第69話 嫉妬と恋心
♢
「ひかり。なんか機嫌悪いだろ?」
「気のせいだよーだ。啓人くんにそう見えるだけだもん。私はいたって普通で、気分も普通で、オール普段通りだよ」
「……いいや、違う。目は合わないし、歩くの速いし」
活動終わりの帰り道。
一部のサークルメンバーたちはそこから食事会へと流れていたが、俺とひかりは、家路についていた。
そのわけは、ひかりが夜八時の受け取りで宅配便の指定をしていたから、というもの。
だから俺は食事会に行ってもよかったのだが、なんとなく一緒に帰りたくなって、彼女の最寄り駅である御徒町駅までやってきた。
正確には、俺の最寄りは稲荷町なのだが、地図でみればそう遠い距離でもない。
そこで、ひかりに合わせて、同じ場所で降りていた。
二人、駅が密集しておりネオンの降り注ぐ眩しい街を通り抜けて、住宅街のほうへと抜けていく。
俺は少し先を行く彼女の横に、早歩きで並んだ。
「千種の悪い冗談だったんだよ、あれは。なんにもないって、授業中も言っただろ」
ここまではあえて口に出していなかったが、はっきりとこう言う。
ひかりが不機嫌になるような出来事で思い当たるのは、もうこれしかなかったのだ。
違うよ、と否定されるかとも思ったのだが、ひかりは青色吐息をついたのち、ぼそりと言う。
「……モテるよね、野上くん」
いやいや、少し歩くだけで、そこらじゅうの男みんなを振り向かせる絶世の美少女がなにを言いだすのだろう。
「ひかりが言うかよ、それ」
「……私のは違うじゃん。みんな、ただ見た目で判断してるだけだもん。でも、今日の千種ちゃんはそうは見えなかった。啓人くんをちゃんと慕ってた。そんなふうに見えた」
「単に先生として、だろ」
「分かんないじゃん、そんなの。もしかしたら、心の中では、この先生と付き合えたらいいなぁとか思ってるかもよ」
「……ないない」
彼女のあの態度では、それは絶対にないとまず断言できる。
のだけれど、ひかりにとってはそう単純な話でもないらしい。
「いっそ私があの子みたく、啓人くんの生徒だったらなぁ」
「……そうしたら今度は付き合ってないことになるぞ」
「付き合ってることになったまま、だよ。全部そのまま、プラスアルファってこと! 同級生でもあり生徒でもあり彼女でもありたいの」
ひかりはそう口を尖らせた少しのち、大きくため息をつく。
それから足を止めて、力なく笑った。
「……って、私、すごいこと言ってるね、今。気づいちゃった……。これ、嫉妬深いってやつじゃないかな」
「……さぁ、分からないけど」
「あーん、絶対そうだ……。引いたよね、こんな彼女。ドン引きだよね。これ、ネットとか、漫画とかドラマとかでよく見るやばい彼女ってやつなんじゃ――」
と、ひかりがそこまで言ったところで俺は思わず、彼女の手を掴んでいた。
「き、き、急になに!?」
すると、ひかりは俺の手を払い、半歩後退する。
胸の前に両手を構えて、肩を大きくいかりあがらせた。
顔は薄暗い街灯の下でも分かるくらい、はっきりと朱がさしている。
「……悪い。だめだったか?」
「そ、そうじゃないけど」
と、彼女はぎこちなく震えながら左手は胸元で握り込みつつ、右手を差し出してきた。
俺はその手をそっと掴むと、ひんやり冷たく、ほっそりとした指をぎゅっと握りしめた。
そのうえで、
「……嬉しかったよ、むしろ」
正直な思いを口にする。
「え?」
「ひかりが、俺のことをそこまで考えてくれたってことが嬉しかったんだよ。だから引くなんてことはありえない」
なんなら、嬉しくて仕方がなかったくらいだ。
誰かにここまで思ってもらえるなんて、しかもそれが好きな相手であるなんて、そうあることじゃない。
胸の奥で生まれた熱い塊が、じわじわと俺の心の内側を温めていく。
「……啓人くん」
「なんだよ」
と聞けば、彼女は茹で上がったみたいに赤い顔を上げて、「だめだ~」と笑う。
「もう、だめかも、私。好きすぎて困っちゃう。もうどうしよう。どうすればいいかな、えへへ」
俺を見上げてくる、まるくビー玉みたいな瞳の端にはきらきらと、光る粒が浮かんでいた。
あまりにも、綺麗だった。そのうえ、的確にどきりとさせるようなことを言ってくるのだから、困るのはこっちだ。
顔に血が上ってくるのを感じながら、「……俺も」と言おうとしたそのとき。
ちりーん、ちりーんと、自転車が後ろを通り抜けていった。
「ちっ」と舌打ちまで残される。
……そういえば、ここ路上だったね。
しかも地元と違って、住宅街といえども、人通りはそれなりにある東京だ。
一気に、現実世界へと引き戻された気分だった。
「えーっと……とりあえず家まで送るよ」
「よ、よろしくお願いいたします」
「あぁ、うん。こちらこそ、えと、よろしくお願いいたします」
今度は手を繋いだまま、再び歩き出す。
ずっと胸の中に、ぐるぐると熱いものが渦巻いていた。そのせい、なにか口にしようとはするのだけれど、言葉にはならずに消える。
だから、なんとなくふんわりしたまま、ろくに会話もせずにただただ歩く。
居心地が悪いなんてことはまったくなかった。
むしろ、ぬるま湯につかり続けているみたいな、ほんのりした胸奥の温かさに浸っていたら、彼女の住むマンションに着くまでがまるで一瞬のことのように感じた。
名残惜しさはあったが、俺は彼女に「じゃあまた」と告げて、背を向ける。
歩き出そうとしたところで、後ろにつっと引っ張られる感覚があった。
どうやらシャツの裾を摘まれているらしい。
「離れたくないなぁ」
と、ひかりがぼそりと言う。
気持ちはまったく同じだった。
俺だってできるなら、このまま一緒にいたい。
ごくりと唾を飲み、身体を彼女の方へと向ける。
「……じゃあ晩ごはんでも作っていこうか」
そして、こう切り出した。
若干声が裏返ったのは、恥ずかしさと思い切りのせいだ。
ただそれでも、言った。
俺としては十分なくらいよくやった。そう思っていたのだが……
「き、今日はだめ! 部屋がその、なんというか、ミラクル汚い感じだから今日は……ごめん」
断られて、はっとした。
考えてみれば、とんでもないことを言ってしまったかもしれない。
いくら何度か家に上がらせてもらったことがあるとはいえ、それらはすべて緊急事態だったからだ。
いくら付き合うことになったとはいえ、まだ二週間程度。
女の子の部屋にいきなり上がろうなんて、がっついてる男みたいに思われてもおかしくない。
俗に言う『送り狼』に俺は見えてしまっているのかもしれない。
「わ、悪い、忘れてくれ。……その、そういうつもりじゃなかったんだ、本当に」
とっさに飛び出た言葉だったが、余計な言い訳だったか、と言った後に思う。
こういうところでスマートになりきれない。俺が失言を後悔していたら、その手前でひかりは顔をすっかり赤くして、俯いてしまっている。
「……わかってるよ、それは。啓人くんのことだもん」
「そ、そうか」
「う、うん。そうだよ」
しばし、無言の空気が流れる。
こんな時どうすればいいのか。見当もつかない。
一応、彼女がいたことのある身とはいえ、相手が違えば当然勝手が違う。
「えっと、じゃあ俺はここで……」
それを打開する策は、これしかなかった。
「えと、うん……。ほんとは私も啓人くんを送りたいくらいなんだけど……その」
「荷物受け取らなきゃだろ。それに、ひかりがうちに来たら、また俺が送ることになる。……じゃあ、これで」
「……だね。じゃ、じゃあ、また明日」
名残惜しい気持ちは、溢れんばかりにあった。
が、それは懐の奥へとしまい込み、俺は家路へと向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます