第5話 どん底にも光は。


「よかったら聞かせて? もちろん、強制はしないよ」


青葉の言葉に、俺はセットなんてしていない、ぼさぼさの髪を掻きむしる。


それから、一連の出来事を話すことにした。

黙っていることもできたはずなのだけれど、気づけば話し出していたのだ。


明日香に乞われて受験する大学を変えたこと。高校の頃の話。それから、迷った末に一緒に地元・兵庫の宝塚から出てきたこと。

その全部を、だ。


「わ、悪い……。なんか語っちまった。どうでもいいよな、こんなこと」

「私が語らせたんだから、どうでもよくなんかないよ。確かに最悪だ。そりゃあ落ち込むよね……激動じゃん、本当の意味で」


俺は一つ首を縦に振る。

再び暗い気持ちになりかかったのだけれど、顔を俯けたところで、でこを拳で軽く小突かれた。


そのまま押されて、ぐいと無理に上げさせられる。


「まぁでも、逆にいえば、その子の言う通りな部分もあるかもよ」

「……どういうこと?」

「その子はたしかにひどいけど、大学生活が終わってから切り出されるよりよっぽどマシだってこと。これからなんだよ、大学生は。

 それに、野上くんならきっと、その子よりもいい人と巡り合える!」

「……いきなりなんだよ。そんな保証どこにも」

「じゃ、今ここで私が保証する。間違いない。君なら大丈夫だよ。こうやって、わざわざお節介焼いて私を助けてくれた君なら、大丈夫!」


にかっと白い歯を覗かせて、青葉ははっきりと言い切る。


その言葉にたぶん、根拠などはない。

ただ励まそうとして、言ってくれているに違いない。


だというのに、だ。

青葉ひかりの言葉は、なぜか信じてしまいたくなる。

その言葉は、その笑顔は、まるで太陽の光だ。


まっすぐすぎるくらい一直線なそれは、海溝の底に沈んでいたはずの俺の元まで届いてしまうのだ。


「……だといいな」


俺はそう答えて、顔を逸らす。

いくら明日香との付き合いで女性に少し慣れたとはいえ、綺麗すぎる青葉の顔をすぐ近くで見ていたら、心臓が持たない。


「うん、少しはましな顔色になったね。青白かったもん、さっきまで」

「……人に言えたことかよ、それ。逆に青葉さんは、まだかなり顔赤いぞ」

「うわ、そうなの? マシになってきたはずなんだけどなぁ。話してたら、頭もだいぶ冴えてきたし」


そう言ったのち彼女は、手で勢いをつけて、ベンチを立ち上がった。

橙のスカートがひらり暗闇の中に揺れる。


思いがけない行動と、その舞う蝶みたいな輝かしさに目を奪われていたのは、ほんの一間だ。


「ほら、一回転だってできちゃうよ〜……って、わ、うわっ!!」

「馬鹿、なにやってんだ!」


青葉が後ろへ倒れこんでいきかけるから、慌ててその背を支えに入る。

漫画のヒーローみたいに格好良く、とはいかない。ひざをつきながら、どうにか受け止めるのがやっとであった。


砂利が膝小僧にめり込んで痛い。


「あは~、ヒールだったんだよね、そういえば」

「勘弁してくれよ、まったく。もう少し休んでいくぞ」

「はーい。じゃあお言葉に甘える。……ちなみに、そのあとはお見送りあり? ありだよね? 一人で帰れる気がしないんだけど」


「上目遣いでいうなよ。というか、俺のこと信用しすぎじゃね? 久しぶりに会った同級生に家なんか教えちゃだろ、普通に」

「言われてみれば、それもそっか……。ってか、家知って、なにかするつもりだった!?」

「いや、そうじゃなくてだな」


星の少ない都会の空の下、騒がしい夜が過ぎていく。



いい夜だとは、決して言えない。


そりゃあ、これまで大事にしてきた彼女に裏切られたその日なのだから当然だ。

しかも、青葉を助けるため変ないざこざにも巻き込まれて、もう疲労困憊である。こんな一日は二度と体験したくない。


……けれど、決して最悪ではない。


どん底にも光は届く。それを知ることができた夜であったから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る