第72話 美味しい料理と飲み物つきで、時給五千円、当日払いのバイト


――そして翌日。


「はぁ、なるほど、アルバイトですか」


ランチ終わりの食堂の端っこの席にて。

俺とひかりは、結局決まらずじまいに終わった昨夜の話を今里さんにも振っていた。


その反応はなんとなく鈍い。

もしかすると、彼女ほどのご令嬢ともなれば、アルバイトという単語にさえ馴染みがないのかもしれない。


「うん。なんか、ちょうどいいのがなくてさぁ。短時間でお金がたくさんもらえて、疲れにくくて、なるべく人と接さないで、二人で受け入れてもらえるところないかなぁ」


ひかりはため息をつきながら机に肘をついて、花びらのように作った両手に顎を乗せ、青いため息をつく。


こうやって改めて聞けば、そりゃあ見つからないわけだと思う。


二人分の希望が合わさったことにより、とんでもなくわがままな条件になっていた。


こんな条件で引っかかるのは、たぶん闇バイトだけだね、うん。

現金を受けとって口座に振り込むだけの簡単なお仕事とか、携帯を契約するだけのお仕事とかさせられそう。


「何かを諦めるしか――」


だから仕方なく。俺が妥協を提案しようとしたそのときだ。


「ありますよ」


今里さんがさらりとこう口にした。


俺は目を丸くして彼女の方を見上げる。ひかりも同様に、今里さんを見て目をまたたく。


だが、そんな視線なんて今里さんにはなんのその。

食堂の利用者なら、誰でも無料で飲めるお茶を澄まし顔で上品に飲み、音を立てずに湯飲みを机の上に置く。


「ありますよ、そういうお仕事。ちょうど、父が経営に関わっているお店で、バイトを探しているところでした」

「ほんと!? 聖良ちゃん、それ教えて!」


俺が戸惑う横で、ひかりは腰を浮かせて、机に手をつき、今里さんのほうへと身を乗り出す。


「構いません。少々普通のアルバイトとは異なりますので、その点は覚悟していただく必要がありますが、問題ないでしょうか」

「うんうん、覚悟するよ〜! いくらでもするする~」


たぶん、友人からの紹介ということで安心しきったのだろう。

ひかりが覚悟を安売りする横で、俺はその仕事の内容を勝手に勘繰る。


今里家は、お金持ちの名家だ。なにか俺たちが思いもよらないようなバイトである可能性もあるんじゃなかろうか。

そもそもこのお嬢様は、いろいろと価値観がずれているのだ。


常識が通用しない可能性は大いにある。


「とりあえず、まずは一度だけというのはいかがでしょうか」

「おー、体験って感じね?」


「若干ニュアンスは違いますが、そのようなところです。当日の衣装等は、すべてはこちらで準備いたしますよ」

「うわ~、助かるやつだ~」


「お給料についても、当日中にお渡しできるかと思います。二時間ほどお時間をいただければ、一万円お出しいたします」

「え、ってことは時給五千円!?」

「そういうことになりますね。交通費は別支給です。美味しい料理も飲み物もお付けいたします、スイーツつきです」

「え、まかないつきなの! やった!」


条件面は都合がよすぎるくらい、いい。なんならそのままそこに就職したいくらい、破格の条件だ。


が、肝心のバイトの中身の話がいつまでも出てこない。

俺は落ちつかなくなって、


「ちなみにそれって、なんなんだ……?」


会話に水をさすのは承知で、はっきりとこう尋ねる。



すると今里さんは少し考えるようにした末、鞄の中からハンカチを一枚取り出す。

彼女はそれを開いて頭の上に持っていくと、左手で押さえて、すだれのように目元まで垂らす。


この時点で目が点になっていたが、今里さん劇場は終わらない。

今度はそれを右手でぺろりとめくりあげるのを繰り返し始める。


いつかタクシーの中で行われたことがあったから、なにをせんとしているのかはすぐに分かった。


「えっと、聖良ちゃん?」

「ひかり。簡単に言ったら、ジェスチャークイズだよ」

「……あー、なるほど!」


二人して、今里さんを見つめて真剣に考える。

が、しかし、遊んでいる子供の様にしか見えない。


食堂の至るところからは異端者を見る視線が注がれる。


「あれってもしかして、「見ちゃいけません!」ってやつ?」


なんて声も漏れ聞こえてきた。

今里さんにも聞こえているはずだが、これくらいで折れることがないのが、彼女だ。


たぶん答えるまで続けるつもりだろう。


「えーっと……居酒屋? のれんをくぐってる、みたいな?」

「風が強い場所でなにかするのかなぁ。んーと、ビルの屋上の警備員?」


俺もひかりも、それぞれにまったく違う答えをする。

正直自信はゼロだ。ひかりの答えもたぶん違う気がする。


じゃあなんなんだと思っていたら、今里さんはハンカチを頭に巻いたまま、首を横に振る。


「結婚式です。まぁ普段はカフェなのですが、その店は広さがありますので、貸し切りで式を催すこともあるのです」


……出てきた答えは、あまりにも予想外だった。


「えっと、じゃあそのハンカチは……」

「分かりにくかったでしょうか。ベールです」


そういうことかぁ、分かったかもなぁ、とひかりは悔しそうに声を上げる。

逆に俺はといえば、どうしたって分かるわけがなかったなと思う。


だからすぐに話を元へと戻した。


「要するに、結婚式のバイトってことだよな。なんか、親戚の奴とか参加したときの記憶だと、スタッフさんってかなり大変だった気がするんだけど?」

「そうですね。スタッフは忙しいかもしれません。ですが、二人は心配いりませんよ。スタッフ仕事ではありませんから」


他に、なんの仕事があるというのだろう。

疑問に思っていたら、今里さんからそれは告げられた。


「お二人には、式を挙げられる方のご友人役として、代理出席者になっていただきたいのです」


と。

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