第三章


 えりすは嗤う


「天城に話しかけられてオドオドしていた、どうせまたイヤらしいコト考えていたん

でしょ?


 天城とどこどこに行きたいって、昔、あたしとお城に行きたい、とか言ってたクセ

に」


「うう」と呻いてしまった。妄想を看破されただけではなく、封印していた過去を簡


単に暴露されているのだ。封印は簡単に解いてはならない、邪神とか人の過去には触


れてはイケナイ。


「確か……あんたが王子様で、あたしがお姫様。悪い奴からあたしを助けて、お城に


連れて行って……いただきマース、でしょ? くだらない」


 全く記憶力のいい女だ。確かに僕はそんなイタい夢を小学生の頃、彼女に語った

よ。


「天城に言ったら? あたしと小五までお風呂入っていました、って、嫌われるか


な? あたしの体をじろじろ見ていましたって」


 えりすはピンク色の舌をちらりと揺らす。


 反論は出来ない、事実だからだ。


 僕は小学五年生まで佐伯えりすの家で、共に風呂に入る事を日課にしていた。性差


が判らない頃……と言い訳も立つが、再後半、邪でもあった。


 えりすが徐々に変わって行くのに、実は気付いていた。成長していくのに。しかし


知らんぷりをして毎日鑑賞していた。



 いやー、なかなかの見応えだった。えりす超すげー。



「ホント、男として小さいよね? このクズ、あんたなんて誰も見ていないわよ。こ


れからもね、だから何しても無駄」


 棘を隠さぬ言葉が、ぶすぶすと刺さってくる。


「何の取り柄もないクセに、女の子が寄ってくるなんて、あり得ないから」


 容赦なくえりすが嘲るから、日本政府のような穏和の僕も、咄嗟に言い返そうとし


た。しかし、つい違う方向に向いていた意識のまま、単語を口走ってしまう。




「この、いちご味!」




「うん?」とえりすは最初は意味が分からなかったようだが、すぐに漂う匂いに気付

いた事を察した。


 ばっと両手で自分の唇を多い、睫の濃い目をつり上げる。


「ふ……こ、このど変態! 何嗅いでいるのよ! ゲスバカ拓生!」 


 不本意な言われようだ。ただえりすが話すたびにイチゴが甘く香るから、使ってい


る歯磨き粉の味が分かっただけなのに。


 一所懸命嗅いだけど。

 

 一時の恥じらいから復帰したえりすは、かっと頬を染めて唇を震わせ、片手で僕の


学校指定のピンで止めるなんちゃってネクタイをひっ掴む。


「ぐえっ」と喉が鳴るが、構わず彼女は力を込めて来た。もう泣きそうだ。


「く、苦しい……」


「当たり前でしょ? 苦しめているのよ」


 ぐいぐいとネクタイを引っ張っぱられ前後に振り回され、車酔いのように気持ちが


悪くなっていく。


 ああ……と僕は慨嘆する。拷問をするえりすはとても楽しそうだ。昔は兄妹みたい


に仲良しで『えっちゃん』『くーちゃん』と呼び合っていたのに。幼馴染みが毎朝迎


えに来て、朝故に言うことの聞かない男子の一部分について赤面する、なんていうの


はやはりエロなゲームの中だけのことなのだ。勿論。年齢査証してパッケ買ってマ

ス。 


「ううう……頼むから離してくれよ」


「情けない」えりすの言葉はきつい。恥も外聞もなく頭を垂れたのだとしても、言い

方がある。


 だが、えりすには逆らえない。幼馴染みだからとか、外見は超がつくほどかわいい


から、ではない。


 佐伯えりすに……酷い目に遭わされた。遭わされ続けた。


 とても傷つき、とても悲しかった。


 男としての意地として涙は見せなかったが、彼女に対して大きなトラウマがある。


「ほらほら、早く歩きなさい、あたしを遅刻させる気?」


 はしゃぎ声に、力無く目をつぶるしかない。


 えりすを嫌いになりそうだ。可愛い女の子を嫌うのは辛い。しかし、彼女はずっと


前から僕のことが嫌いなのだろう。


 だからみんなを煽動して『あんな事』をした。


「ふふ、んじゃあ学校行きましょう。あたしが連れて行ってあげる」


 機嫌よく笑うと、ネクタイを引っ張ったまま歩き出した。


 振り払うことも出来ず、僕は腰を屈めたままその背を追った。


 惨めこの上ない。散歩途中の犬のようだ。


 通行人達の視線は羞恥心を刺激し、同じ学校の生徒達のささやきが心に新しいひっ


かき傷を作っていく。違うんです皆さん、これは強制です、そう言ったプレイではあ

りません。



 いいえ、プレイも好きです。



 僕は背を大きく丸めながら、ネクタイを片手にしているえりすの背を睨んだ。


 今日こそ言ってやろう! そう、ちゃんとした人間関係の形成のために、この暴虐


極まりない女に、言わねばならないことが……あ!


 えりすの背中に、くっきりとブラの線が浮いていた。


 くっ、こいつめ……こんな嬉し恥ずかし可愛いブラジャーを……何て嬉し恥ずかし


い奴なんだ、あのゴボウえりすが……。


 感慨深い。昔のえりすはつるぺたでがりがりで、兄の気分の僕はとっても心配して


いた。そう考えると大分成長している。今もむしろ痩せているのだが、ところどころ


に女性特有の肉がつき、柔らかな丸さが肩やら腰やらに見て取れた。闊達で活発な動


きも、男子生徒と違って妙にしなやかで艶っぽい。 


 ああ、腹の奥からわき出る炎のごとき怒りが消えていく……


 これが乙女の力か、くそっ、スゲーぜ!

 

 しげしげとえりすの背を観察していると、ほんわか暖かいオレンジの匂いが鼻孔を

くすぐった。


 えりすのクセに、いい匂いだ……いかん、えりすごときに……すーはーすーはー。


 迷夢に迷う僕が我に返ると、もう学校にたどり着く直前だ。


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