第3話 お姉ちゃんの名前〈後編〉

「お姉ちゃんのお名前書けました!」


 風ちゃんがにぱっと顔を上げた。


「ついでに風花の名前も書きました!」

「どれどれー?」


 覗き込むと、教科書の隅に、まっすぐ丁寧に書かれた縦書きの『宿利緋衣花』の横に、『宿利風花』の文字が寄り添っていた。


「うん! どっちもきちんと書けてる! すごいね風ちゃん!」

「えへへー。ありがとうございます!」

 顔をくしゃくしゃにして喜びを表現してくれる風ちゃん。褒めがいがありすぎる。


『宿利緋衣花』

『宿利風花』


 漢字で並べてみると、『花』という共通の字があるけど、文字数が違うから、あまり姉妹っぽさは感じられない。でも。


「? お姉ちゃん、どうして読み方を書いているのですか? 風花読み方知ってますよ?」


『ひいか』と『ふうか』

 振り仮名をつけると、かなり姉妹っぽく見える。


「ううん。私たちの名前って、ひらがなで書いた方が、姉妹っぽいなって思ったの」

「……? どういうことです? ひらがなでも漢字でも、お姉ちゃんと風花は、お姉ちゃんと妹ですよ?」


 きょとんと首をかしげる妹が愛おしくて、私は無言で横から抱きつく。姉特権濫用、解禁。

 わふっと子犬みたいな声をあげて、風ちゃんは居心地良さそうに私の腕の中に収まる。私の腕をちょこんと握るそのお手手の愛くるしさに、私の庇護欲が総動員している。何があってもこの妹を護ると再宣誓。


「はっ。気付きました!」

「ん? 何が?」

 私の庇護欲が全部風ちゃんに駆り出されていること?


「お姉ちゃんのお名前の『ひ』と『い』を一文字ずらすと、風花の『ふ』と『う』になります! だからこっちの方が姉妹っぽいんですね!」


 私の思考とは全く関係のない気付きを、風ちゃんは脱出ゲームをクリアしたみたいなテンションで教えてくれた。


「あー、確かに一文字ずらしだね」


 ずらしていない文字は二人の共通の字だし、なるほど姉妹っぽい。


「むむっ。もう一つ気が付きました! もう一文字ずらすと『は』です! だからお母さんは『はは』なのですね!」


「……二文字目はどこに行っちゃったの風ちゃん……。それに『はは』はお母さんの名前じゃないよ?」


 と納得していたら今度は破綻した理論に飛躍してしまった。でもこっちの方が風ちゃんらしくて、風ちゃんには悪いけど、少し安心してしまう。


「あっ、たしかにそうです。うーん、むずかしいです……」


 考え込んでしまった風ちゃんに、私はお母さんから聞いた私たちの名前の由来を話す。


「私と風ちゃんのお名前の『ひい』と『ふう』は、数字を数えるときの『ひふみ』からとってるんだよ。私が長女だから『一』の『ひい』。風ちゃんが次女だから『二』の『ふう』。だからお母さんというよりか、もし風ちゃんに妹ができたら、たぶん『ミイ花』ちゃんだね」


「え!」


 私の話を聞いた風ちゃんは、珍しく大きな声をあげた。何がそこまで意外だったんだろう。一二三をひふみと言うことかな。


「風花に妹ができるんです!?」


 ……そこか。


「例えばの話だよ?」


 私は言うが風ちゃんは興奮して続ける。


「風花、お姉ちゃんに憧れているので、お姉ちゃんになれるの、とてもうれしいです!」


 まっすぐ羨望の眼差しでストレートに憧れって言われちゃった。えぇ〜お姉ちゃんもうれしい。


 どうしよう両親に妹が欲しいと頼もうかしらいや待って落ち着け色々理解しているはずの大学生の娘から妹が欲しいと言われる五十手前の両親の心情を考えろ私。


 私が水泳のターンくらい華麗な思考の折り返しを魅せていると、腕の中の風ちゃんがプールから上がったみたいに頭をふるふる振っていた。


「お姉ちゃん……風花、やっぱりお姉ちゃんにはならない方がいいかもしれません」


「え? どうして?」


 急に思い詰めた顔になった風ちゃんに、私の胸がギュンとなる。


「風花、お姉ちゃんみたいな優しいお姉ちゃんになりたいのに、お姉ちゃんのことを独り占めできなくなるの、嫌だと思ってしまいました」


 凪いでいたはずの海が今にも溢れてしまいそうな風ちゃん。


「こんな意地悪な風花は、お姉ちゃんにはなっちゃいけません……」


 それを必死に堰き止め、風ちゃんは言葉を吐き出す。


「……お姉ちゃん……?」


 そんな優しい妹を、彼女以上の優しさで包み込めるように、強く抱きしめる。


「大丈夫だよ。風ちゃんは意地悪なんかじゃないよ。まだ見ぬ妹のことを大切に想える、とっても優しいお姉ちゃんだよ」


「……ほんとです?」

「うん、本当だよ。お姉ちゃんが保証する」


 私は風ちゃんのさらさらな髪を手櫛で梳かしながら続ける。


「それに風ちゃんは家族思いだから、きっと妹から好かれるお姉ちゃんになれるよ」

「なれ……ますか? とても、不安です……」

「大丈夫だよ。お姉ちゃんだって、風ちゃんのお姉ちゃんになるとき、自信なかったもん」

「え? お姉ちゃんもなんです?」

「そうだよー。それでも今、お姉ちゃんは風ちゃんのお姉ちゃんを、自信を持ってやっています。もちろん全然ダメダメなところもあっちゃうけど、それでも、風ちゃんのお姉ちゃんは私にしかできないぞー、と思ってやっとりますよ」

「はい! 風花のお姉ちゃんはお姉ちゃんだけです。お姉ちゃんは最高のお姉ちゃんです!」

「あはは、ありがとう。うん。だから、風ちゃんも大丈夫! お姉ちゃんと一緒だよ」

「お姉ちゃんと、一緒……」


 風ちゃんはそう呟くと下を向いてサナギみたいに固まってしまった。考え事をしているみたい。ほっぺたがどんどん膨らんで、しばらくすると、笑顔が羽化して羽ばたいた。


「お姉ちゃんと一緒! どうしましょう! 風花、それだけで自信がぐつぐつしてきました! 幸せです!」


「うん! 風ちゃんが幸せならお姉ちゃんも幸せ! その調子で頑張ろー!」

「おー! です!」


 泣きそうになるくらい優しいところは風ちゃんのいいところだけど、やっぱり風ちゃんには笑顔が一番。できる限り笑っていてほしい。


 だからその願いを込めて、私はもう一回だけ特権を濫用して、妹に愛情たっぷりのハグをした。


   *


 その翌朝。

「おはようございます! お姉ちゃん! お母さん! お父さん! ミイ花ちゃんはいつやってくるんです?」

「風ちゃんごめんそれもしも話だから!」


     〈第3話 了 〉

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