第5話 私の妹は見た目だけ〈後編〉
〝眼鏡をとる〟
この提案は、私にとって勇気のいるものだったのだけど、風ちゃんはいつも通り。
「? ゴミついてます?」
きょとんとして私に眼鏡を託す。思わず普通に受け取ってしまった。
「ううん。そうじゃなくてね」
そんな普段と変わらない妹に、とても安心している自分に気付く。少しだけ、気持ちと言葉が柔らかくなって、口から出しやすくなった。私は手の中にある眼鏡を親指で撫でながら、考えていたことをなるべくわかりやすいように、慎重に選んで丁寧に風ちゃんに伝える。
風ちゃんは私の言葉を一生懸命受け取ってくれた。私が話し終えると、風ちゃんは何度かゆっくり頷いてからうつむいた。
たぶん漫画だと周りに『ムムムッ』って文字が飛んでいるんだろうなと思っているうちに、風ちゃんのほっぺはどんどん膨らんでいった。
さすがにそろそろ息継ぎをさせないとまずいと思い手を伸ばすと、触れる直前に空気がかわいく音を立てた。風ちゃんの口が開いた音。考えがまとまったらしい。私は慌てて腕を引く。
「お姉ちゃん」
風ちゃんはまっすぐ私の目を見て、私を呼んだ。
「なに?」
私が答えると、風ちゃんは二回深呼吸をした。
「風花には、難しいことはわかりません」
きっぱり切り捨てる言葉。だけど風ちゃんはそれで終わらない。ちゃんと続きがある。私がしたみたいに、慎重に言葉を選んで丁寧に思いを私に伝えてくれる。
「だけど、風花は今、好きだから眼鏡をかけています。はじめはかしこくなりたくて、眼鏡をかけました。でも、今はちがいます。あ、もちろん今もかしこくなりたいです! なのでまったくちがうというわけではありません。ですが風花は今、かしこくなりたいという気持ちよりも、眼鏡をかけたいという気持ちの方が大きいので、眼鏡をかけています」
思案、懐古、慈しみ、愛おしさ。風ちゃんの顔にいろんな表情が宿っていく。風ちゃんの瞳は私と眼鏡を優しく行き来していた。
「でも、眼鏡をかけたままだと、またイヤなこと言われるかもしれないよ? 昔みたいなイヤな思いをしちゃうかもしれないよ?」
だけど私の中の不安の灯火は消えてくれない。だからその火を風ちゃんに見せてしまう。
「そのときは、言い返せばいいのです。この見た目で、この中身が私です。中身はまだまだ成長中なのです、と」
きっと。風ちゃんにはそんなつもりはなかったのだろうけど。目を覆いたくなるほど光って宿る表情が、そんな私の灯火を吹き消した。
私がこうしたいからこうしているという、眩いほどの希望に満ち溢れた、信念。
今、私の目の前にいるのは、親友が自分のせいでイヤな思いをしてしまい、どうしたらいいかわからず泣いていた、あの日の風ちゃんではなかった。
ふふんと胸を張って、堂々と立っている風ちゃんが、目の前にいた。
私が一番知っていると思ってたのに。誰よりも私が一番、風ちゃんのことを近くで見守っていると思っていたのに。
全然、わかっていなかった。
風ちゃんは私が思っているよりも、何歩も、何百歩も、成長していた。
「そっか……そうだね。眼鏡があってこその、風ちゃんだね」
「はいっ!」
元気よくお返事をする風ちゃんに、私は眼鏡を返す。風ちゃんはそれを宝物のように装備すると、コテンと首を傾げた。
「似合います?」
「うん。とってもかわいい」
答えると風ちゃんは嬉しそうに丁番を人差し指と親指でクイッと持ち上げた。
「かしこくも見えます?」
「見た目はね」
「中身はどうです?」
「んー?」
キラキラの視線を向ける風ちゃんに、私はあえて少し考えるふりをして焦らす。どうです? どうです? と喋ってないのに声が聞こえてくるくらい体を揺らす風ちゃんに、私は吹き出し思わず答えてしまう。
「アホいね」
「むむ。まだまだ努力が必要ですね。がんばります!」
悔しそうに呟いたけど、すぐに笑顔に切り替わる風ちゃん。
水滴を弾く汚れを知らないもちもちの白肌。清流のように腰まで流れるさらさらな黒髪。凪いだ海を閉じ込めたようなきりりとしたつり目がちな瞳と、それを守るためにかけられたスクエア型の紫フレームの眼鏡。
そんな優等生然とした容姿から溢れる最高に無邪気な笑顔は、四文字では語りつくせないほどかわいい。
でもそれは、見た目だけじゃない。
私の妹は見た目だけじゃない。中身も合わせて、全部が、かわいい!
〈第5話 了〉
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