心が羽化するとき、

ツーチ

サナギの皆さんへ……

 サナギ



 それは昆虫の一部が成虫になる過程の一種である。サナギになる前、それは幼虫だった。うねうねと小さくちまちまと動く幼虫。ゆっくりゆっくり、それでいてもりもりと食べ物を食べる姿は実に無邪気だ。彼らは狭い世界で暮らしていた。食うものには困らない。なぜなら基本的に身の回りに食うものがあるからだ。

        


 そんな幼虫はある日突然動かなくなる。



 サナギになるためだ。



 なぜだろう? 


   

 そのまま幼虫でいてはどうだろうか。



 可愛い、純粋な、もそもそと動く存在のままでいてくれたら……



 苦しい思いはしなくてすむのに……



 どうしてサナギになって動かなくなるのだろうか。



 サナギというのは大きなリスクの塊だ。サナギの間、動けない、何も言えない、食べられない。羽化は命がけだし、外敵に見つかったら一巻の終わりである。



 まるで思春期の人間の子どものようだ。



 あれほど楽しかったと思えていたことがつまらなくなる。それまで存在していた自由は姿を消し、サナギのように制服を着こみ、校則によって動きが制限される。そんな突然の変化に対し、サナギは動けないながらも必死に楽しさを求めているのだろう。



 そんな小さく、もろいサナギ達に対して社会は寛容ではなく容赦ようしゃがない。




 「最近の若者は__」だの。「今の若い子たちは幼稚だ__」などと口撃をするのだ。今のデジタルネイティブなサナギたちにはそうした口撃は容易に届く。相手はサナギだ。そんな乱暴に扱ってはいけない。羽化できなくなってしまう。デジタル時代であるこの現代、外敵は格段に増加した。故に息苦しい。しんどい。ヤバい。つまらないのだ。



 この先、楽しいことはあるのだろうか。ないんじゃないかな。だったら__



 なんて思ってしまうこともあるのは至極当然なのだ。身動きの取れないサナギがタコ殴りになっているようなもんだ。そんなタフな環境でサナギはよく耐えている。頑張っている。優秀なサナギだ。自らを誇ってよい。



 どうかそうしてしばらくサナギの状態で自らを誇っていてくれ。



 決してサナギの中でどろどろに溶けたりしないように。



 世界は待っているのだから。楽しみに。



 __何を待っているのかって? 



 そんなことは決まっている。



 サナギの羽化をだ。



 きれいなきれいな蝶々がたくさん羽化してくるのを楽しみにしているのだ。

 無論、世の中はそんなに甘くはない。蝶々になれると期待してサナギから羽化した身体は蛾かもしれない。トンボかも知れないし、カブトムシ、クワガタ……。あ、ひょっとしたらテントウムシやセミ……。…………少し、しつこかった。



 しかし、何だっていい。蝶々でなくても。これらの昆虫には共通点がある。羽だ。彼らには世界を自由に飛び回る羽があるのだ。苦労して頑張ってサナギから出てきた新しい身体。その背中にある自由を手にするための羽により、幼虫だった頃に比べ皆さんは格段の自由を手にする。


 

 羽のある生活は……案外楽しい。



 好きなことができる。



 サナギから飛び出した身体はだいぶと自由なのだ。



 しかし、そんな自由な世界にも厄介者がいるのだ。汚い蜘蛛くもだ。それはそれは黒く、ひどく汚れた薄汚い蜘蛛だ。自由な世界にはそんな薄汚い蜘蛛がいっぱいだ。



 …………はてはて?



 このひどくドス黒い汚い汚い蜘蛛たち……



 一体全体どこからやってきたのだろうか?



 実はこの蜘蛛たちの正体は、かつて皆さん同様にサナギから頑張って羽化をして飛びだった昆虫たちだ。

 そんな蜘蛛たちには今や羽はない。自由という羽を失った途端とたん狡猾こうかつな蜘蛛になり果てたのだ。




 蜘蛛は昆虫ではない。



 彼らは昆虫であることをやめたのだ。




 昆虫であることをやめ、狡猾な巣を張り巡らせ、かつての自分と同じだった昆虫を捕食することを選択したのだ。



 なぜだろう? 



 せっかく羽があったのに。



 あんなにわくわくして楽しかった世界を捨てたのだろう。



 答えは簡単だ。羽は、もう__不要になったからだ。




 安定した居場所を見つけたからだ。蜘蛛の巣の中心という安定した居場所を。彼らは決して侵されることのない聖域に身を潜め、狡猾に皆さんを狙っている。



 今、世界には無数の蜘蛛の巣がある。その巣に捕まることなく世界を自由に飛ぶことは容易ではない。用心して飛ぶことが肝要かんようなのだ。ひょっとしたら蜘蛛になった方がいいのかもしれない。



 が、蜘蛛は不憫である。だって羽がないから。どれだけ食うに困らない安定した聖域があったとしても所詮は羽のない存在なのだ。

 あれほど楽しい、わくわくする高揚感を与えてくれる羽を自ら放棄した哀れな存在だ。



 サナギから羽化したその身体で自由な世界はこれから始まる。



 その時の楽しさ、嬉しさ、感動、わくわく……。



 そんな気持ちをずっと持ち続けていれるのなら、背中の羽は決して堕ちることはない。自由な世界をずっと……どこまでだって高く長く。きれいな空へと飛んでいくことができるはずだ。



 どうか空のきれいさを見続けていられる昆虫であってほしい。


   

 薄汚い蜘蛛たちにはもう……きれいな空を知る術などないのだから。

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