第38話 ほかほかタイツを脱がせる羽目になる。





授業終わり、学校を出た俺が向かったのは青葉ひかりの家――ではなかった。


学校から数駅先にある、大都会・池袋の商業施設だ。


わざわざここに来た理由は一つ、今里さんに言われた『青葉が喜ぶようなもの』を探しにきたのだ。


「……そう言われてもなぁ」


俺は案内板を前に、少し考え込む。


青葉のことがまるで分からない……というわけじゃない。

まだまともに関わり出してからは一ヶ月に満たないが、なんとなく理解している部分もある。


だが、だからこそ選べない。


新しい皿でも服でも食事でも、たとえば悪ふざけで子供のおもちゃを買っていったとしても。

青葉ひかりを思い浮かべれば、彼女はなんでも笑顔で受け取る気がする。


案内板を見にきたカップルに嫌な顔をされつつも、俺はうんうんと唸る。

そして案内板の一番上にでかでかと記されていたその表示にピンときた。


うん、これしかない。


俺はさっそくそこへ向かい、目当てのものを買う。

そのあとに青葉の家へと足を向けた(もちろん電車と徒歩で)。


六時ごろにようやく到着する。


道中で、家に行くことは連絡を入れていた。チャイムを鳴らすと、彼女が出迎えてくれる。

その顔色は昼に見た時より、幾分良くなったような気もしなくない。


「二回も来るなんて驚いたよー」


と言う声も、まだかすれ気味ではあれど、少しは明るいトーンになっていた。

俺は本日二度目、彼女の部屋へとあげてもらう。


いくら汚い部屋の住人だからと言って、この短時間でぐちゃぐちゃにするなんてことはさすがになかったらしい。

それなりに整った部屋の中、俺はベッドの脇にあった椅子に座り、青葉はベッドに腰掛ける。


「俺のことは気にしなくていいから、寝ておけよ」

「あは。寝てばっかりも疲れるから、これくらいはいいでしょ、それにお願いしたいこともあってね」

「なんだ? 晩御飯とかか? 作っていこうか?」

「ううん、そうじゃなくて……」


青葉はここで、肩をすぼめて視線を逸らす。

なんだから言いづらそうに、もじもじと身体を揺すりはじめた。

ベッドが軋む音が部屋に響く。


「……その、これを脱がせてほしいかもって」


そんななか繰り出されたのは、よもやすぎるお願いであった。


俺はただただ瞬きをくりかえすこと、しばし。

やっと少し頭が整理できてきた。恥ずかしそうにこちらを上目に見てくる青葉に尋ねる。


「自分で脱げないってこと?」

「うん。朝は大学に行こうとしてたから、下にタイツ履いてるんだけど、それがだんだん蒸れてきて、かなり気持ち悪いんだ。でも力が入らないから、どうしても取れなくて……」

「……それ、なんでさっき今里さんがいたときに言わないんだよ」

「だって。さっきはまだ大丈夫だったんだもん」


青葉が頬を朱に染めてそう言うのに対して、俺は頭を抱える。

普通こんなことはない。神様的な存在が悪ふざけで仕組んだとしか思えない展開だ。


俺は頭をかきながら、ちらりと青葉の足先を見る。

長ズボンを履いていたから分からなかったが、たしかにその内側には黒のタイツが覗いていた。

ほっそりした足首と、つま先から透ける足指に、心臓は大きな鼓動を打った。


「お願いしていいかな。えっと、見ない方向性で……」


本音を言えば、断りたかった。

が、熱を出している青葉がこう言っているのだ。


「俺の精神衛生上、厳しい」なんて理由で断るのは、さすがに気が引けた。


「…………分かった。どうにかする」


ここはもう腹をくくって、やるっきゃない。


俺は部屋の中を見わたし、かごに積んであったタオルを一枚拝借する。

そしてそれを、目元を隠すように頭へと巻き付けた。


その状態で目を開いてみると、うん、何も見えない。

うっすらと光が入ってくるくらいだ。


これなら、うっかり目を開けてしまっても大丈夫なはずだ。

俺はそう確信してから、俺は青葉に言う。


「青葉。俺の手を誘導して、タイツを持たせてくれないか」

「……うん! ちょ、ちょっと待ってね。ズボンはとりあえず脱げるから」



衣擦れの音が聞こえてくる。

それをどうにか意識しないようにしていたら、


「準備できたよ。……じゃ、じゃあよろしくね」


か細い声がすぐ近くから聞こえた。

つまりタオル一枚向こうには、タイツ姿の青葉ひかりがいるわけだ。


下着が透けていたりして……なんて。


健全な男子たる俺の頭は、もわんもわんとその姿を勝手に想像しかけてしまう。

だから、膝上に置いていた拳を握り込み、手のひらに爪を立てることで、それを押し殺した。


そうこうしていると、指先が熱く火照った手により掬われる。


そうして連れて行かれたところで、指先が触れたのは、たぶんタイツだ。


なんとなく湿っぽいから、汗が滲みているのかもしれない。


「ごめん、この端のところつまんでもらってもいいかな。ただ指で挟むだけで掴めると思うから」

「あ、あぁ」


俺はそう言われて、慎重に指先を動かす。

すると、むにという感触があったのち、「ひやっ……!」と青葉が声を上げた。


たぶんお腹の下、腰付近に指が触れてしまったのだろう。


「わ、悪い! 違ったか?」


本当にわざとじゃない。

俺は瞬時に手を引っ込めようとするが、その手首を青葉が掴む。


「だ、大丈夫! ちょっとこそばゆかっただけだから、ほら。ここ、持ってみて」


ここまできたら、もう言われるがままだ。

俺はまた指先だけを恐る恐る動かす。すると今度は、タイツの上部を掴むことができた。


あとは、これをつま先まで下ろしていけばいい。ここまでこれば、もう大丈夫のはずだ。

俺はここで一つ唾を飲んで、一気に下へ引っ張ろうとするのだが、


「あっ、ちょっと。ごめん、ゆっくりでお願い。破れやすいんだよ」


青葉からこう言われて、またペースを落とした。

そこからは、じわじわ巻き取るように脱がせていく。


「んっ、ふっ……」


見えていないから、ときどきどうしても、その腿らしき箇所に指先が当たった。

青葉はその度に小さく息を止めては吐く。


それがまたなんとも煩悩を加速させた。今に沸騰してしまいそうなくらい、頭に血がのぼってくる。理性が音を経てて壊れていきそうになる。


それでも、この戦いだけには負けられない。

俺は「無心、無心」と心の中で唱えて、ただタイツを巻き取ることだけに専念した。


そうしてしばらく、指先にかかっていた重さが一気に軽くなる。

視界はなくとも、どうなったかは分かった。


どうやら俺はついに、タイツを脱がせることができたのだ。

最高難度といえるミッション、クリアの瞬間である。


俺は一度大きく息を吸って、それを吐き出した。

肩の力が自然に抜けていく。なにか大きな物事を成し遂げたかのような達成感すら湧きあがっていた。


「ほんとありがとうね! 助かった~、でも、まだもうちょっと目隠ししててね」

「あぁ、全然急がなくていいからな」


俺は余裕を取り戻して、いつもの調子で返事をする。

もうここまできたら、あとはウイニングランだ。それくらいの気持ちでいたから、完全に油断していた。


なんとそこで目を隠すように巻いていたタオルが、唐突にふっと緩んだのだ。


俺はすぐに危機を察知して、ほどけていこうとするタオルの端を掴みとる。

が、しかし。


ほんの一瞬、サブリミナル効果くらい一瞬、それは見えてしまった。

ちょうど、パジャマを履こうとしている青葉のあられもない姿が。


俺はタオルをいっそうきつく縛る。

頭が痛くなるくらいにきつく、きつくだ。


そうでもしないと、あの一瞬の光景を忘れられそうにない。

そして、そんなことをしていると……


「終わったよ、野上くん……。って、なにやってるの!?」


青葉をかなり驚かせることとなってしまった。



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