第5話 私の妹は見た目だけ〈中編〉
幼稚園の頃、風ちゃんは他の子よりも喋るのが苦手だった。それ故他の子から赤ちゃんとか頭が悪いとか、馬鹿にされていた。
風ちゃん自身は気にせずぽわぽわ受け流していたのだけど、あるとき風ちゃんの友だちが我慢の限界を越えて、風ちゃんそっちのけでものを投げ合う大喧嘩に発展してしまった。
幸いひどい怪我にはつながらずに済んだけど、風ちゃんのために怒ってくれた友だちは、先生と親御さんからこっぴどく叱られてしまったらしい。
「おねーちゃん」
部活から帰ってきて、お母さんから事の顛末を聞いてモヤモヤしていたところ、風ちゃんが目とはなをぐちゃぐちゃにした顔で部屋に入ってきた。
「どうしたの?」
「おねーちゃん、ふーか、どーしたら、いー?」
ひっく、としゃくりあげる妹に目線を合わせるため、私は椅子から降りた。
喋るのが苦手だし、泣いているしで、風ちゃんが言いたいことを理解するのに時間がかかってしまったけど、風ちゃんがどうしたらいいか私に相談したいのは、『自分が馬鹿にされるのは馬鹿だから仕方ないけど、友だちが嫌な思いをするのは嫌』ということだった。
今までも何もしていなかったわけではない。動画を見たり私と話したりして、毎日お喋りの練習はしていた。だけどなかなか上達せずにもどかしさを感じていたタイミングでのこの事件。風ちゃんの胸は相当痛んだ。
そこで私が出した案が、形から入る。
少しでも賢く見られるように、伊達眼鏡をかけることを提案した。
風ちゃんは素直に頷いてくれた。
そうして、風ちゃんの伊達眼鏡生活が始まった。話し方も賢く思ってもらえるように、丁寧口調で話す練習をした。
それからしばらくして、風ちゃんはようやく他の子と遜色ないくらい話せるようになった。喋り方で馬鹿にされることはなくなった。
形から入ったのが功を成したように思えるけど、私は風ちゃんの今までの蓄積も合わせた努力と、練習に付き合ってくれた友だちの優しさの賜物だと思う。
結果としてこの件は、その友だちとは今でもお互い親友だと胸を張って言い合っているし、風ちゃんの成長を促すきっかけになったので、風ちゃん本人にしたらいい思い出になっているのかもしれない。
だけど私にとっては、最愛の妹に、おそらく人生ではじめて訪れた苦しい出来事という認識が、消えてくれない。
今でもたまに、悔しさとか悲しさとか無力さとか、幼稚園児が抱えるには重すぎる感情を、その小さな身体に背負い込んだ風ちゃんの顔を思い出す。
だから私は、風ちゃんが伊達眼鏡の理由を、家族と風ちゃんの親友以外に話すことができない。
風ちゃんの眼鏡は、風ちゃんを護る、鎧のようなものだから。それを話してしまうと、その鎧を剥ぎ取ってしまうような気がするから。
でも最近、私が提案したからこそ思うことがある。
形から入ることは、ある意味では私の想像を超えて上手くいった。
でも、完全に上手くいったかと言われると、そうではない。
見た目だけ、賢くなり過ぎている。
その見た目に、風ちゃんの中身が追いついたとは、お世辞にも言い難い。
それだと今度は逆に、見た目と中身のギャップに苦しめられないだろうか?
優等生然としたその見た目だけで判断されて実際中身を知ると、勝手に落胆されたり、昔みたいに馬鹿にされたりしないだろうか。あからさまではなくても、私の友だちみたいに悪気なくレッテルを貼られることはきっとある。それによって風ちゃんに、いらぬストレスをかけてしまわないだろうか。
考え過ぎかもしれない。
私みたいにむしろそのギャップがいいという人もいるかもしれない。
だけど、それは当事者の意見じゃない。
風ちゃんは、風ちゃん自身は、どう思っているのだろう。
眼鏡は風ちゃんの、枷になっていないだろうか。
「ふぁわぁあ……。あ、お姉ちゃん。おはようございます」
「おはよ。ごめんね、起こしちゃった?」
両手を元気にお空に伸ばしてもう一度あくびをする風ちゃんの死角で、私はとっさに眼鏡を元の位置に戻す。
「今何時です?」
「夕方の五時半だね」
「ならそろそろ起きて宿題をしないといけない時間なので、大丈夫です」
風ちゃんはにこっと微笑んでくれる。あくびをしたから目の横に涙の跡があって、笑った顔が少し儚げになる。これはこれで堪らんかわいい。
うんしょとソファから立ち上がり、ローテーブルに置かれた眼鏡を両手で持ち上げる風ちゃん。そして呼吸をするくらい当たり前に、風ちゃんはそれをかける。
「風ちゃん」
「なんです?」
私は風ちゃんの「なんです?」が大好きだ。目をキラキラ輝かせて、興味津々に私の次の言葉を待ち構えてくれているから。この言葉を聞くと、いつもとても温かい気持ちになる。
「最近…………学校どう?」
だけど今は、電源が入ってないみたいに、心の温度は上がってくれなかった。歯切れの悪い言葉をなんとか捻り出す。
「おやすみの日以外は行ってます!」
「…………そっか。皆勤賞だね」
「はい!」
「学校……楽しい?」
「はい! とても楽しいです!」
「それは、良かった」
「はい! いいことです!」
「もう馬鹿にされたりはしてない?」
もっとうまい聞き方があったと思う。だけど、風ちゃんに変化球は返せないのは最初の質問でも再確認したから、ストレートに質問を投げる。
「そうですね。幼稚園の頃みたいに、イヤな感じで馬鹿だと言われることはないです。風花が馬鹿なことをして馬鹿だと言われることはありますが、それは風花が悪いのです。納得です」
「そっか」
風ちゃんは嘘をつくのが下手だ。顔にすぐ出る。だから今の言葉は本心なのだろう。イヤな思いはせず、心から学校生活を楽しんでくれていることにひとまず安心する。
だけど、やっぱり私は考えてしまう。
「風ちゃん」
「なんです?」
「……眼鏡さ、とる?」
〈後編へ続く……〉
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