第八章


「て、天城さん」



「…………」



「あの……もしかして、探している物って、これ?」


 よく見えるように、紙を開いて彼女の目の前で振る。


「はうう!」と突然生気を取り戻した天城さんが、それに飛びついた。


「こここ、これ! です……どうして、どこに、どうやって、どうしたら……」


 天城さんが混乱の極みにあるようだから、僕は噛んで含めるように語った。


「さっき、数学の時間、君が落としたんだ。意味がないかと思って、返しそびれて

て」


 天城さんの瞳に光が戻った。と、同時に銀河のような瞳がみるみる濡れていく。


 紙を持っていた僕の右手を、彼女は暖かい両手で包んだ。


「ありがとうございます……東雲君……感謝します……あうう、私ホントに困って

て」


「い、いや……むしろごめん……い、らないかと思って……」


「必要ですっ!」


 周りの生徒達が驚くほど、声は大きかった。


「いえ、すみません、とても大切な数式だったので……拾っていてくれて、ありがと

う……」


「ま、まあ、それはいいんだけど、これでいいの?」


「実は……この数式は昼休みに必要だったんです……もうホントに必需! 無くし


た、と思ったとき死のうかと思いました。いいえ、私なんて死んじゃえ! て自分に


愛想を尽かしてしまいました……屋上から跳んだら逝けますか?」


「う」と微かに怯んでしまう。天城さんはいつもにこにこしている美少女だと思って


いたが、意外に思いこみの激しい性格のようだ。


「……でもしかし、東雲君のお陰で私この世界に希望を見出し、昼休みの決戦に置い


て、万が一の敗北も計算の中になくなりました」


 なんだかよく分からないが、数式の書かれた紙は相当大切な物だったらしい。


「私、今日のことは忘れません。この恩に報いるために、毎年の今日、五月一五日は

『東雲君の日』として個人的な記念日にして、大切に供養します」


「……て、僕死んでない? 記念日?」


 少し引いた僕だが、天城さんは力強く頷いた。


「そうです、私、記念日を作るのが得意なんです。だから今日はもう『東雲君の


日』、前日は『東雲君の日イブ』ですね」


 その前はイブイブです、と指摘する天城さんの、未知な部分に触れたと僕なんかで


も自覚できるから、どこか気後れして話題を変えてみた。


「そ、そうだ! すごい式……計算だね? 何の問題してるの? 東大入試?」


 苦し紛れだったが、僕の疑問は本当だ。何桁もの数字と訳の分からない記号を駆使


している式など、理解出来ないエニグマの変換物に等しい。


「これは」と天城さんは数式の紙を胸に押しつけ、口元を綻ばせた。


「会話内容です」


「は?」


 なにやら齟齬があったようだ。天城さんの答えが判らない。


「本当ですよ」どうやら僕が偉く間抜けな顔だったらしく、彼女はくすくすと身を揺

らす。


「私は何もかも『計算』できるんです。この世界の全てを」


「?」僕がもう一度首を傾げると、休みの終了を告げる鐘がなった。


「じゃ、じゃあ……」軽く会釈をして席に戻ろうとすると、天城さんは「本当に助か

りました」


とまた丁寧に礼を述べる。


 と、いう経緯のために、次の受業は全く僕の頭には入らなかった。


 何やら科学らしきことなのだが、右手に残る柔らかな少女の手の感触と、会話して


いる間中漂っていた桃のような香りが忘れられない。


 女のコって……いいな。と浸っている間に、前で講釈を垂れていた目障りなハゲ教


師が去っていった。


 思わず振り向いてしまう。四時限が終わった今は昼休みなのだ。先程の紙は「昼休


みに必要」と天城さんは言っていた。


 天城さんは食事の用意をするでなく、一つ大きく息を吸うと勢いよく椅子から立ち

上がる。


僕が見つめていることに気付かず、何かを決意したように「うん」と気合いを入れ、


強い意志を示しているのか肩を張って、すたすたと教室の後ろ側の扉に向かっていっ

た。 


 はら、と制服のスカートから何かが落ちた。


「またかよっ!」


 見覚えがある……デジャヴュだ! なればこれは二週目の世界、一度目は愚かなる


人類の過ちにより核の炎に包まれた……ふははは、後悔しろ人類め……否、今日二度


目なのだ。僕は急いで再び落とされた紙を回収した。 


 案の定、一度手にあった計算式の書かれたものだ。


「……天城さんて、意外とドジなのか?」


 そんな設定も好きです。


 ともかく、昼休みに必要、と言っていた物を落としていったのだ。また困っている

だろう。


天城さんが出た扉を出てその可憐な背中を探した。


 食事時の廊下は混み合っていて、見覚えのある、抱きしめてしまいそうになる背中


はなかなか見つからなかった。


 だ、大丈夫かな?


 昨日までの僕なら、天城さんを心配しなかったろう。何があっても『あの』天城愛


希なら何とかする、と勝手に思いこんでいたから。


 しかし今日、つい先程、その幻想は消え、どんなに優秀でも超がつくほど可愛くて


も、どこか抜けたところがある天城さんの本質を知ってしまった。


 放っておく訳にはいかない。


 僕は購買部、各種教室、廊下、と半分駆けながら天城さんを探し、ようやくそれを

視界に見出した。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る