第45話 彼女のふりをするために。
元カノとの遭遇により、波乱の幕開けとなった外出であったが、そのあとは一応、予定通りに進んだ。
駅構内に入り、黄緑色の電車に乗る。
その間、明日香からは『なんなの、さっきの』とメッセージが届いていた。
しかも、何通も送られてくる。
そして、それを見ようとしたら、青葉はあからさまに顔をしかめるのだ。
もうこうなったら、しょうがない。
俺はとりあえず明日香のラインをブロックして、その連投を凌ぐ。
そのうちに、電車は目的地である池袋についていた。
間違っても再遭遇しないようにあたりを警戒しつつ、池袋駅からすぐにところにあるパスタ屋で昼食を取った後、少し離れたところにある商業施設で映画を見終える。
二時間の上映時間後、外へと出てきた。
青葉はつま先立ちになり、腕を高く掲げると、「ん〜!」と心地よさげに漏らしながら身体を伸ばしたのち、まるでスケート選手みたく、くるりと半回転する。
「面白かったぁ! アクション系も意外と面白いんだね。これまで推理ものしか見てこなかったから、新鮮だったよ」
「推理もの、今は全然なかったもんな。来週から公開されるやつはあったみたいだけど」
「まぁね。でも、今週にしたことは全然後悔してないよ。啓人くんの趣味も知れたし」
話に困ることもなく、基本的には順調だ。
しかし、この呼び方にだけはどうしても慣れない。
彼女の口から名前が出てくるたびに、ついおどおどとしてしまう。
「わ。啓人くん、あれ見て! ペンギンのぬいぐるみ!」
……そして青葉はそれを楽しんでいるようにすら見えた。
何回も繰り返しては、にへにへと頬を緩ませるのだ。
逆に俺はといえば、そんな余裕はない。
女子を名前で呼ぶなんて、これまでは明日香以外にしてこなかったし、どうしても照れが勝る。
ひかり、とただ呼ぶだけ。簡単なことのはずだ。やってできないことではない。
俺は自分にそう言い聞かせて、名前を呼ぶ機会を窺う。
と、そんなことをしているうちに、いつの間にかフードコートのすぐ横、混雑ゾーンにきていた。
多くの人が、俺と青葉の間をも遠慮なく通り抜けていく。
そのせい、あれよのうちに、どんどんと距離が開いていった。
青葉は人波のなか、俺と離れてしまったことに気づいたようで、きょろきょろ首を振り、辺りを見回す。
このままでははぐれかねない。
「ひかり!」
そうなってやっと、名前を口にすることができた。
青葉が俺の方を振り返り、高く手を挙げる。
それを目印にして、人混みが去ったのち、無事に合流を果たした。
再び横並びになって歩き出す。
「いきなり、すごい人の量だね」
「団体客なのかもしれないな」
「だとしても、びっくり。あんなに大きな声で名前呼ばれたのもびっくりしたけど」
「……悪い、声量間違えた」
「ううん、むしろ嬉しかったよ。さっきの『ひかり』は満点! 私の求めてる『ひかり』だった」
青葉は、ふふんと嬉しそうに鼻を鳴らす。
うっかり、どうしようもないくらい可愛く思えて、どきりとしてしまった俺は頭を掻いた。
このペースに乗せられていたら、身が持たない。
「馬鹿なこと言ってないで、いいから行くぞ」
俺は彼女に合わせていたペースを少し早めて、一歩先を歩こうとする。
が、そこでストップがかかった。
見れば、青葉が俺のシャツの左袖を引いている。
「うん。じゃあ、服でも見に行こっか。予約してるプラネタリウムまではまだ時間あるしね。楽しみだなぁ、『やりたいことリスト』にも書いてるしクリアできるね」
どうやら説明するつもりはないようだった。
平然と、何事もなかったかのように振る舞う。
俺は左手を持ち上げ、彼女の方をチラリと見やった。
「……なんだよ、これは」
「またはぐれたら嫌でしょ」
まぁそれはそうか。
たしかに、まだまだ混雑は続いている。
俺は一応納得して、それを受け入れようとするのだが、袖を軽くつままれる感覚は結構こそばゆい。
どうしても身体がこわばる。
「いっそのこと、手繋ぐ? ほ、ほら、その方が袖伸びないよ」
「いや、えっと、それは……」
「えい!」
そんなところをがっちり、手を掴まれた。
ひんやりとした感触が手の甲を覆って、指の毛がそばだつ感覚になる。
「繋いじゃったら悩まないで済むよ」
ほっそりとした手首、節のはっきりとした指、その爪の先まで意識してしまったら、さらに肩がいかりあがる。
しかもこれが、その滑らかな肌は心地よさまで感じてしまうのだ。
「特別な意味はないよ? それにもしかしたらまた、元カノさんに遭遇するかもよ? だから、これは予防線! こうしてたら、もしまた出会っちゃっても本物って思ってもらえそうだし」
「……そうだけどさ」
「いいから、いいから。ただ手を繋いでるだけだよ」
青葉は、まるで慣れているかの如く言う。彼女ほどの美少女だ。もしかしたら、これくらい経験があるんじゃ……と思ったのはほんの束の間だ。
「なんか震えてないか、手」
「……あは、ばれた?」
青葉は青葉で、大概限界なのかもしれない。
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