す。
これには、「わ、すごい、うま!」との声がひかりから聞かれた。
続く二球目も、同じくセンター方向へ。
俺はひたすらボールをよく見て、バットを出すのを繰り返す。
今里さんに手本として見せたいという思いもあった。
俺は基本に忠実に、最後まで一球も空振りすることなく、こつんこつんと当てていく。そうして一度目のプレイを終えた。
それで出たところで今里さんにカードを渡せば……
「完全に理解しました」
とのこと。
どうやら、なにをするのかどころか、野球の極意まで伝わったらしい。
いや、そんなもの込めてないんだけどね?
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