第74話 どう似合ってる?
館内に入ってすぐ、俺とひかりがそれぞれ別に通されたのは、衣装室だった。
そこには、何着もの服が置かれているうえ、男性スタッフまで待ち受けている。
されるがまま身体測定を受け、用意してもらったのはストライプの入ったスーツだ。
ただし、入学式の時に着たセール品の安物スーツとは、手触りからなにから、すべてが異なる。
万が一、破けたりしたら大変だ。
補修だけでも簡単に万札が吹っ飛んでいきそうである。
そこで超慎重に着替えて出て行けば、今度は別部屋へと連れていかれ、髪のスタイリングがはじまった。
事前に、こうしたセットアップがあることは聞いていたが、ここまでとは思わない。
訳が分からないまま、さんざん弄られまくる。
その末に、ややぐったりとして控室へと向かうとそこにはひかりと今里さんが待ち受けていた。
二人の姿に、猫背になりかけていた背が自然と伸びる。
「わ、啓人くん! やっときた!」
「……ずいぶん時間がかかっておりましたね。なにかトラブルがありましたか」
二人ともいわゆる晴れ着のドレス姿だった。
もちろん主役じゃないから、派手さはないが、どちらも普段とはまったく印象が違う。
「どう似合ってる?」
と、その場でくるりと回転しながら言うひかりは、いつもよりかなり大人びて見えた。
濃い群青色のドレスに、白の羽織というシックなコーデに、薄い唇に引かれる口紅は薄紫色、髪はふんわりカール仕立て。
少女のような幼い愛らしさはなりを潜めていた。
肌の露出は少ないのに、なんとなく大人な色気が漂う。
その唇の潤み、まつ毛の先に乗ったきらきら光るまつ毛に勝手にどきりとして、
「あぁ、うん。似合ってると思う。ひかりはなに着ても似合うな」
声が裏返る。
情けないったらなかったが、「えへへ」とひかりは笑みを見せるから、それにほっとしていたら……
「どう似合ってる?」
そこへ今度は同じことを、今里さんに尋ねられた。
ひかりと同じく、一回転しながら。
これはこれでまったく意図が分からないから、対応に困る。
彼女の方はベージュ色のドレスを召していた。
レース生地で作られた丈の長いワンピース、ボリューミーなロングヘアを綺麗に束ねて、編み下ろした髪型も、高貴さを演出している。
普段の頭爆発姿を見ていたら、考えられないくらい、ザお嬢様だ。
「えっと、似合ってるというか、着こなしてるな。衣装に負けてない」
「そうですか。よく絞り出しましたね、お疲れ様です」
「お、お疲れ様です?」
なんで会社での挨拶みたいになってるんだろう。
相変わらず読めない人だ。だがまぁ多少頬が緩んだ気がしないでもないから、一応は納得してくれたらしい。
そして、だ。
こうなってきたら、やらなければならないことがある。
明らかに流れがきていた。
サーフィンで言うなら、絶好の大波。
これに乗らないのは、サーファー……いや、関西人としてご法度ともいえる行為だ。
「どう似合ってる?」
だから、恥ずかしさはふりきって、その常識に従うこととした。
俺はわざわざジャケットの裾を引っ張り、右足を軸にして一回転。
クールを装って、二人に対してそう尋ねる。
個人的には、一か八かの大勝負だった。
でも、関西人としてやりきった。
だから笑え、いや、笑ってくれ、まじで。
半ば願うように思っていたのだけれど、
「うん! 啓人くんもいつもより、今日はなんかこうパリッとしてる! 髪型もいい感じじゃん」
天然美少女ひかりさんは、言葉通りに受け取ったらしい。
満面の笑みで親指を突き立てて、こう素直に褒められてしまう。
そして今里さんはといえば……
ふっ、と軽く口端をあげて吹き出すように笑い、それきりで元の仏頂面に戻る。
控えめにいって、大すべりだ。
穴があったら入りたい……! いや、掘ってでも隠れたい!
俺が一人、頭をかいていると、
「ねぇ、聖良ちゃん。聖良ちゃんはこのカフェで普段から働いてるの?」
ひかりが、まったく別の話を今里さんに振った。
彼女としてはたぶん、なんの意図もない単なる話題転換だ。
……助かったような、見殺しにされたような。
内容自体は俺も気になっていたことだったから、まあいいのだが。
「いいえ、私はいわば助っ人です。父の関わっている経営ですが、細部までは手が回りませんので。こういった困りごとの際には、私が対応をすることもたまにあります」
「……け、経営……。そっか、お父さんのお手伝いだね」
「はい」
「なんか格好いいかも! すごいなぁ、だって控室でも結婚式出来そうなくらいすごい建物の経営。私のお父さんと比べたら考えられないよ。自慢できちゃうね」
ひかりが室内を見わたしながら、にこやかに言う。
思ったままを純粋に述べたのだと、考えるまでもない。
が、しかし。
「……そうですね」
それとは対照的に今里さんの表情が一瞬陰ったのを、俺は見落とさなかった。
ほんの一瞬、でもたしかに、場の空気に灰色が混じった気がしたのだ。
それはすぐに紛れて分からなくなる程度の微妙な違和感だったが、まず間違いない。
たぶんこれは、そうした空気を敏感に感じ取って、ひっそり生きてきた元日陰者にしか分からない。
静かな拒絶を今里さんは発していた。
だから俺は今気づいたふりで、配られていた本日のメニューを手に取る。
「……それより、今日の飯豪華だな、かなり。キャビアづくしって」
「え、キャビア!」
それに、ひかりがすぐに食いついて、無事に話は流れる。
扉がノックされて、スタッフから式場へと移動するよう告げられたのであった。
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