第58話 まるっと全部。




そして迎えた翌日。

俺はかなり時間ぎりぎりに家を出た。


そのわけは、昨日とは違って寝坊しかけたわけじゃない。

服を選ぶのに想定以上に時間を要したり、髪型のセットがなんとなく気に入らなかったりで、結果的にすれすれになってしまったのだ。


きちんとした格好を維持するためには、走るわけにもいかず、早足でどうにか時間通りに、待ち合わせ場所である中学校の正門前にたどり着く。


そこには、青葉ひかりがすでに待っていた。

ただし、手鏡で懸命に前髪を整えているため、俺には気づいていない。


そこで顔の前で手をひらひらと振ると、まるで走って近づいたときの鳩みたいな勢いで、青葉は跳ねあがった。


「け、け、啓人くん! 来てたんだね!」


その顔は、すでに真っ赤だ。

まるで桜の花みたいに鮮やかな白いニットを着ていたから、その対比で、より赤さが際立って見える。


しかしまぁ、敵わないなと思わされる。

俺だって、俺なりに目一杯の洒落た格好をしてきたつもりだが、高校の頃のお気に入りで、ひたすら着ていただぼっとしたパーカーも、彼女の前ではくすんで見えた。


名は実を表すというがそのとおりだ。

今日も今日とて、彼女は光り輝いている。


ライトグリーンのレーススカートも、足元のパンプスも清楚な印象を作り出していて……って、ん?


「ひかり、その格好……山登るんだよな、今から」

「…………あ」


あ、って言っちゃったよ、この子。


「さすがに、その靴で山は無理なんじゃないのか」

「……だって」


だって、と言われましても。


「だって、たくさん可愛いって思ってもらいたかったんだもん! そのほうが成功率上がりそうだし。だ、だめ!?」


青葉は頬を膨らませて、上目遣いに俺を睨むように見てくる。

そして、なによりこのセリフだ。


その破壊力は、恋愛戦闘力の低い俺に受け止められるようなものじゃない。

某スカウターがあったとしたら、今の一瞬で爆発している。


告白したことにより彼女のなかで、なにかのタガが外れたのかもしれない。


「だめじゃないけど」


と、つい言ってしまった。


「大丈夫だよ。一応、ちゃんとした道も階段もあるもん」


青葉の言うがまま、山の入口へと足を向ける。

ハイキングコースの一部だけあって、たしかに登山道は整備されていた。


冬の間に落ちたのであろう葉っぱは道に大量に積もっているが、一応、足を踏む場所は分かる。


「ほらね、大丈夫だよ」


俺ははじめてくる場所であったが、青葉にとっては知った場所であるらしい。


こっちこっち、と彼女は快調に上っていく。

なんなら俺の数段先を歩いていたのだけれど、そこでなんと足を滑らせた。


その瞬間を見ていたから、俺はすぐさま彼女の後ろへと駆け寄り、その腰を支えに入る。


「あはは~……やっぱり向いていないね、この靴」

「当たり前のことだろ」


俺はこう言ってから、少し間を開ける。


「……それと、別に焦らなくてもいいって。すぐに言うから」


言うべきか言わざるべきか少し迷ったのだけれど、感じたことをそのまま口にした。

言い切ったあとに、じわじわと恥ずかしさがこみ上げてくる。


なんだよ、今のセリフ。

イケメン以外が言うの許されなくない? しかも、なんか上から目線にも取れなくないし。


俺はすぐに否定せんとするのだが……


「う、うん。だよね! ありがと」


青葉はとくに気にしてはいないらしかった。

そこからはペースを落として、二人、ゆっくりと山を登る。


その間、会話はほとんどなかった。

俺は俺で、きたるべき瞬間に向けて緊張していたし、たぶん青葉もそれは同じだったのだろう。


そうしているうちにも、だんだん頂上が近づいてくる。

いよいよ大きく心臓が高鳴り始めていた。

俺はそれを、懐に隠した小さな箱を握りしめて抑え込む。


そして、そのときは来た。

階段を上り切ると、一気に景色が開けたのだ。



「ね、綺麗でしょ?」


同時に上りきった青葉は腰に手を当てて、ふんと得意げに息巻くのに、俺は一つ首を縦に振る。


なるほど、告白スポットになるわけだ。


広がる景色はたしかに美しい。

そもそも中学校自体が小高い丘の上にある。そのさらに、高いところまできたのだから、本当に街を一望できた。


それは目を奪うに十分な光景であった。


ランドマーク的に川沿いに建つ歌劇場も、歴史あるホテルも、ゆっくり流れる武庫川も、ここからなら見える。

それは目を奪うに十分な光景であった。


そうしてしばらく、俺たちはただただ景色を眺める。

そうしている間に、心の中にあった気持ちはより確かなものへと変わっていった。


こうしている時間を、素直に幸せだと思うのだから間違いない。

できればずっとこのままでいたい。


「なぁ」


と声をかける。

それから、あくまでさらりと、単純な言葉で口にした。


「俺も好きだ」


と。


俺は青葉の方を見る。


「……へ」


彼女はそこで、その元来から大きな目をより大きく、目一杯見開いていた。

虚をつかれた、みたいな顔をしている。


「ごめん、急な返事だったか」


と聞けば、彼女は首を横にぶんぶんと振る。


「じゃあ、なんだよ」

「……だってそんな素振りに見えなかったよ!?」

「そりゃ悪かったな。というか告白してきておいて、なんだよ、それ」

「だって。ね、それってほんとのほんと? 私に気遣ってない?」

「ないよ、まったく」


本当に、まったくない。


「……これまで俺は、ひかりを意識しないようにしてたんだよ」

「……そんなこと、なんで」

「ひかりとの関係は心地よかったし、なくしたくなかった。だから、気にしてないみたいに振る舞ってた」


それは、俺にとってある種の防御壁でもあった。

青葉にどれだけ心を揺さぶられても、今を壊したくなかった。


だから、「釣り合わない」とか「仲のいい友達だ」とか「まだ元カノと別れたばかりだし」とか色々な理由をつけて、その外堀に壁を築いてきた。


それは立派に堅牢な壁だったはずだ。

大きく固いブロック塀を積み上げ、コンクリで塗り固めた壁くらいには、きっと固かった。

並の人に崩せるものじゃなかったと思うし、実際これまではあらゆることに耐えてきた。


だが、それは昨日の青葉からの告白で簡単に瓦解した。


いろんな建前がすべてなくなって、そのうえでシンプルに考えたら、答えは当然こうなる。


俺は、青葉ひかりが好きなのだ。

その優れすぎている容姿だけでなく、その芯が強いところも、抜けているところも、隙が多いところも、部屋が汚かったり、パンツを部屋中に散らすような、めちゃくちゃなところも、まるっと全部。

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