五章
第61話 新しい関係になって【新章です!】
連休明け、五月の東京は相変わらず人で溢れていた。
とくに恐ろしいのは、電車内。
通勤電車の時間は過ぎているはずが、それでもぎゅうぎゅう詰めだ。
一度地元に帰って、それなりに空いている電車に乗ってきたせいで、なお多くの人がいるように感じる。
その大勢の汗のせいもあるのだろう、電車内の空気はもわっと生温かかった。
やっぱり、東京は大都会だ。どこに行っても、人が多い。これで大学に行っても人が溢れているのだから、恐ろしい。
そんなふうに思いながら、桂堂大学の構内へと入って、ふと違和感を覚えた。
どう考えたって、人が減っている。
春先、二限の始まるこの時間といったら、行き違う人の数が多く、人と肩がぶつかりそうになることだってあった。
だが、体感的には三割減くらいになっている気がする。
……噂には聞いていた。
大学という場所は自由すぎて、縛りがないがゆえに、こうして学校に来なくなる生徒も一定数いるのだと。
まさしくその現象を、肌でもって体感しつつ、俺は授業のある教室へと向かう。
見渡してみればやっぱり空席が目立つような気がしていたら、教室後方の席から小さく手を振られた。
それだけで思わず、どきりと胸が高鳴るのだから、美少女というのはずるい。
わざわざ少し通路側に身を乗り出して、笑顔を見せてくるあたり、可愛さましましだ。
つい一度息を呑んでから、俺はその席の方へと近づく。
「ちゃんと来たんだね? 寝坊してるのかと思ったよ」
と、俺を見上げながら言うのは青葉ひかりだ。
中学の同級生であり、元クラスのアイドル。そして今は大学の同級生でもあり――俺の彼女でもある。
いまだに目を覚ますたびに信じられない気持ちになるが、俺たちは本当に付き合っている。
地元に帰っている時に告白し合って、その結果、彼氏と彼女の関係になったのだ。
「本当にこんなに減るんだな、人」
「うん、びっくりだよね。高校の頃だったら考えられないもん」
こんな会話をしつつ、俺はひかりの横の席に着く。
「私も休めばよかったかなぁ……」
なんて冗談を言う彼女の横顔を一目見てから、俺はすぐに目を切り、そそくさと授業を受ける準備を始めた。
かばんから教科書やら筆箱を取り出していく。
まともに見れなかったわけは、なんとなくの照れ臭さだ。
それに、どういうわけか前よりもさらに魅力的に映る。
今日のファッションは、白のブラウスに水色のフレアスカートに、薄手の白い羽織、さらには底の厚いブーツ。
全体的に明るめの色味で固められており、着る人を選びそうなファッションだが、彼女にはそんなものは関係ない。
当然のごとく、完璧に着こなしていた。
ブラウスは、五分袖から覗く腕の白さを引き立てているし、フレアスカートはほっそりした足首の美しい曲線を際立たせる。
そして、もちろんのごとく、その顔はどの部位をとっても文句のつけようがない。
絶対的に、美しく綺麗で、それでいて可愛かった。
だが、まぁそんなのは前からだ。
この美少女はいついかなるときも、可愛い。
だから、それがさらに魅力的に見えるのはたぶん、変わった関係のせいだろう。
ひかりに直接会うのは、付き合い始めて以降はこれが初めてだった。
東京へ帰る新幹線はどうしても時間が合わず、今日を迎えたためだ。
もちろんメッセージのやり取りはしていたが、対面するとまた話は別だ。
俺はちらりと横目に彼女を見やる。
ひかりのほうは、とくに気にしている様子はなさそうだった。こちらを覗きこみ、きょとんと首を傾げている。
その奥に、机の上でだらんと垂れる灰がかった薄橙色の髪を見つけて、俺はぎょっとした。
「……来てたのか、今里さん」
月曜日二限の日本文化史。
同じ授業を受けている文学部のご令嬢、今里聖良さんだ。
この授業で一緒になって以来、ときどきランチを一緒に取る仲になっている。そして、ひかりが熱を出したときには一緒に見舞いにもいった。
簡単に言えば、友人の一人だ。
彼女は授業中いつも寝ている。そもそも背の高くない彼女が猫みたく丸まっていたから、ちょうど、ひかりの影に隠れていた。
「うん、私が来た時にはもういたよ~。こんなに眠そうだけど来てるなんて偉いよねー」
「本当に偉かったら起きてるところだけどな」
「たしかに……! ということは、え、私偉い!?」
「偉い、偉い。ひかりも俺も偉い」
「という事は単位確定だねっ」
「そう甘くないと思うけどな」
なんてことはない、いつもどおりの会話だ。
拍子抜けのような気もするが、まぁこれはこれでいいのかもしれない。
変に意識しすぎて固くなってもしょうがない。
いつもどおりのほうが、うまくいく気もする。
好き同士になって付き合っても、この関係は変えたくない、と付き合う前に思っていたのは俺の方だ。
そんなことを考えていたら、チャイムが鳴り、授業が始まった。
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