偏った重りを支える天秤

ねじまき

偏った重りを支える天秤

 僕に友達がひとりしかいないのは、僕が歪んでいるからかもしれない。別に人を傷つけたり、暴力をふるったりするわけではないのだけれど、みんなと合わせるのが苦手で、ちょっとずれているのだと思う。でも自分では僕が正しいと思っているし、そんな自分が好きでもある。

 そんな歪んでいる僕を受け入れてくれている唯一の友達は、サキという名の女の子だ。サキは誰にでも好かれるような、明るく外向的な性格で、いつもにこにこしていた。僕から見ればなにがそんなにおかしいのだろうと思うのだが、それも僕が歪んでいるからそう思うのだろう。小柄で、黒い髪を後ろに結んでいた。物理的には不可能だけれど、腕の中に納まりそうな感じの小ささだった。誰にでも好かれそうなサキだが、いつも親しくしているような人はあまりいないらしい。以前そう教えてくれた。

「私に友達と呼べるほど親しい人はあなたともう一人しかいないのよ。そのことは知ってた?」

「ふうん、知らなかったな」僕は言った。

 なんでわざわざそんなことを教えてくれたのかはよく分からない。隠し事をするのが苦手なタイプなのかもしれないが、僕から言わせてもらえば自分のほかに友達がいることなんて全然隠し事じゃない。彼女しか友達がいない僕からしたら素晴らしいことだと思う。でも彼女も友達がそんなに多くいないのは、少し意外ではあった。


 サキはなぜ僕を友達に選んでくれたのだろう?その気になれば、どんな人とでも仲良くなれるような顔と性格なのに、なぜちょっとだけずれている僕を選んでくれたのだろうか?彼女は僕らが中学校に上がって最初の日の休み時間、僕が席についているときに、肩をポンポンと叩き、「やあ」と声をかけてくれたんだ。そんな挨拶の仕方ってそうそうない。彼女は僕を友達に選ぶことにして、わざわざ肩を叩いて声をかけてくれたんだ。僕は自分の席の椅子に座っていて、彼女は僕の前に立ち手を後ろに組みながら話していた。あいにくだけど、僕にはレディーファーストというものがないから、彼女を椅子に座らせることはなかった。彼女だって、座りたければ自分の席から椅子を持ってきたらいいのだ。

 サキとの初めての会話では、どんなことを話したか?まずはこれから友達になるからということでお互いについて語ったと思う。

「あなたの趣味は何?」と一番最初に彼女が言った。

「僕の趣味?う~ん、趣味って難しいな。僕は何かにずっとハマっているってことがないんだ。でも強いて言うならば魔法降ろしの鳥の観察かな。魔法降ろしの鳥って一瞬しか見えないから、見逃すと二度と見ることができないんだ。でも問題は、その鳥がいつどこに現れるか分からないことだ。だから僕はいつも入学式や大事な約束の前に、必ず魔法降ろしの鳥を探しに行くんだ。そうすれば、どんなに大変なことが待っていようと、その瞬間だけは何もかも忘れられるからさ」と僕は言った。

「それは何かの比喩なのかしら?」サキはよく分からないという風に首を傾げて言った。

「何の意味もないよ。ただなんか、緊張しているみたいだ。僕は人と話すのが苦手だからね。いつも場違いなことを言ってしまう。君の趣味は何だろう?」

「私はね、天秤が好きなの。天秤ってわかる?両方を支えるつなぎに心を惹かれるのよね。どちらか片方が偏っていても、真ん中のつなぎのおかげで倒れはしない」

「マニアックだね」と僕は言った。

 このように、僕たちの友情は魔法降ろしの鳥と天秤の真ん中のつなぎについての話から始まった。いささか奇妙な友情の始まり方だと思う。僕らを天秤に並べたら、どっちも偏っていて逆に安定するかもしれない。ひょっとしたらサキが、僕の話に合わせてこんな話をしたのかもしれない。しかしどんな始まり方にせよ、僕たちは仲良くやっていた。


 「喧嘩するほど仲がいい」という言葉が、僕はあまり好きではない。できれば喧嘩なんてしたくない。でもお互いの気持ちを分かち合って、仲良くやっていると、いつかは必ずズレというものがやってくる。それは仕方ないことなのだと思う。そんなこんなで僕とサキは喧嘩をした。

 喧嘩の理由は、僕が直接的に彼女を攻撃したり、傷つけたりしたわけじゃない。僕はある時、クラスメイトと喧嘩が起きて、僕はクラスメイトの相手を殴ってしまったんだ。喧嘩は、相手が授業中に喋っていて、それを僕がかなり厳しい口調で注意したことがから始まる。

「うるさいよ、お前。そんなつまらないことくちゃくちゃ喋って授業が聞こえないんだよ。僕だって授業はあまり好きじゃないけどさ、人の話は最後までちゃんと聞くし、それなりにまじめに取り組もうと努めているんだよ。こっちは迷惑しているんだよ」と僕は言った。

 先生は、僕が授業なんて好きじゃないけどと言ったことで僕に対してちょっとだけ嫌気がさしたような眼差しを送ったが、言っていることには同情してくれたらしく、クラスメイトの相手を注意した。僕にも口調がきついかったと少し注意された。

 休み時間になると、僕はさっきの授業の出来事なんか何も覚えていませんといった具合に窓の外を眺めていた。しかしそのクラスメイトはそれが気に入らなかったのか、僕にこう言った。

「うるさいのはお前だよ」

 僕は、怒るのは疲れるから嫌いだった。けれど僕は彼を殴ってしまった。

 サキはそのことで深くショックを受けたらしい。彼女と僕は一緒に下校したが、一言も話してくれなかった。いつもなら向こうから何か語り掛けてくるのだが、今日は一言も話さなかったので、僕は「どうかしたの?」と聞いた。しかしそれで彼女のなにかがプツりと切れ、彼女との喧嘩が始まった。

「私はね、あなたに人を殴ってほしくなかったのよ。あなたはあの子に挑発されたとき、無視するべきだったのよ。あなたはそこまで正しいことを言っていたのだから。でもあなたが彼を殴ったことによってあなたも正しくなくなってしまった。私はそれにショックを受けているのよ」

「悪かった。でも僕だって相当苛立っていたんだ」

「苛立っているから人を殴るのは弱虫がやることよ」

「おい、そんな言い方ってないだろう」

 僕らはそれから黙って歩いた。別れの際も、「じゃあまた明日」も「さようなら」もなく、それぞれ帰る場所へ帰った。


 サキと喧嘩をして3日後、ようやく彼女が話しかけてくれた。僕は唯一の友達を失ってしまったのではないかと思っていたので、さすがの僕でも不安になっていたところだったので、声をかけてくれたことに僕はとても救われた。

「やあ」と彼女は言った。「やあ」と僕も言った。日本語で「こんにちは」、英語で「Hello」という挨拶があるように、僕らの中では「やあ」が基本の挨拶みたいだ。

「今度の休みの日に、私の友達の家に遊びに行かない?」と彼女は言った。彼女の声には緊張に響きがあり、まだ僕と完全に仲直りしたわけじゃないよ、と言っているようだ。

「いいよ。でも僕は君の友達のことを一切知らない。それでも大丈夫なのかな」

「大丈夫よ、いい人だから」

「ところでその子は女の子?」

「男の子よ」

「ふ~ん」

「そんな顔しないでよ」


 休みの日、その男の子の家に、彼女と2人で遊びに行った。その男の子の名前は飯田というらしい。美味しそうな名前だね、お茶をかけたいところだ、と僕が冗談を言ったが、彼女は特に何も言わなかった。僕の顔を見ただけだ。喧嘩したあとってそういうことがある。本当は喋りたいのに、なにかがつっかえて声に出せない。だから何も言わずに顔を見る。彼女もきっとそれなのだろう。

 飯田の家に着き、ドアをノックした。しばらく時間が空いて彼が出てきた。彼を見ると、サキはにこっと微笑んで挨拶をした。僕も微笑み挨拶をした。

 飯田は筋肉質で、体の大きい男だった。彼の腕は太く、顔も大きかった。体の小さいサキを、デコピンで飛ばしてしまいそうなほど、インパクトのある見た目をしていた。でも目は小動物のようにくりくりとしていて、妙な可愛げがあった。

「こんにちは」と飯田は言った。「はじめまして、僕は飯田」

 穏やかな声だった。

 彼は僕たちを家に入れた。彼の母親は台所で皿を洗っており、サキを見ると顔を傾けニコっと微笑んだ。彼女は誰からも好かれやすい外見をしているのだ。それから彼は自分の部屋へ案内した。

 彼の部屋の中は、なんというかもわっとしていた。汗のにおいがして、空気に黄色っぽい色が浮かんできそうな感じだった。しかしサキはそれには全く気にしていない様子だった。彼の部屋には、ベッドがあり、本棚があり、ダンベルがあった。きっと筋肉を鍛えるのが趣味なのだろう。サキは友達のチョイスがユニークだなと思った。魔法降ろしの鳥の観察が趣味だと言った僕と、筋肉を鍛えるのが趣味の大柄の男。物理的には不可能だけれど、腕の中に納まりそうな感じの小ささをした女。

「やあ、なにもないけどさ、なにかする?」と彼が言った。

「3人でおしゃべりでもしましょう。あなたと飯田君は初対面なんだから、お互いの趣味とかについて話しましょうよ」と彼女が言った。

「君の趣味は何だろう?」と僕は尋ねた。

「僕は自分の肉体を鍛えるのが好きなんだ。だからあそこにダンベルがあるんだよ。肉体は自分の中の神殿だと思っているからね。そこを毎日磨き上げることに快楽を感じる」と彼は言った。やっぱり彼は筋肉を鍛えるのが好きなんだ。「君の趣味は何だろう」と彼は僕に尋ねた。

「僕に趣味はないよ。何かにずっとハマっているっていうのが苦手なんだ」と僕は言った。

 それからサキと飯田は2人の共通の話題について話し、僕はそれについていくことができなかった。適当に相槌を打ったりしていたが、ほとんど聞いていなかった。

 それから彼は、ダンベルを持ち上げてみないかと提案してきた。最初にサキが持ち上げようとした。もちろん、大柄な飯田が使うダンベルなど持ち上げられなかった。サキが棒をしっかりと持ちダンベルを持ち上げようとしているとき、彼女の細い腕がピンと真っすぐになった。その腕はちょっと触っただけで折れてしまいそうなシャーペンの芯のようだった。次に僕がダンベルを持った。ちょっとだけ浮いたが、とてもじゃないけど持ち上げることはできなかった。最後に飯田が、ひょいっと持ち上げた。僕たちは拍手をした。

「ダンベルはね、重りを支える棒がとても大事なんだ」と彼は言った。

 しばらく色々話したりした。飯田は穏やかで、優しい人だった。サキも楽しそうに笑って話していた。もちろん僕も笑ったし楽しかった。

 

 帰り道、サキと歩いた。

「飯田君はどうだった?」

「穏やかで優しい人だと思った」

「そうね、私もそう思う」

 ねえ飯田君、確かにダンベルは、重りを支える棒の部分が大事なようだ。僕みたいな偏った人間が、誰かと良き友達でい続けるには、棒の部分がしっかりしていないと駄目なようだ。

「何を考えているの?」とサキは僕の顔を覗いて尋ねてきた。

「天秤とダンベルについて考えていた」と僕は言った。

「不思議な人ね」とサキは言った。

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