第五章

 


 僕とみや、ついでにえりすのクラスである一年三組に入ると、早速、みやから課題


のノートを借りた。 


 背後からえりすの熾烈な視線を感じるが、なるべく考えないことにする。何よりも


今は実務が先なのだ。


 しかし、僕の手はシャープペンシルを掴むのさえままならなかった。


 辺りの喧噪の中に、無視できない単語が飛び交っていて、耳で拾ってしまったの

だ。


「今朝、『刃苦怨』の連中を見たよ。あいつらホントっ最低」


「三年の斉藤先輩が『刃苦怨』にかなりの金を巻き上げられたって……ほら、こないだお父さんが亡くなって、その保険金を盗られたって……アイツら人間かよ」


「今度バスケ部が試合する西校の間中さんも襲われたって。大学スカウトが来るはず

だったのに」


「マツビシ……、あのスーパーの。あそこの酒類が置いてある倉庫が破られたって


さ、多分、『刃苦怨』……警察って何してんだ?」


 クラスメイトの大半は犯罪集団への悪態だが、その中に違う名前が紛れていた。


「二年の雛森先輩、尾澤先輩とつき合っているんだって」という、心胆を寒からしめ

る会話だ。


 全力で耳を澄ますと、気付かぬ女子生徒達が残念そうに続けた。


「あーあ! 尾澤先輩……憧れていたのに……」


「でもさ、雛森先輩ならって思わない? すごい美形カップル」


 確かに、と悲しいけど認めなければならない。 


 雛森(ひなもり)やよい……一つ先輩で、巻野学校のアイドルである。顔立ちは勿


論、そのボディは炸裂、という単語に相応しい。


 特に胸の辺りはもう……ホントに何てこった、オーマイガ! 他の小娘どもなど敵

ではない。


「昔、大きすぎて男の子にからかわれたの……だから私はイヤなんだけど」


 と恥ずかしそうに両腕で胸部を隠す仕草は、恐らく核爆弾並の破壊力だろう。実


際、目にし耳にした僕の下半身は暴発しかけた。某超大国に知られたらヤバイ、



 大量破壊兵器はここにあります!



 思い出して鼻を押さえる。少し前屈みにもなってしまう。

 

 ぺちん、僕の頬に突然、何かが当たった。


「いたっ」と顔を巡らすと、小さい四角いものがもぽろりと落ちる。


「消しゴム?」確かにそれは消しゴム、文房具屋で売っている粉がついた高性能な物

の、縮小版だ。


 ぺちん、と今度は額に跳ねた。


「うわ」と僕は地味な痛みに怯んだ。


 振り返ると発射元は二つ離れた席のえりすからだ。口元にわざとらしい笑みを湛え

ていた。


 彼女は片手に持つカッターをちゃかちゃか動かして何か作業すると、拳を大きく振

る。


 ぺちん、と唇にまた感触があった。


 はあ……俯いて正面に向き直る。


 まだえりすは消しゴムをカッターで切り刻んで投げつけてくる。後頭部に幾つも当


たるが関わらない方がいい。


 尾澤先輩か……そっちも有名人だった。二年生ながらバスケ部のエースで、今時の


清潔そうなイケメンだ。学年に問わず、女子生徒から熱い視線を送られている、本当

に嫌な奴だ。 


 女子生徒の舌の先にも上らぬステルス技術の粋を集めた僕とは、天地の開きがあっ

た。 


「はぁーあ」とシャープペンシルを机に転がした。数学の課題をするには胸が痛すぎ

る。



「雛森先輩の胸って、どんなだろうな? 尾澤先輩、見たのかな? いいなあ、僕も


見たい、


触りたい、柔らかいのかな? どんな味かな?」



「……ちょっとアンタ……ええと、東雲? 独り言はもっと聞こえないようにしな


よ、聞くに耐えないんだケド」 


 あっと首を巡らすと、今までうわさ話に花を咲かせていた近場の女子生徒達の、ム


シケラを見下すような冷たい視線があった。


 そんな軽蔑の視線を前にして、僕の心臓は痛いほど跳ねた。


 なんだか興奮する。


 微妙にずれた自分の性癖に気付いた瞬間だった。




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