第四章
私立巻野高校は街中にある普通の学校だ。四階建てのコンクリート校舎を平行に並
べ、その間に渡り廊下がある、外観においてさしたる工夫のない、まさに『学校』と
いった趣だ。偏差値も五〇から七五と幅広く、部活動においても何ら目立った成果の
ない、よく言えば大らかな、悪く言えばありきたりな、どこにでもある高校である。
そんな学校に入るのに、僕は全身全霊をかけた。つまり、もともとの成績は……。
暗澹たる僕はネクタイを引っ張るえりすに従って、鎖に繋がれた奴隷のように鉄の
校門から敷地内へと入る。
「あ! 何をしているんだい!」
途端に声が上がる。僕は頭が動かせないので確認できないが、誰かが近づく気配が
した。
「何よ?」えりすは一転ひどく不快そうだ。
「佐伯さん! 拓生君を苛めるな!」
突然糸が切れた凧のように自由になる、何者かがネクタイからえりすの手を払って
くれたらしい。
視線を転ずると、ぺたっとした薄い胸があった。
男だ、がっかりだ。
「うるさいわね、この男女。女男?」
えりすの嘲罵など何ともない風に、その人物はえりすと僕の間に割って入る。
虎狼院(ころういん)みやは背が低い。
僕とは頭半分違い、そんなに身長のないえりすよりもさらに低い。
「君はいつになったらその酷い性格を改めるんだ?」
みやは綺麗に弧を書く眉を曇らせ、えりすを責める。
「関係ないでしょ? あんた何か消えなさいよ!」
「関係なくないよ! 拓生君は僕の友達だから!」
「うううう……みやー」言い切ってくれたみやに感動した僕は、その小さな背中に隠
れて、おどおどとえりすを伺った。
「もう大丈夫だよ、拓生君は僕が守るよ」
みやは西洋の少女人形のようにふっくらした頬に微笑を浮かべ、大きく頷いてくれ
た。
「た、拓生! このゴミ虫!」
激発したえりすが再び僕のネクタイを掴もうと手を伸ばすが、ぴしゃりとみやの爪
先は弾く。
「佐伯さん、拓生君に対する暴言と暴力はこの僕が許さないよ」
「なによ、この……」
えりすは険のある目でしばしみやを睨んでいたが、周りの視線が集中していると気
付くと、
「ふん」と足早に学校に消えていった。
「ふう」と虎狼院みやは額の汗を拭い、僕は「みやー」と解放された喜びに、後ろか
ら抱きついた。
ぺったりな胸もなでなで触ったけど、男同士なら犯罪ではないよね?
「あの暴力女は行ったよ。拓生君は優しすぎるんだよ、あいつなんか突き放せばいい
のに」
みやはしかし知らない。えりすの真の恐ろしさを知らないから、こんな事が出来る
のだ。
「助かったよ、みや。ありがとう、ホント、ありがたい」
僕は一歩離れて、眩しいみやを見つめた。
額で一直線に切り揃えられた髪が、風でふわりと浮く。決して不健康なイメージで
はない真っ白の肌のみやに、その漆黒の髪はよく栄えた。
みやは、やや厚めのぷっくりとした唇をほころばせて照れた。
「そんな……いいんだよ、僕らは友達だろ?」
可憐な少女、容姿だけならば虎狼院みやはそうだ。
だが、だが、だが、だが、だが、僕はかつて生涯で一度、天を激しく憎み、血の涙
を流してゴッド・ハン○に転生しかけた。
可愛くて、可憐で、優しくて、頭もいい、いつも僕の味方の虎狼院みやは……男
だ。
どんなに外見がコケティッシュで、癒し系で、美少女のようでいても、みやの性別
はまごうことなく男なのだ。
そこら辺、一度体育の着替えの時にとっくり確認させてもらった。
間違いなく、家の都合で男として育てられた女の子、ではなく、ついているヤロー
だ。
だが致命的な欠陥はあるものの、みやはクラスメイトであり、高校で出来たたった
一人の得難い友人であるのは変わらない。
だから少々のミス、先天的な命題を脇に退ける、人間誰だって欠点はあるさ。
「さあ、遅刻するよ」とみやは少女のようにちんみりとした手を、玄関に向けて促し
た。
「うん……ところでみや、数学の課題なんだけど」
こくん、彼は小さく頷いた。
「わかった、またやっていないんだね? 写させてあげる!」
て、こいつなんで男なんだよ! 天のバカ! バカ! 空気読め! ……そうだ、
今度オペを提案してみよう。
僕はまだ天のヤローを許してやるつもりはない。今夜も呪いの言葉を呟きながら寝
てやる。
つーか、表に出ろゴッドども。こんにちは! 無神論者のダーウィンさん。
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