第十八章

 必死で言葉を選んだけど僕の喉は痛んだ。まだ、その話題は多大なるストレスと

同義だ。


「ぼ、僕は中学時代、みんなから嫌われて、シカトされていたんだ……」


 天城さんとの接触で上がったボルテージが急降下していく。


「辛かった、今でも泣きそうだし、夢に見るよ。でも、たった一人僕と話してくれ


た友達がいたんだ……それだけで、僕は救われた……君がクラスで孤立しても、僕


は君を一人にしない! 間違いがなんだ! 間違わないヤツなんかいないんだ! 


僕なんて、人生の大半間違えている、この間のテスト、カンニングしても二十一点

だった。でも平気!」


 天城さんは何度か瞬きをしてそんな僕を見上げていたが、力強く納得する。


「わかりました……私が弱かったんです、間違えたのなら、皆さんに素直に謝れば


よかったのに、悪く言われるのが怖くてこんな所に逃げてきて、私、私、弱かった。


東雲君は自分を貶めてまで励ましてくれる強い人なのに、なのに……」


 かなり僕を過大評価してくれた彼女が、ぐぐっと拳を握る。


「私、もう気にしません、計算ミスも間違いも恐れません、私は間違えながら成長

していきます!」


 天城さんの目は、今までにない強い意志を宿していた。


「ありがとう、しの……拓生君、私もクラスで一人になってもいいです。そんなの


もう怖くありません、あなたがいるから」 


 そして彼女はしっかりとした足取りで歩き出した。



「皆さん、ごめんなさい! 私のミスでした」


 天城さんは黒板の前で、深々と頭を下げた。


 突然現れ、迷いなく進み出て、頬を紅潮させながら謝罪した彼女に、クラスは静

まりかえった。


「なによ、謝って済むんだったらケイサツいらないっての」


 天城さんの行動をはらはらと見守っていた僕は、えりすの心ない台詞に腹が立っ


た。


「あん? なによ、バカ拓生、またやるっての?」


「何かおかしいよ、みんな」


 勢いよく立ち上がるえりすを、冷静な声が止める。


「大体、最下位になったのはみんなの力が足りなかったからだよ? その責任を一


人に押しつけて、自分は関係ないなんて、みっともないよ」


 虎狼院みやの指摘に、皆こそこそと囁き合う。


「たかが運動会じゃないか、最下位がなんだ、むしろこれからの成長を見て貰おう

よ!」


 美麗な中学生女子のようなみやがクラス中を見回すと、趨勢は決まった。


「そうよね」と先程、天城さんを罵った女生徒が息をつく。


「私、けっこう頑張ったケド、他のクラス強かったもんね」


「ああ……俺も実は自信なかったんだ、ケドまあまあいい勝負だった」


 張りつめていた空気が、ゆっくりと温かくほぐれていく。


「天城さん、よくやったよ。もし天城さんがいなかったら、きっと最下位どころか


再起不能だった、きっと計算してくれたからだね」


「俺はもともと、彼女が悪いなんて言っていないけどね」


「ちょっと!」


 そんな柔らかなムードに傾く教室の中、佐伯えりすは自分の机を盛大に蹴飛ばし

た。


「どいつもこいつも……あたしたちはあのトチ狂い計算女のせいで他のクラスから


見下されるのよ? それでいいの? 拓生なんてそれでなくても取り柄がないの


に、運動でも他のクラスに嗤われるのよ?」


 えりすの熾烈な眼差しに、再びクラスメイト達は黙り、天城さんも項垂れた。


「だ、だったら」ここで遂に僕は切れた。ずっと溜まっていた、ずっと言いたかっ


たことが、許容量を超えた堪忍袋から漏れだしたのだ。


「お前が一人で頑張ればよかったじゃないか!」


「え?」


 僕に一喝されたえりすの顔に、戸惑いが浮かぶ。


「自分だってバレーで負けたクセに他人のせいなんて、それは違う、狡い」


 どうやら痛いところをつかれたようで、えりすは唇を結んだ。じっと僕に見開い

た目を向けている。


「天城さんは悪くない」その後すぐ他の生徒達はそう結論して行き、天城さんは皆


の輪に笑顔で戻ることが出来た。


「うう、ありがとう拓生君、あなたのお陰です」


「そ、そんなこと、ない、よ」


 涙ぐむ彼女に僕は、片頬だけぎこちなく緩めた。


「いいえ! 拓生君がぎゅっとしたくれたから、私、力が出ました」


「そ、そう?」


 だが僕は喜びに輝く天城さんを、実はよく見ていなかった。


 黒いオーラを感じる、ヤバい雰囲気だ。


「ふーん」かなり遠いのに、声は聞こえた。


「……ずいぶん仲良しよね?」


 僕の精神はひび割れる。キレたえりすは何をするか判らない。


 昔からそうだった。


 僕のことも苛めていた評判の悪い上級生は、何の前触れもなく灯油をかぶって自


ら火をつけ、命は取り留めたものの大事件になった。


 野良犬に二人で追いかけられた後、次にその犬を見たのは貯水池で浮いている姿

だ。


 ボール遊びをしてガラスを割ってしまい、その家のヒステリックなおばさんに二


人泣くほど怒られた時など、次の日そのおばさんは家の全てのガラスを顔面で割り、


血まみれで救急車に乗っていった。



 佐伯えりすはやる。



 どんなえげつないことも平気でやる。


 キレた彼女を止めるのは富士山の噴火をお盆で抑えるほど不可能だ。


 つい言葉を荒げてしまったが、もしえりすを本気で怒らせたら、冗談じゃなく命

に、


 危機が迫るのだ。 


 えりす……後で土下座しかないかも、そうだ! 靴を舐めよう、


 趣味と実益って結構一致するよね。


「いや!」


 僕は自分の弱さをぐっと堪えた。ここで頭を下げてしまったら台無しになるのだ。


 佐伯えりすと戦った四年間。


 負けるもんか!


 エメラルドのようなえりすの瞳を、精一杯見返してやった。


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