第37話 帰りのタクシーで二人。




そうしてお見舞いを終えたあと、俺たちは青葉の家を後にした。


タクシーに乗って(というより乗せてもらい)、学校へと戻る。


行きに乗ったから本日二度目だ。

だが、どうしても慣れず、なんとなくそわそわする。


そんな庶民的な感覚が、ご令嬢に分かるわけもなく。


「どうしたのですか」


と、隣の席に座る今里さんには首を傾げられた。


「女子の部屋に入ったせいで、動悸が止まらなくなりましたか」

「いや、それは断じて違う」


曲解されないよう、きっぱりと否定する。

すると、彼女は肩を落として眉をさげる。


「そうですか、残念です」

「……なんでだよ」

「男子とはそういう生き物であって欲しかったからです」


本当に訳がわからない人だ。

彼女の中では成立しているのだろうが、俺にはその論立てを理解することはできない。


そして、こんな会話を振られても、どう返せばいいかも分からない。


つい黙り込んで、外へと目をやる。

しばらくののち、肘のあたりをとんとんと軽く叩かれたので俺は今里さんの方を振り向く。


すると彼女は、反対の窓から外を見つつ、財布の中から一枚の紙を取り出して俺の方へ向ける。


まるで賄賂でも渡す際の仕草だ。

もしかしてお金なんじゃ……と思ったら、渡されたのはタクシーチケット二枚であった。


「なんだよ、これ」

「あとでまた様子を見に行ってあげてくれませんか」

「もう一回、青葉の家に?」

「はい、薬が効いたかどうか確認する必要がありますでしょう」

「……えっと」


俺は戸惑いつつ、タクシーチケットをただ眺める。


「私は習い事がございますので、行けませんから。あなたも用事があるのなら仕方がありませんが」


用事はとくにない。

が、もう一度行こうとは考えてもみなかった。

メッセージで体調を確認するくらいにとどめるつもりであった。


「優しいんだな、今里さんは」


俺は未だ外を見ている彼女の方を振り向き、言う。

それも過剰なくらいだ。なにか理由があるのだろうかと、なんとなく勘繰っていたら……


「……普段頑張りすぎなのですよ、私たち人間は」

「え、なに。そんな大きな話だったのかよ、これ」


その理由は、ホモサピエンスという種族規模のものであった。


「あなたもですよ、野上さん」

「……俺も? いや、たしかに俺もホモサピだけど」

「はい、ホモサピです。ですから、あなたも楽に移動できるように、お渡しいたしました」


理解できたような、できないような。

正直曖昧な状態だったが、ともかくだ。


これが彼女なりの気遣いであることはまず間違いない。

が、しかし。これを受け取ることはもはや、お金をもらうようなものだ。


俺が可愛い女の子なら甘えた声で「いいんですかぁ?」と言っているところだが、むしろ今里さんの方が可愛い女の子である。


さすがにこれは受け取れない、男のプライド的に。


「いいよ、行くなら電車で行くから」

「……そうですか。変わっていますね」

「そうでもないって。それに、青葉の家と俺の家、そんなに離れてないから」

「なるほど。であれば、これはしまいましょう」


今里さんはすんなり引き下がって、チケットを財布にしまい直す。

が、今度は代わりに金券カードが出てきた。


ますます、ほとんどお金だ。しかもその額面は、五桁である。


「それもいらないからな、ちなみに」

「これで、なにか彼女が喜ぶようなものをあなたから贈るのがいいと思ったのですが。そうすれば、熱を治す気力も高まるというものです」

「……なんで俺から? 今里さんからでもいいんじゃ?」

「あなたからの方が嬉しいに決まっていますよ」


なにを根拠に言うのだろう。

俺はそう考えはじめて少し、はっとした。


「とにかく、これは貰えない。俺が渡すなら渡すで、自分で買うから」

「……そうですか、ではこれも引っ込めましょう」


彼女はそう言うと、今度こそ財布をカバンにしまう。

もしかして現生を渡される展開が待っていないかと警戒していたが、実際に訪れたのは、沈黙だ。


運転手は一言も喋らない。

タクシーの出している左折ウインカーの音だけがチカチカと車内に響く。


「……あー、さっき言ってた習い事って? ピアノとか?」


俺は当たり障りのなさそうな質問を繰り出して場を繋ぐ。


「これですよ」


それに対して出されたのは、まさかのジェスチャークイズだ。

彼女は右手の人差し指と親指をくっつけて、前へと出すのを繰り返す。


その仕草から浮かんでくるものは、一つしかなかった。


「……ダーツ?」


普通は習うようなものではないが、お嬢様ならありうるのかもしれない。

なんとなく高尚なイメージあるし、と俺は納得していたのだけれど、


「いいえ、今日は華道です」


予想の上をいかれた。

いつか食堂で見たときみたく、角砂糖の袋を剥きながら彼女は言う。


さっきのジェスチャーはつまり、花を刺し入れる時の動作だったわけだ。

たしかに、そのほうが幾分もお嬢様らしい。


「あなたもいつか、やられてみては? 面白いものですよ」

「……俺に分かるようなものかよ」

「えぇ、誰でも気軽に始められます。一回の講義に五千円ほどかかりますが」

「全然気軽じゃないな、それ。むしろかなり重い、生活費の四分の一は持っていかれるし」

「茶道は一万円かけています」


習い事の話がよかったらしい。

その後、会話は途切れることなく続き、タクシーはそのうちに大学前に到着していた。


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