第4話 一応、覚えられていたらしい。



できるだけ連中から離れるため、俺は青葉を背負いつつ、広い園内をひたすらに歩いた。


青葉の体重は、たぶんかなり軽い。


45キロもないだろうが、とはいえだ。普段運動をしていない身には結構ずっしりくる。



そして、なによりは彼女の存在自体が問題だ。

その熱い吐息も、体温も、柔らかな感触も全部が俺の身体を硬直させる。


それでもどうにか歩を止めず、安全な場所を求め、結果として辿り着いたのは、噴水広場だった。


ここがどこにあたるのかは、田舎者の俺には全く分からないが、ベンチがいくつか置いてあり、しかも花見客もおらず静かときている。


俺はそこに青葉を寝かせ、その横に座る。


とりあえず、ひと段落だ。

あとは回復を待てばいい。


俺がほっと一息ついていると、ややあってから彼女が苦し紛れになにやら言う。


「ねぇあなたって……」


まぁ、うん。そう思ってたよ。


俺みたく、クラスの端っこにいただけの人間は、彼女の輝かしい人生にとってはきっと枝葉のようなもの。


覚えているわけもない。



だが、別にそれでよかった。


今回助けたのだって別に、なにか見返りを求めてのことじゃない。

見捨ててしまっては、俺自身の気分が悪かなるからだ。


そう、俺は自分に言い聞かせる。

そして、気づいた。


……あれ、これって青葉からすれば、どっちにしろ知らない人間に連れ去られたことにならね?


「あ、いや、えっと、俺は怪しいものじゃなくて、だな。訳あって、青葉さんを助けに来たというか、えっと別にストーカーしてた訳じゃなくて、今も誘拐なんかじゃーー」


我ながら、酷すぎる。


釈明になるどころか、より変態感ましてね? 超怪しくね? 挙動不審になってるあたりとか、とくに。


状況が悪化している方に気づき、俺は一人、慌てふためくのだが、彼女はなにが面白かったのか突然に吹き出す。


ベンチの上で腹を抱えて、笑い声を上げた。


「な、なんだよ急に」

「いやぁ、ごめんごめん。おかしくなっちゃって。大丈夫、覚えてるよ。野上くん。野上啓人くん。あってるでしょ」


「……覚えてたのかよ、俺みたいなクラスの端にいただけの奴のこと」

「そんなことないでしょ。中三の時は、割とずっと真ん中の席だったじゃん」


そんなことまで覚えていようとは、思いもしなかった。

そうたしかに、物理的には俺はクラスの真ん中にいた。それでも存在感は、限りなくなかったはずだが。


「で、どうしてその野上くんがここに? 落ち着いて聞かせて?」

「酔っ払いに落ち着けって言われたくないけど、そうするよ」

「あは、あはは〜。鋭いこと言ってくれるね」


断続的に笑い漏らす彼女に対して、俺は一度息を落ち着ける。


今の俺は中学時代の俺とは違う。

高校では少し頑張って、友達も増えたし、一応女子との会話もできるようになった。


落ち着けば、大丈夫のはずだ。


「たまたま大学構内で青葉さんを見かけたんだ。そのときに怪しいサークルについて行ってたのを後から思い出して、それで」


明日香のことは伏せて、話をする。


彼女にこっぴどく振られたことなんて、久しぶりに会った同級生、それも大して仲のよくなかった女子に話すことじゃない。


「……そっか、たまたま。でも、そのたまたまから行動を起こしてくれたから、私は助かったんだね。ありがとう」

「気にするなよ、俺の勝手だから。それで青葉さんは、なんであんなサークルに?」


「声をかけられて、どうしても断れないくらい囲い込まれたから着いていった。ろくに調べてなかったんだ。バカだよね、私」

「お人好しすぎるんだろ。世の中、悪い人間もいるんだ」


とくに、これからは間違いなくそういう相手も増えていく。


そんな奴らはたぶん、そこら中に巣食っていて、俺たちを狙っている。

そして一人暮らしを始めたら、もう誰かが守ってくれることもない。


華の大学生活とは言うけれど、決して楽しいことだけではないのだ。



……まぁ俺の場合はそれ以前に、どん底の大学生活が確定しているのだけれど。


再び明日香のことを思い出して、俺が勝手に気落ちしていると、


「ねぇ、野上くん。彼女に振られたーとかそう言う話は? なんか、あのクズの先輩と戦ってるときに言ってたよね」


よもやの追撃に襲われる。


そういえば、青葉を連れ去ろうとしていた大男の股間を蹴り飛ばした時に、つい口にしていたのだったっけ。


「聞いてたのか……?」

「へへ、まーね。意識朦朧としながら、だけどそういう話は頭に残るの。女子って恋愛トーク好きだからさ。で、そこはカットってこと?」

「カットだ、カット。別に、大したことじゃない。文字通りそのまま、振られただけの話だよ」


改めて口にすると、情けなさやらやり切れなさやらが込み上げてきた。

俺は膝に肘をつき、前屈みになる。


そのタイミングで青葉は、身体は起こしてきた。

頭に手をやり、目をぎゅっと瞑り「いてて……」と苦笑いしている。


「おい、まだ寝てた方がいいんじゃないの。アルコールが回ってるんだろ、よく知らないけど」

「大丈夫、大丈夫。それにだんだん頭を上げるのにも慣れていかなきゃ、ここで夜を明かす羽目になるしね。

 それより、野上くんこそ大丈夫なの?」

「……俺? 空腹なのと、ちょっと走ったから筋肉痛なくらいだけど」


あとは、青葉を抱えたことで腕も痛いが、これは言うべきことじゃない。

別に、明日までは引きずらない程度だ。


俺が手で足を揉み込んでいたら、青葉は突然思わぬ行動に出た。


こちらへ、ぐっと身を近づけて、顔を下から覗き込んできたのだ。


「な、なんだよ。まだ酔ってるのか」

「違うよ。そうじゃなくて、そんなふうには見えないから」

「どういうふう……?」

「野上くん、悲しい人の顔してる。少しじゃなくて、かなり悲しい人の顔。全然平気じゃないでしょ」


突然の出来事に、突然投げかけられた言葉だった。

俺は目を見開き、青葉と視線を合わせる。


その丸い目は、あまりにもまっすぐで透き通っていて、力があった。

 

「ただフラれたって、嘘でしょ? 分かるよ、見てたらそれくらい」


どうやら俺ごときの隠し事なんて、その瞳は簡単に見透かしてしまえるらしい。

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