第60話 【番外編】高二の夏、初めての彼女。


――高二の夏前、文化祭終わり。


俺のクラスには、季節外れの春が訪れていた。


つまるところみんな、文化祭の熱に浮かされていたのだろう。

クラスを見回してみると、仲睦まじげなカップルが何組もいて、中間試験前だというのに、雰囲気だけで察せるくらいにはとにかく色めき立っていた。


そんななか、俺はといえば、なにもない。


一応高校に入ってからはクラスに馴染むことに成功し、それなりに友人もいるし、女子とも話せるようになった。


が、しかし。誰かと付き合うとか、そういう話になれば別だ。

まるで経験がなかったし、自分に彼女ができた状態も想像できなかった。


だから春色の空気からは、完全に取り残されていた。




その日俺は、一人で帰っていた。

いつもは一緒に帰っている帰宅部仲間の友人がデートだからと、先々帰ってしまったためだ。


いつもならテスト前は、どこかの店に入って一緒に勉強していたところだが、しょうがない。

今日は一人で集中してやろうかと、学校の最寄り駅にあるファストフード店に入ると、そこでばたりと出くわした。


「……あ」

「おう」


とお互いに声が出る。

入口すぐの席に座っていたのは、クラスメイトの女子。


梅野明日香だった。


彼女は一応教科書を開いていたものの、片手でスマホいじり、もう片手ではポテトを持つ。

指先を見てみれば、ポテトの油のせいか、きらきらとてかっていた。


「ここ座る? 他に空いてないよ、今の時間」


梅野がポテトの先で、彼女の向かいの空いた席をさす。


確かに見渡してみれば、店内は結構埋まっていた。

もし席が取れたにしても、勉強で長居するために席を確保するのも申し訳ない。


「あー……なら、そうする」


俺はかばんを置かしてもらい、一度注文列に並ぶ。

それから、彼女の前の席に着いた。


なんとなく空気が重たかった。

梅野とは席が近い事もあり、ある程度話をしたことはあった。

が、こうして二人きりで話をしたことはなかったためだ。


ただ、目的はあくまで勉強である。

そう思って俺はとりあえず社会の教科書を開く。ノートも確認して、少し勉強を進めてから気づいた。


梅野が俺のポテトにまで手を伸ばしている。


「ごめん……。無意識」

「……別にいいんだけどさ。でも、よくそんなに食べられるな」


机に置かれたトレーの上にはすでに、彼女が食べたのだろうポテトの空箱が二個置かれていた。

明らかに食いすぎだ。


「そんなキャラだっけ、梅野」

「……違うし。今はそう、ストレスたまってんのよ。彼氏に振られたからさ」


それだけ言うと彼女は深い溜息をつく。

それから、長い髪を何度も耳元に掛け直して、机に肘をつき、手に頭を乗せた。


俺がなにか聞かずとも話し始めた彼女によれば、付き合っていたのは高三になる先輩だったらしいが、受験勉強で忙しいからと関係を切られたそうだ。


「とかいってそいつ、SNS見たら同級生の先輩と二人で京都とか行ってんの」


うわぁと思わざるをえない。

受験だなんだのは、たぶん言い訳だったのだろう。他に好きな人ができたことを理由に切られたわけだ。


「……それは最悪だな」


彼女の方からしか話を聞いていないから、実際のところ、どういう経緯があったのかは知らない。


が、別に俺はその先輩のことを知らない。

であれば、ここはただ話を聞いてやるのがいいはずだ。


梅野の口から語られる愚痴をただ聞く。そうしていたら突然、


「ね、野上は? どうなの?」


こう尋ねられた。


「なにが」

「彼女とかいないの」

「……いないよ。まぁ周りはみんないるみたいだけどな」

「ふーん、いそうなのに」

「適当な事言うなよ。いたこともない。……そろそろやるぞ、勉強」


そこからは勉強へと戻る。

その頃には、頼んでいたハンバーガーはすっかり冷めて、ふにゃふにゃになっていた。





それからしばらく、俺と梅野は、毎日のようにファストフード店で出会っていた。

別に約束しているわけじゃないから、一緒に教室を出るわけじゃない。


ただすこし勉強してから帰ろうかと思って足を向けたら、彼女はそこにいる。

逆に俺のほうが早く着いたときは、後から彼女が来て、遠慮もなく前の席に座る。


そうして気づけば毎日のように、俺たちはここで会っていた。


「ここ、分からん~。分かる?」

「あぁ、うん。その数式は、左辺に――」


数時間だけ勉強して、その間に少しだべるだけの、なんてことのない関係だ。

一度、彼女を連れた友人に見られたこともあったが、そのときだって、二人揃って「たまたまここにいるだけ」と答えた。


つまり、梅野も別になんの意識もしていない。

だから元カレの話とかを延々と俺に垂れ流してくるし、別にそれを何のことはなく受け止められる――そう思っていた矢先、テストの前日のことだ。


「あたしたちさぁ、付き合わん?」


それはまったく唐突に切り出された。


突然、告白されたのだ。

ファストフード店の中でのことだった。しかもポテトを食べながらというラフさで、いきなり。


俺は驚いて言葉が出なくなる。

ちょうど飲んでいたオレンジジュースを飲みこみ、しばし梅野の顔を見つめた。


本気のようには見えなかった。

その顔は照れているふうでもなく、いつもと変わらない。



「なにを冗談言ってるんだよ」


だからこう返すのだけれど、


「別に冗談じゃないし」


今度はこんな返事があった。


そこで俺は一度真剣に考える。

彼女のことが嫌いなわけではない。が、特別に好きと言うわけでもない。そりゃあ他の女子よりは仲良くなったかもしれないが、それはあくまで友達の範囲だ。


「……悪い。でも俺は――」


だから断りを入れようとして、彼女の顔を見てぎょっとした。

その瞳にはいつの間にやら、涙が浮かんでいるのだ。瞳は赤くなっており、目元も腫れぼったい。


そのさまには、周囲も気づいていたらしく、好奇の視線が注がれていた。普通に食事をするふりをしている連中も、ちらちらとこちらを見る。


このまま泣いてしまったら、色々な人に彼女が見られてしまいかねない。


「……出るぞ」


一時的な避難だ。


荷物は置いたままにして、俺はブレザーを梅野に被せる。


そのうえで店の外へと引っ張り出した。どうにか人気のないところで話を聞こうと、たどり着いたのは少し裏手にある神社の境内だ。


そこまできて再び顔を見てみれば、今度は完全に泣いている。

気だるそうにしているものの、普段は基本的に明るい梅野だ。だから、こんな顔は初めて見た。


「どうしたんだよ」


戸惑いながらに俺は聞く。すると、


「どうもしてない」


と返ってくるが、その声は涙声で震えてしまっている。

しかも長い黒髪に顔を埋めるようにして、俯いていたのだから、明らかに何もない奴の振る舞いじゃなかった。



完全に、追い込まれている人のそれだ。


とりあえずハンカチを差し出してやりながら、俺は彼女の気持ちになって考えてみる。


そして一つの仮説が立った。


もしかしたら、梅野はいろいろと追い込まれていたのかもしれない。


平気な顔で一緒に勉強して、ポテトを満足いくまで食べて、愚痴を垂らす。

別に何と言う事はない瞬間、俺にとってはただの日常でしかないと思っていたこの時間も、梅野は崖っぷちにぶらぶらと足をかけていた。


土曜の昼に何気なく見てしまう、昔の刑事ドラマのラストシーンで追い詰められた犯人みたく。

飛び込むか飛び込むまいかという二択に心を揺らして、俺に告白してきたのかもしれない。


当然、俺にその心のすべてを推し量れるわけじゃない。


が、色々話を聞いて来たからなんとなくは分かる。

彼女は、元カレである先輩のことを引きずって心を痛めていた。その状況で、本気かどうかはともかく俺にも振られかけた。


それで彼女の心は今にも、壊れかけてしまっている。

崖から飛び降りようとしている。


「……悪い」


何と言ったらいいか分からず、俺はそう言う。

すると、梅野はここで顔を上げた。俺の顔を下からのぞき込んでくる。


「謝るくらいならさ。付き合ってよ」

「……なんでそうなる。お前、別に俺のこと好きじゃないだろ」

「好き。好きよ。好きだから。だから、お願いだから、あたしと付き合ってよ。それともなに。……あんたも、あたしのこと嫌い?」


梅野の顔はもう涙で濡れていた。それを袖でぬぐいながら、彼女が言う。


どうやら、堪えていたものが完全に決壊してしまったらしい。


こんなときはどうすればいいのだろうか。


断ってしまえばきっと、この子は壊れてしまう。なんならすでにその心は壊れかけてしまっている。断れば、決定打を与えることになりかねない。


だからといって、本気で好きでもないのに受けてもいいものかとも思う。


極限の状態に追い込まれて考えた末、俺は口を開いた。


「……分かったよ」


と。


「付き合おうか」


俺が選んだのは、今この場で彼女が壊れてしまうのを避けるほうであった。


残酷な優しさ……なのかもしれない。

でも、やらない善行よりはいい。

「決意は曲げられないから」と、今に崖から飛び込みそうな人を止めない人間にはなりたくなかったし、なれなかった。


俺の答えに、梅野は小さなステップでこちらに近づいてきて、肩にこてんと顔を預けてくる。


「……ありがとう」


彼女はぼそりとこう言ったのち、また泣きじゃくっていた。




――こうして高二の夏。

俺には人生で初めての彼女ができた。


その形こそ特殊だったけれど、いずれにしても付き合っていることは付き合っている。

だから、こうなったからには大事にしようと決めた。


だから、好きになる努力をした。たとえば少し振り回されても、できるだけ寛大な心で許してきたし、彼女としっかり向き合った。

そのうち俺は本当に彼女のことを好きになっていき――


そして、同じ大学に進学することまでを決めた。



その入学式の翌日に、あんなことが待っているとはつゆ知らず。

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